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エッセンシャル・セミナー : 競争戦略 (上)

清水 基夫 [プロフィール] :7月号

第4回 : 競争戦略 (上)
 
戦略立案プロセス (As Is とTo be)
「あ、いらっしゃい。こちらへどうぞ」 明るい声で言いながら、村上さんが急いで会議テーブルの上の雑誌を片付けた。 「こんにちわ。お邪魔します。」 橘と王は会議テーブルの椅子に鞄を置く。 「宿題出来ました?お忙しいのでしょ?」 村上さんがニコニコしている。クリクリとして愛嬌のある目だ。 「指定された70頁と他を合わせて120頁くらいかな。結構きついですね。」と王が言う。
「でも、先生はいつも学生さんに言ってますよ。『これだけ複雑な企業の競争戦略を、たった70頁で整理してくれているのだから、こんな有難い本はないと思え。』って、あら、先生が見えましたわ。」
「やあ、こんにちわ。私が何を言っているって?」 依田さんがやってきて、白板の前の椅子に腰かけた。

依田 前回は戦略立案について市場の選択、競争戦略、能力・資源の強化の3つの視点について考えることを話したが、今日はそのうちの競争戦略の話だったね。ポーターの競争の戦略はどこまで読んだかな?
前回指示された70頁までと、そのあとの競争業者分析のフレームワーク、それと面白そうな先端業界とか多数乱戦業界の戦略なんかも読みました。確かに、一見とっつきにくいけど、事業戦略を全体像としてどの様にとらえればよいかスッキリと説明していて、戦略を考える良いガイドになりますね。
マーケットシグナルの箇所も大事ですね。目次を見ると気になる箇所はもっとあるけれど、あとは必要に応じて読むことにします。
依田 それでは、この本で一番大事なメッセージは何だと感じたのかな?
企業間競争における5つの競争要因の分析が重要だということです。
依田 確かに、この本では5つの競争要因を丁寧に説明している。でも、その前に何を言っているのだろう。
うーん。企業戦略には、業界全体がどう変わるかなど、もっと大きな構造的変化を含めた体系的な理解が重要だと、最初のところで言っていますね。
依田 そういうことだ。本書の概要に書いてあるが、それ迄は戦略と言えば、例えばコストダウンの方法など特定の局面にフォーカスした議論であったが、企業にとってより重要なのは、それが属する業界構造が現在どうであり、今後どう変化するかの理解だ。つまり、業界を体系的あるいは構造的に分析したうえで、対応する戦略を考えなさいということ。業界構造などと言われると一見掴みどころがないけれど、業界構造は業者間の競争関係で変化していくという視点で見れば結構分かり易い。その分析手法が5つの競争要因のフレームワークなんだ。
確かに。5つの競争要因で業界構造を理解した上で、その後に出てくる競争の3つの基本戦略の考えをもとに、競争の構造とか行動と反応などについて考えて、戦略を作ることが重要なんですね。

 依田さんは図を描き始めた。
参考:ポーター「競争の戦略」ダイヤモンド社 p7
As IsからTo Beへ

依田 この図は覚えているだろう? <左側の二重の円の図を指しながら、依田さんは王に聞いた。>
本の最初の方で競争戦略の輪というタイトルで、会社の競争戦略の主要な要素を表現したものです。円の中心は戦略の目標で、その周りは目標を実現するための事業運営の要素別のポリシーで、これらを明確して実行する必要があります。
依田 その通りだ。これはポーターの競争戦略の輪の図を利用しているが、左側は企業の事業活動の現状を示している。事業活動では、ここにある様々な活動をしているが、戦略という観点で見れば、これらは現在の戦略に基づいた活動になっているはずだ。事業をしているのだから、戦略と言わなくても何らかの方針があるのが普通だろう。
右側は、戦略によって到達したい目標だ。中心の円に目標の一例を書いている。例えば、前回に
規模の経済について、現状10億円の売り上げが30億円になるとはどう言うことかを分析する例を話した。あの例では現状の営業利益率を景気よく20%と想定していたね。もし、売り上げが3倍になれば規模の経済で利益率が50%にできる可能性もあるけれども、そんな美味しい市場では競争が激化するから、多くの場合そう上手くはいかない。だから、このケースで営業利益率を25%に高め、かつ高い市場シェアを目指すことを目標にすることを仮定している。つまり現状"As Is"からそうありたい未来"To Be"への戦略だ。
営業利益率25%というのは、随分高い目標ですね。
依田 確かに並みの製造業やサービス業では簡単じゃない。でもITの先端分野などの成長分野ではこの程度の企業は珍しくはないし、成熟とみられる業界でも無い訳ではない。大企業でもファナックやキーエンスなどの様に40%を大きく超える会社もある。ネットで調べてみるといいよ。

