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英語とイノベーション (3/3)

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :4月号

 今月は、3連載の最後だ。まず、英語の歴史に触れた前々号を振り返る。現在の英語は、主に5か国語が混じり合ったハイブリッド言語である。それぞれの言語を話す人々は、ブリテン島の外から順に渡来、その後、ブリテン島を支配し、統治し、やがて君臨した。英語という言語の中には、5か国語以上の異質な概念、意味、論理、説明、理由、思想、さらには、文化が混在した。多様性を組み込んだ言語で、ブリテン島の人々が使った言葉が英語だ。当然、その英語を話す人々もハイブリッドだ。ただ「英国」という国の概念と国域は、狭義の「ブリテン島とその周辺の国」から「広義の英国、大英帝国」まで拡大し変化し続けた。以下、「英国」とは狭義の意味で用いる。現在の英国のイメージである。

 前号では、イノベーションの研究者達がイノベーションを起こすには多様性が重要な役割を果たしていると結論付けたと記した。実際、英国人は、多くのイノベーションを生み出し、労働生産性を上げ、世界の富を集め、「日の沈まない国-大英帝国」を築き上げた。それは果たして言語の多様性から生まれたのであろうか。

 ルネッサンスが花開いた15世紀以降では、欧州大陸の大国フランス、ドイツ等の国々でも、英国と同じ経済発展の機会があったはずである。しかし、欧州大陸では勃興する国々が隣接し、戦争を繰り返し消耗しあった。コロンブスが新大陸に到着した以降、大航海時代が到来した。富は次第に貿易によりもたらされるようになった。まず、大西洋を臨む欧州の周辺国ポルトガルが短期的に制海権を握った。その後、メキシコで銀鉱山を発掘したスペインが、膨大な富を利用して制海権を握った。いずれも地政学的な有利さを活かしたといえる。ただ、2国とも僧侶が社会を支配する中世キリスト教の世界観であった。1517年に起きた宗教革命は、この呪縛から人々の心を解き放つきっかけとなった。その動きは中世キリスト教“カトリック”が支配する欧州大陸の中心部を避けるように、周辺国オランダ、ベルギー、英国に広がった。新教徒は、抵抗する人“プロテスタント”と呼ばれた。

 1534年に英国国教会が成立した頃、カトリック系スペインの植民地であったプロテスタント系ネーデルランドが、宗教的な締付けに抵抗・独立しオランダとなった。プロテスタントは勤勉だった。当時、スペインと植民地権益をめぐり繰返し抗争したのは英国だった。2国が世界各地で争っていた隙を突き、オランダが瞬く間に制海権を握り、植民地貿易の覇権を握り、やがてアムステルダムは世界の金融と貿易の中心となった。英国に数年遅れて創った東インド会社(株式会社)が、人々をしてリスクに果敢に挑戦させた。

 その頃のイタリアは都市国家が互いに争い国家が統一されていなかった。ドイツは、30年戦争などで消耗していた。その後、17世紀の英国で、清教徒革命と名誉革命が起き、王政が倒れ、国家運営の中心が、僧侶と貴族の上流階級から民衆に移った。現在と比べるべきでないが、それ以前の時代に比べ、頑張れば報われる社会が実現した。農業革命により生産性が向上し、農業労働者が飢えから免れ人口が増え、勃興する工業への労働供給源となった。ブリテン島には、幸い、欧州大陸の社会を支配したような強力な大王家や超富豪も育っていなかった。欧州大陸の大国から狙われる富の源泉となる資源や文化的魅力も無かった。更に、大陸からの直接的干渉を逃れられるドーバー海峡を隔てた辺境の地であった。ただ、そこには、英語を話す寒さに強くバイキングの血を引き継いだタフで勤勉な人々が住んでいた。

 ハイブリッド言語の英語を使い、多様性があり勤勉なプロテスタントの英国は、数多くのイノベーションを起こした。国力が富み、やがてスペインの無敵艦隊を破り、更にはオランダも破り、大帝国への道を歩み出した。その間に、ブリテン島では、増加した工業従事者が労働者階級を生み出す、都市では生活が向上した中流階級が増え、富を蓄積した地主貴族階級も育った。いわゆる、産業の発展に必要とされる「三階級」が徐々に形成された。資本、労働者、そして、新しいモノやサービスを受け入れる消費社会だ。そして産業革命が起きた。英国で産業革命が始まった要因として、原料供給地および市場としての植民地の存在、清教徒革命・名誉革命による社会・経済的な環境整備、蓄積された資本ないし資金調達が容易な環境、および農業革命によってもたらされた労働力、などが挙げられる。

 世界史に目を向ければ、最初の工業国家の英国では、産業革命を期に、さらなる貿易の拡大や、現在にも繋がる国際分業体制の確立といった地球規模での大変化、すなわち大イノベーションが始まった。清教徒革命が起きる前、自由を求めた清教徒がフロンティア米国に向かったのは1620年である。産業革命の波は次第に米国にも訪れ、1776年に米国は英国から独立を果たした。やがて、統一されたドイツ、イタリアやオーストリアハンガリー帝国などが相次いで力を付け、英国は欧州の戦火に巻き込まれる。1914年から始まった第一次世界大戦の結果、世界の覇権は当時辺境国であった米国へと移った。

 米国は、英国からの移民を中心に、戦火を逃れたドイツ、ロシア、北欧、イタリアからの移民を受け入れ、既存のスペイン領、フランス領を駆逐して19世紀中ごろにはほぼ現在の国土を得た。主たる母国英国が辿ったように、多くの移民などにより英語は更に変化し「米国の英語」となった。多様性は、当初奴隷だった黒人や原住民を巻き込み拡大し、旧来の英国よりも多様性のある国家を作り上げた。米国民の多くは勤勉なプロテスタントだ。英国で起きた大国への過程が、米国にて繰り返された。干渉されない辺境の地、貿易による富の蓄積、多民族国家の多様性にも恵まれ、イノベーションが相次ぎこの国で起きた。

 さあ、この3回の連載では、「多様な英語がイノベーションを起した」のではないかとの仮説を立てた。しかし、この仮説は単純過ぎて多分に無理があったかもしれない。しかし、英語を母国語とする英国・米国の勃興を鑑みるに、英語とイノベーションが無関係であるとも断言出来ないのではないだろうか。

以 上

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