グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第103回)
ウクライナからセネガルへ縦断完成

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :6月号

 最近ヨーロッパの学生の論文を読んでいたら“Optimism Bias”という専門用語に2度出会った。論文の題材がインフラストラクチャ―プロジェクトのパフォーマンスの悪さであるので、すぐに意味が分かった。世界の大型インフラプロジェクトでは10件のうち9件が平均納期超過33%、予算超過23%と、成功は稀であるとされている。これは半世紀にわたって変わってないとのことで、なぜにこれほどまでに失敗を繰り返すのか? オーナーである官公庁・自治体・公共事業体も、初期構想を纏めるコンサルタントも絶対成功へのコミットメントがない、厳しくいえば集団無責任体質が染みついているからとの分析がでている。プロジェクトが上手くいかなくてもお咎めなしか、「うちのプロジェクトだけではないよ」の言い訳ができる、あるいは、大型公共プロジェクトは計画が進んで「帰れずの河」を渡ったら、プロジェクトの遂行に問題があるのが分かっていても中断はできないという事情があるからだ。従って、日本語にすると「確信犯的楽観主義」といえばわかるであろう。東京オリンピックの一連の不始末をみていたら、まさにOptimism Biasがあることがはっきり分かる。最近ウクライナでIPMAのラインハート・ワグナー会長と話をしていたら彼の目下の研究テーマがこれだそうである。英国でも研究が始まった。

 筆者は、かねて、北はモスクワから南はセネガルのダカールまでのプロフェッサーであると宣伝しているが、今月はついに、ウクライナからセネガルへの縦断遠征が初めて完成した。本当はモスクワからにしたかったが、現在ロシアとウクライナは断交状態にあり、今回の北の目的地であるウクライナのキエフからモスクワへの直接の空路は完全遮断、陸路も直行列車は特別の事情がある乗客(違う国に住む親が重病であるとか)のためにある1便のみとなっており、かつてはいとも簡単であった両国の行き来はできなくなった。
 5月12日パリ発ウクライナ国際航空便がキエフ上空に差し掛かった際には涙がでるほどうれしかった。美しい国、優しく教養がある人達、ヨーロッパ一二の食味、そして何よりも筆者を大変評価してくれる国であるウクライナには、対ロシア紛争と経済状況悪化のため、2年半行けなかった。やっと戻れたという気持ちが柄にもなく涙を誘った。
 今回は首都キエフのみの訪問で8日間滞在したが、ウクライナPM協会の年次国際大会で基調講演を行い、所属するキエフ国立建設・建築大学で、1日P2M講義と半日のサービスサイエンス講義を行い、また総長以下大学幹部と懇談するなど名誉教授の仕事を果たした。ウクライナ全土の国立大学から大会に参加したPM専攻の教授達と旧交を温め、次回のウクライナ縦断セミナー(通称「巡業」)のアイデア出しに沸いた。2年半のブランクはなく、無事縄張りを守ることに成功した。
 ウクライナは相次ぐグリブナの下落で、ドルベース換算であると、私が居なかった2年半で給料は4分の一になり、光熱費の急騰(給料の4?7割)、社会保障費負担の増加で人々の生活がどのように成り立っているのか良くわからない。外見の生活の質は上昇しているほどだ。
市内はきれいな車で溢れている。逆に外国人には天国みたいになり、3星ホテルは朝食付きで3千円以下、サラダ+スープ+メインの昼が2百円、6名で豪華なレストランでのディナーが7千円といった具合である。従ってEUからの観光客が増えた。

PMキエフ大会での基調講演 サービスサイエンスの講義で学生と
PMキエフ大会での基調講演 サービスサイエンスの講義で学生と

 キエフから空路3時間でパリ、パリで乗り継いで5時間半でダカールに着いた。パリに着いたら、いつになく入出国のチェックが厳しい。その時は分からなかったが、移動の日はエジプト航空機の墜落事故が起きた日であった。この北から南への移動は合計12時間かかり、普段長いフライトでも退屈しないが、このエールフランス機がモーリタニア(モロッコの南)の上空に差し掛かった頃から飽き出した。エールフランスのエコノミー座席は、アフリカ路線が稼ぎどころであるので、機体は新しく、席の幅もレッグスペースも通常より3割は多くとってあるが、それでもアフリカ人の巨体が入ると大変窮屈である。

 昨年12月のセネガル出講の際は、いつになく体調が悪く、またクリスマスシーズンで出来のよいカトリック教徒の学生が居なくて教師と学生の波長が合わずに苦労したが、今回はウクライナでの活動から直接出向いて肉体的には疲れていたはずだが、大いに盛り上がって指導を終えることができた。セネガルの学生(博士課程生)は英語が分かっても発表や発言は必ずフランス語でやるので(これはフランス植民地時代の文化の影響による)、当方よく理解できることは決してないが、何とか話しているポイントをつかめないと仕事にならない。世界きっての論客であるセネガルの知識人は話が長いので、発言は2分以内に、それで治まらないのは頭が悪い証拠よ、といくら諭しても長広舌は続く。そういうときは、自分の研究室にいるから終わったら呼びに来いと伝える。タナカも大変だから俺たちも英語でやろうよ、なんてことは決して考えない。しかし、セネガルのエリートである学生とは大変仲良くしており、彼らのど壺にはまったようなものだ。漆黒の顔の学生達は見分けがつきにくいのが一苦労だ。

 セネガルはホテルが結構高いので、いつもマンションに滞在している。邸宅の持ち主が、2階とか3階をまるごとウィークリーマンションにしたものでレジデンスと呼ばれる。今回3泊したのは、3LDKに応接間と広いベランダ付であった。セキュリティーがよく、広いのでくつろげる。賃料は1日数千円であり、かなり安い。一人で住むのは心もとないので、強靭な大学の万能スタッフが見張り役兼ドメスティックアシスタントで同居してくれる。

 セネガルも頑張って国際P2M実践者認定も50名を超えた。一人頭GDPが日本の30分の一の国で、フィーを払って認定を受けることは大変なことだ。

研究セミナー参加の学生 熱弁を振るう学生キャプテン(大佐)
研究セミナー参加の学生 熱弁を振るう学生キャプテン(大佐)

 この原稿を書き上げた今はパリのシャルル・ドゴール空港にいる。ダカールからパリに着いたのが午前6時、羽田行きの全日空便は20時発であるので14時間ほどの乗継となる。セネガルは東京から通しのチケットを買うと割引運賃でも40万円を超えるので、パリで分割して半分に抑える技を使うが、この場合はスーツケースを通しで預けることができず、またラウンジは全日空側しか使えないので、10時間くらいは空港内の静かで、安全な待合席を探して移動しながら書き物をして過ごす。

 来月(6月)は初めて北京の清華大学で論文発表のお誘いを受けたので、よろこんで引き受けることにした。  ♥♥♥


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