 二人は、早速スマホで検索を始めたが、すぐ顔を見合わせた。

確かに。今の日本では平均売上高営業利益率は産業ごとに2%から4%程度ですけど、一部のIT系などでは50%なんていう会社もあるのですね。
依田 赤字企業もたくさん含むから、産業分野別の平均で見れば2%とか4%などと低いが、利益を出している会社では10%以上のところも少なくない。[1] 統計値の扱いは注意が必要だ。さらに、一つの会社で見ても、外部に発表されるのは、不振部門を含めた会社全体の業績だ。その中で戦略的に伸ばしたい事業部門の利益率の最終的な目標はもっと高いはずだ。君たちの場合は、どのくらいなのかな。
ところで、この図で外側の同心円の項目はどういう意味かな?ポーターはどういっている?
戦略要素別のポリシーつまり方針で、事業の活動分野とも言えます。彼は、それぞれについて、現在どのような方針を取っているのか簡潔に言える必要があると書いています。まあ、現場は目先のことに追われて、とりあえず惰性的にやっている項目もかなり多いですけど。
依田 しかし君のところだって、上司は君達とは少し違うではないのかな?
当然、我々レベルとは違いますけど、今野部長もかなり感覚派というか野戦型ですからね。 王もニヤッとする。何か思い当たることがあるらしい。依田さんもニヤリと微笑した。
依田 なるほど。でも、実戦の能力が高いことは重要だ。戦略理論だけでは勝てない。センスのある実戦派が勉強して戦略知識をもてば強いけど、逆に理論派が実戦の能力を身に着けるのは容易ではないからね。もっとも、学習しない野戦型は困ったものになるケースもあるが。
では、そのポリシーというのは、どんなもの?君たちのケースで例を挙げると?
うちの部門で言えば、例えば、製品ラインではハード・ソフトの統合システム開発ですが、製造業の業務系ソリューションシステムが中心で、タブレットによるスピィーディーな現場情報の共有が特徴です。R&Dについてはアジャイル型開発プロセスの実用化の検討をしています。
依田 そういうものは、現状の戦略だけど、何を達成するとか何時までとかの目標は定めてあるのかな?
売上とかの事業目標ははっきり決まっていますし、製品化目標や契約などから達成時期が明確なものもありますが、こうした戦略要素レベルのものは明確でないものも多いですね。
依田 ポーターが言っているのは、戦略要素のレベル、例えば資材購入、労務、製造などの各区分についてもそれぞれの方針を明確にすべきこと、そのためには業界の構造的分析が重要で、そのためには5つの競争要因の理解が重要だということだ。ポーターは業界構造を分析して、目指すべき「最適な戦略」を戦略の輪の形で表すことを説明している。ここでは、実務家向けにもう少し分かり易くして、"As Is" つまり現状と目指すべき"To Be"つまり到達目標あるいは「あるべき姿」を分けて示している。そして"As Is" から"To Be" への矢印は戦略計画とその行動を意味している。この戦略計画は立案段階でいくつかのシナリオの形で分析して、その中で最適と判断されたシナリオをもとに、戦略計画が具体化されるわけだ。
では、君たちがやるべきことは何かな?
まず現状つまり"As Is"を把握すること、次に業界構造を分析して"To Be"を考え、各戦略要素についてポリシーを設定すること、そして最後にいくつかのシナリオから最適シナリオを決定して、実行計画案を作ること。こんな流れですかね。ちょっと、大変だな。
橘さんは真面目だからな。ポーターは学者だから論理的整合性が重要だけれど、リソース有限の我々実務派としては、今野部長流の重点化しかないでしょう。業界構造の分析から、うちの会社にとってどの戦略要素が重要か、まずはっきりさせることが大事で、その部分を中心に分析をするのではないですか。
それは言うまでもないよ。財務や資材調達も大事だけど、多分、今回の戦略の中核ではないから、こういうものは方向性や目標などの基本方針を定めた段階で、まずは今野部長に相談してみるよ。それより、"To Be"については、ただ分析しても実現の確実性まで考えると、簡単に一つには決められないのではないかな。つまり、検討過程ではいくつかの"To Be"の候補があって、それぞれに適したシナリオがあり、最終的にどの組み合わせが良いのか検討するのではないかな。
依田 そうだね。戦略は全社を巻き込まなければいけないが、王君が言う通り、施策の重点化を意識しないと、成果も漫然としたものになる。目標もそのためのシナリオも、あれもこれもではなく、フォーカスが成功へのカギだということを忘れないことだ。「戦略の要諦は、何をやらないかの決断だ。」なんて極論をする人もいるが、一面の真実ではあるね。
それから、橘君の指摘も正しい。現実には目標は実現性とセットで考える必要がある。当たり前の話だが、一つの戦略目標に至る戦略プロセスは何種類もあり、その中で実現の確実性が高いものを選ぶ必要がある。しかし、取りうる戦略目標も幾つもあり得るし、さらにそれらにもいくつかの戦略プロセスがあり、それぞれ確実性も異なる。理屈では、無数の戦略目標があり、それぞれに様々な確実性をもつ戦略プロセスがある。戦略策定という仕事は、そうした無限の可能性の中から最適解を選ぶということだ。この点は、王君のいうフォーカスの重要性と表裏の関係といってもいい。
先程の勉強した実戦派が強いというのはこの事だ。無限の可能性から要求される無限の選択肢の中から、次々と妥当な意思決定を行えるだけの経験知と実戦的リスク感覚を持つことだ。

