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「エンタテイメント論」(98)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :5月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

6 創造
●発想阻害排除法 ④
 優れた発想は、発想を阻害する「環境」を排除し、発想に集中する事に依って生まれる。


●物理的阻害環境
 発想を阻害するものは、目、耳、鼻、肌などの5感に訴える「異物感を抱かせる悪環境」である。それは、周囲の落ち着かない色、キラキラ光る強い光線、逆に真っ暗闇、騒音、叫び声、動物の唸り声、異臭、鼻につく強烈な匂い、激しい振動、吐き気を起こす上下左右の揺れなどである。

 これらの物理的阻害環境は、障害物以外の何物でもない。可能な限り排除し、快適な環境を作らねば「豊かな発想」など絶対に生まれない。至極当然な事と誰しも認めることだ。

出典;障害物 Yahoo USA 出典;障害物 Yahoo USA

●精神的阻害環境
 しかし至極当然の事として排除する物理的阻害環境の問題も、ひとたび精神的阻害環境の問題になると一変する。誰しも至極当然の事として排除しようとしても精神的阻害環境は簡単に排除出来ない。出来ないなら、出来る解決策を見付けようと探しても、これまた簡単に見つける事が出来ない。これこそ最も厄介な発想阻害要因である。

 しかしこれを排除しない以上、「優れた発想」は生れないのだから、何とかせねばならない。以下に精神的阻害環境の実例を紹介しつつ、その解決策を探りたい。

 なおこの精神的阻害環境の問題は、「発想」だけに関係したことではない。通常のルーティン・ワークにも大いに関係する問題で、排除する必要性は発想と変わらない。

●精神的阻害要因となる日本人の「対人感情」 その1
 多くの日本人の場合、質問すると相手は「疑われた」と、意見を言うと相手は「反対された」と、批判すると相手は「(人格を)傷つけられた」とそれぞれ心底で感じる。

 しかし実際には疑って質問したのでなく、単に分からないので尋ねた場合もあろう。反対のためでなく、お役に立って貰おうと意見を述べた場合もあろう。考え方が偏っていると批判しただけで人格まで傷つける意図は全くなかった場合もあろう。しかし相手はそう取らない場合が多い。

 また多くの日本人は、相手が上記の様に感じるだろうと考えて、人前でも、1対1でも、あまり質問しない、意見を言わない、また批判しない。また発言者は質問する時、意見を言う時、批判する時、細心の注意をして発言する。「反対する積りはありませんが、少し意見を言わせて下さい」と予めことわって発言するなどがその典型例である。

出典:ディスカッション DMTEyN2R.HP
出典:ディスカッション DMTEyN2R.HP

 この様な「対人感情」の環境下では、自由な質問、自由な意見、自由な批判は絶対にできないそして「そもそも議論」ができない。

●精神的阻害要因となる日本人の「対人感情」 その2
 しかしこの対人感情は、酔った時、親しくなった時、身内になった時、一挙に崩れ、「本気と本音」で質問し、意見し、批判する様になる。

 酔った勢いで、親しくなった勢いで、身内になった勢いで、日頃の細心の心使いは消え、好き勝手に質問し、好き勝手に意見し、好き勝手に批判する様になる。これも多くの日本人の「対人感情」である。

 特に問題となることは批判の在り方である。細心の配慮がないと相手の人格を傷つける場合が必ず起こる。「親しき仲にも礼儀あり」をわきまえないと、発想どころか、大変な結果を産む。

 長年連れ添った妻や夫の仲でも、批判は、注意を払って行なうべきである。「貴方(貴女)にそんな事を言われる筋合いはない!」と相手を怒らせる。この人格を傷付ける批判を蓄積させると、どちらかから突然、離婚の最後通牒を突けられる事態が起こる。その悲劇の最大の犠牲者は、子供達である。

出典:夫婦喧嘩 canstock20997587のHP 出典:夫婦喧嘩
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 日本人のこれらの「対人感情」は、将来変わるだろうか? 変わらないと考えている。何故ならこの様な「対人感情」の在り方は、良い悪いは別として、日本人社会で円滑に生きていくため対人姿勢や対人関係の在り方などと共に本人の思考と行動に組み込まれ、歳を経て深層心理にへばり付いたためではないか。ならば「真の議論」をするためには、「優れた発想」を得るためには、どうすればよいのか?

●玉座から降りて議論する「ダライ・ラマ」
 筆者はダライ・ラマに会った事も、彼の講演を直接聞いた事もない。従って以下に紹介する伝聞情報は本当か? 嘘か? 分からない。しかし筆者は、ニューヨーク在米中にダライ・ラマの一族の某人物と付き合っていた時、彼から聞いた話とも一致した。

出典:ダライ・ラマ yahoo.com/search/images; 出典:ダライ・ラマ
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 ダライ・ラマは、重臣達と議論する時、王座から降りて、重臣達と車座になって対等の立場で質問し、意見し、批判し合った。その議論から結論が出た時、彼は玉座に戻り、その結論を公式に決定し、しかるべき手続きを経て実行したと言われている。

 この逸話が本当なら彼は、「議論」のあるべき姿を、「優れた発想」を得る術を知っていたことになる。

ダライ・ラマ (Dalai Lama,) は、チベット仏教の最上位クラスの「師」である。「海」を意味する「ダライ」と「師」を意味する「ラマ」の合成語。現ダライ・ラマ14世は、チベット動乱の結果として1959年発足した「チベット臨時政府(中央チベット行政府、通称チベット亡命政府)」において2011年3月に引退するまで政府の「長」を務めていた。彼はチベットとチベット人の守護者の象徴という精神的指導者として位置づけられている。

●円卓の騎士
 この話も本当か? 嘘か? 筆者は分からない。英国アーサー王に仕えた騎士が円卓を囲んで王への忠誠を誓い、国を守った。キャメロットの城に在る円卓を囲んで王と騎士達が議論した。その事で「円卓の騎士」と言われた。上座下座のない円卓が用いられたのは、卓を囲む者すべてが対等であるコトを物理的にも示すためと言われている。

出典:円卓の騎士 CiMTE4LgAAAA 出典:円卓の騎士
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 「地位」、「身分」、「家柄」などの違いが支配すると「自由な議論」、「束縛されない意見交換」が出来ない。まして「自由発想」は制約される。それを打破するための試みは、昔から、いつの時代でも行われてきた。

 さて上記の日本人の「対人感情」は、日本だけのものか? どの民族も多少の差はあっても共通して存在するものか? 議論したい課題であり、議論すべき課題だ。しかし紙面の関係で割愛する。

 筆者は、夢工学式発想法を活用し、グループで「自由発想」する時は、参画者全員に、上記の「対人感情」を排除する事、上記の「逸話」などを話し、全員が「対等感」を持って議論し、発想する事を強く、必ず働き掛ける様にしている。

 発想は、仲良し倶楽部の雰囲気で行う事も重要だが、それ以上に妥協を許さない厳しい質問、意見、批判は特に重要である。なお「ブレーンストーミング」は、自己批判、他人批判を禁じている。しかし禁じても深層心理で批判していたら全く効果はない。「夢工学式発想法」は、その様な無理な事を求めない。とにかく自由奔放に想像し、連想し、発想する事を求める。しかし人格批判は、常識として慎む様に参画者には求めている。

つづく

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