グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第102回)
頭のキレとは何か

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :5月号

 東京六大学野球が好きな筆者は、東大宮台投手(法学部3年生:湘南高校出身)の2週連続の快投(惜しくも両試合とも9回裏に1点を失いサヨナラ負けしたが)に大変興味を持った。145キロの速球にキレがあると報道されている。スポーツで言うキレとは、いまひとつよく分からないが、投手でいうと、表示の球速以上にスピード感と鋭さを打者に与えるという意味のようだ。どうやら投手のセンスが一役買っているようだ。
 4月20日、この一年心血を注いできた私の教育プロジェクトの一つが無事終わった。フランスの大学院大学で指導教員として担当していた3名の博士課程生のうち、3月23日の最終論述試験に合格して学位取得は内定したが、最終論文の提出が残っていた3番目の学生にぴったり付いて修正の指導をしていた。5名の審査員からかなりの修正指示が出て対応は大変であったが、無事終わり期限内のこの日に大学院に提出ができた。
 通学制ではなく、大学院所在地(フランス)、学生居住国(セネガル)、指導教員居住国(日本、インド)、研究科長居住国(英国)、論文試験官居住国(米国、クロアチア)と世界をまたぐバーチャル環境のなかで、時間観念がアジア人とは異なる社会人学生にプレッシャーをかけながら指導を行うのは実に大変であった。この学生についてはクロ―ザー的リリーフ指導教員として最後の6か月の担当で結果を出させる役で、最後は半徹夜が3日続いた。このような際に時差が9時間あるということは実に都合がよかった。
 1980年代から外国人の指導を行ってきて、いつも感じることは、学生のセンスのよさ、つまり頭脳のキレ、には個人のレベルの差とは別に、国や民族による傾向があるということだ。筆者自身は、頭は決して良くなくて、経験つまり慣れで指導者側をこなしていることを強く自覚している。それだけに世の中の頭の良い人の違いというのは明確にわかる。指導をしていて、学生の学習や研究の効率が大きく異なるのは現実だ。
 定量的調査を行ったのではなく、あくまで個人的な観察であるが、フランス、英国、ドイツ、ノルウェイの学生は実に鋭い。アジアでは韓国、ベトナムとバングラデッシュの大学院生に頭の良さを感じる。イランも良い。
 教育界ではNature対Nurture論争が何十年も続いている。持って生まれた頭の良さが才能を決めるのか、才能は教育訓練で身に着けるのか、という論争であるが、国の教育制度やキャリア制度も2つのいずれかに分かれているそうだ。たとえば日本はNurture説に立ち、皆に平等に機会を与えるのに対し、フランスはNature説で、早い時期から選抜制となっている、など。このコラムでどちらが良いかを論じるつもりはない。ただ、頭の良さは遺伝子より幼い頃からの学習環境によるという説には与したい。筆者はかつての勤務先で自分の回りは難関の工学部出身者ばかりであったが、親も工学者かとの問いに65%程度は肯定の返事を貰った。子は、一番身近な社会システムである家族のなかで、親を見て育つ。
 筆者は頭の良さを「知的生産性」(intellectual productivity)と言っていたが、研究者は 「認知能力」(cognitive ability)だと言う。認知能力は、Merriam-Webster辞書によれば、思考力、理解力、学習力及び記憶力から構成される。
 筆者の東ヨーロッパの大学での仕事仲間の中年の女性が、オーストラリアの名門大学で博士号を取得したが、彼女が最初に指導教授に言われたことは、あなたはcognitive abilityが足りない、ということだったそうだ。どういう意味か、はじめは分からなかったというが、その意味に気づき、これはいけないと、多角的な学習に励んだとのこと。身につまされる話だ。
 筆者の理解では、認知能力=問題意識 x 学習時間 x 学習トピックスの幅(世の中への広い関心、広く言えば世界観)x 集中力(目的志向)x システム・センス、だ。システム・センスとは、トピックス間の連関性がどうなっており、それがどのような上位問題に結びついているかを見抜く力であり、記憶力に大いに関係する。また、集中力を上げる基礎力ともなる。
 いかがなものであろう。
 5月は10日から2年半ぶりにウクライナに行く。  ♥♥♥


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