5つの競争要因
次に依田さんは5つの競争要因を白板に書き出した。5つの競争要因とは、戦略策定そのものではなく、戦略の本質的な背景となる業界構造の理解のためのフレームワークで、この業界構造とは競争の視点に基づいて構築されたものだ。業界の中で競争している個々の会社は、このフレームワークの中で、いかに他社より優位に立つかを常に模索している存在だ。

5つの競争要因

依田 承知の通り、これがポーターの5つの競争要因だ。5つの脅威とかファイブ・フォーシズとも言うね。一通り読んでいる訳だから、いちいち説明しない。ただ、ポーターの本では1980年代までのアメリカの事例が中心だから、君達には分らないものもあるだろう。どう理解したか少し質問してみよう。
まず、
業者間の敵対関係はすぐ分かるから良いとして、新規参入の脅威について例を挙げて、それに対する一般的な対抗策は何か言えるかな。
例えばスマホ、牛丼、住宅、その他、どんな業界であっても、自社の販売しているものと同じ商品を、それまでとは違う新たな会社が販売を始めるケースです。同じ商品を同じ顧客に売るという意味では、少し古いけど喫茶店とスタバの様なコーヒー店の関係、百貨店とスーパー、スーパーとコンビニやドラッグストア、家電量販店とホームセンターなどの関係も同じですし、書店と通販などのリアルな店とネット通販の関係も同様です。新規参入への対抗策では、第一に参入障壁の構築・強化が重要です。
参入するのは外国企業もあります。古くは世界市場での日本の色々な製造業と韓国メーカーの関係ですね。鉄鋼・造船から始まってPCとその関連機器、携帯電話・スマホ、半導体、太陽電池、液晶なども同じで、日本メーカーを追い越したものが多いですね。一部は台湾メーカーも同じですし、低コスト品については中国メーカーも同じです。中国メーカーは従来は下請け生産が多く自社ブランド品はわずかですが、これから韓国・台湾とも競合するようになると思います。既に中国は、鉄鋼、造船、太陽電池などの生産規模は最大手だし、普及型ドローンの様に中国メーカー先導している分野もあります。日本のメーカーにとって、中国などの下請け生産業者は必ずしも直接の競争相手といはいえませんが、自社の製造部門や国内の下請け業者にとっては競合する強力な新規参入者であったわけです。
依田 では参入障壁とはどんなもの?
参入障壁は、新規参入者にとって、参入の利益を帳消しにしたりマイナスにするような不利な環境等ですが、ポーターによれば主なものは6種類あります。それは、規模の経済や経験曲線による先行者のコスト優位性、製品の差別化、巨額の投資の必要性、顧客のスイッチングコスト、流通チャネルに関する優位および規模とは無関係なコスト優位性です。他に許認可・環境規制などの政府の政策も障壁となることがあります。
依田 新規参入者の脅威に対するそれ以外の対抗策は?
参入への強い反撃の可能性を参入側が感じれば、参入への抑制要因になります。例えば先行者による先制的な大幅値下げや、大規模な設備投資による供給力拡大などです。
依田 では、代替製品の圧力について、どんな例があるのだろう。
写真フィルムとデジカメ、デジカメとスマホの関係、PCとスマホ、ゲーム機とスマホなどが例でしょう。磁気テープ、フロッピーディスク、光ディスク、ハードディスク、半導体メモリーなど記憶媒体の変化はこの代表例ですね。郵便と電子メール、電子メールに対しSNSのようなサービス、新聞とネットなど、多くは技術的進歩に基づくものです。但し、小包郵便と宅配便、コーヒー店からコンビニ・コーヒーの様に商品の本質は大差ないが、その提供方法が変わったとか、スマホの普及で小遣いと自由になる時間が減ってゲーム機が売れなくなったというケースもあります。
依田 スマホの影響力は大きいね。この代替製品の圧力は技術革新に基づくものが多いが、必ずしもそれに限らない。大きな流れは、産業界で言えば自動化・効率化、個人で言えばより便利に、より手軽にとか、より楽しくとかだ。別の形で言えば、モノからサービスへの流れ、機械化・電子化・ネットワーク化の流れ、統合化・分散化・ネットワーク化の流れ、エネルギー・情報・ライフサイエンスなどの技術的イノベーションなどがあるね。スマホの前はパソコンの影響が大きかった。
将来は、ガソリン車からEVへ、ペットからロボットへなどの変化がありそうです。エネルギー関係とかAI関係でも明らかに新しい代替製品が出てきますね。同時に例えば自動運転車やウーバーなどの影響で、タクシー運転手が不要になるとか、職業についても大きな影響が確実です。つまりAIやネットワークがサービス労働者の代替品となる大きな流れで、サービス業の構造を変える可能性が高いですね。
依田 デジタル化が始まる前は、駅の改札係、電話交換手、タイピストなどの仕事に大勢働いていた。もちろん工場の労働者はもっと多かった。
君たちの会社の場合、代替製品の圧力とはどんなものの可能性があるの?
ビッグデータやAIを利用したクラウド上のシステムなどで、脅威になるものが出てくるのはほぼ確実ですね。クラウド型のものは、一旦動き出すと立ち上がりが速いですから要注意です。逆に先手をうつことができればいいんですけど。
依田 そこで先手を打つとはどういうことなのか、君たちの戦略立案の課題だね。買い手の交渉力、売り手の交渉力とはどんなものだろう。
ユニクロみたいなブランド衣料、イオンなどのスーパー、家電量販店などの大規模小売事業者は仕入れについて大きな価格交渉力を持っています。また、Amazonのような大手の通販業者は宅配業者に大きな影響力がある。買い手の交渉力とはこういったことです。小売り業界がどんどん専門化すると同時に大規模な全国展開をするのは、特定の商品分野に集中して、仕入れの交渉力を高めるためでもあります。
アップルのスマホ事業も台数が多いから交渉力が強いので、低価格でハードを外注して莫大な利益を得ています。そのため鴻海は売上高は巨大だけれども、アップルほどは儲からないみたいですね。それでも、利益の絶対額は大変なものですが。
依田 交渉力が競争要因とか「脅威」とかに分類されるのは何故かな。
商品がエンドユーザーに届くまでのバリューチェーン全体で、取りうる利益が一定、例えば1億円とすれば、どの会社がどれだけ利益を得られるかはゼロサム競争です。上流の会社が強くて売値を支配されれば、自社にとって売り手の脅威ですし、下流の会社が強くて売値を値切られれば自社の利益が減りますから、買い手の脅威となります。また、例えば売り手の部品製造会社がより下流にある装置組み立てまで事業領域を拡大する前方垂直統合は、装置製造会社にとってはもっと大きい脅威になります。
依田 逆に言えば、自社にとってはバリューチェーンの中でより有利な事業領域への転進や拡張は大きな戦略施策だ。例えばメーカーが直接販売を始めたり、販売業者が製造工場を持つなどだ。もちろん、その戦略により他社より効率的に事業を運営できる能力を持つことが前提だ。これは、見方によれば市場の選択の話でもあるけどね。


参考
1. 経産省「中小企業の売上高営業利益率」

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