PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(96)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :3月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

6 創造
●発想阻害排除法 ③ その2
優れた発想は、発想を阻害する「発想ルール」、「発想マニュアル」等を避け、発想に集中する事によって生まれる。


●KJ法とNM法の発想技術の習得
 筆者は、昔、川喜田二郎先生から直伝で「KJ法」を学び、「免許皆伝」を得た。また「NM法」は、中山正和先生から同じく直伝で学び、「免許皆伝」を得た。前者は「帰納的発想法」、後者は「演繹的発想法」と筆者は勝手に概定義している。そして両者を様々な事に活用し、その効果を得た。

 しかし問題があった。それは、KJ法も、NM法も、その「発想テクニック」を習得するため大変な努力と時間が掛かったことであった。また習得した発想テクニック、発想ルール、発想マニュアルに縛られ、発想に集中できず、自由発想がやや制約されたことである。しかし他の発想法と異なりKJ法とNM法は、一度はその方法論を習得し、実践に活用することを勧めたい。それだけの価値が大きいからである。

出典:KJ法のステップと例示 image.search.yahoo
出典:KJ法のステップと例示 image.search.yahoo

●KJ法
 KJ法では野外調査結果で得たことをすべてカードに書き、そのカードを数千枚にするまで蓄積し、それらのカードが自然に語り掛けてくる事を待ち、帰納化する。時に気の遠くなるほど大変な作業を伴う。

 筆者は、今も記憶しているが、約3000枚のKJカードを前に茫然自失となった。しかし何とかせねばならない。とにかく悪戦苦闘し、累積するカードが自分に語り掛けてくるまで頑張った。

 その苦戦作業の過程で少しずつ「何か」が直観されてきた。その直観を信じて、少しずつ高山を登る様に、KJカードを纏めていった。そして数日後、遂に帰納され、満足のゆく結論が導き出された。その瞬間、大きい解放感と深い感動を感じた。

 約3000枚のカードの中の数枚の「一匹オオカミと言われるKJカード」が最初から最後まで存在した。この数枚が約3000枚のKJカードから導き出された幾つかの結論をいずれも象徴するKJカードとなった。驚いた。

 実際の事業経営の世界にKJ法を適用すれば、3000枚どころではない。3万枚、30万枚のKJカードが集まるであろう。これを相手に事業経営のあるべき結論を導き出さねば、真の経営をしたことにはならない事を筆者は、その時に悟った。

 筆者が新日本製鐵(株)勤務時代、KJ法の免許皆伝を得たので、本来職務と兼務でそれを同社の全国の製鉄所を巡回して多くの社員に教える事を上司から命ぜられた。学ぶ事も大変であったが、教える事は更に大変であった。参加者は全員、社員施設やホテルに泊まり込み、数日間の昼夜兼行の荒研修を行った。その研修効果は、同社の自主管理活動に役立った。

出典:KJ法の研修風景 img-cdn.jg.jugem.jp
出典:KJ法の研修風景 img-cdn.jg.jugem.jp

 KJ法は、現在も多くの人に使われている。しかし昔もそうであったが、今はもっと誤解されて活用されている様だ。いろいろな意見やアイデアを数多く出し、KJカード(今は、ポストイット)に書き込む。それを「似たもの」で集め、それに表札を書き、いろいろな分類で纏める。意見やアイデアの分類整理にKJ法を使っている。しかしKJ法は、分類整理法ではない。発想法である。

 また出された意見やアイデアの数は、数百枚レベルで千枚になる様な作業をやっていない。更に似たカードを集めるといっても、AカードとBカードをある基準、例えばモチベーション問題を論じたカードだからと纏めるだけ。

 KJ法では、AカードとBカードで表現した事柄を引き起こした「共通の原因」とは何か?それを探求し、その原因内容を一行見出しで書いてCカードを作ること又はAカードとBカードが原因となって引き起こした「共通の結果」とは何か? それを探求し、その結果内容を一行見出しで書いてDカードを作ることなどを行うことが求められている。更にAカードやBカードから想起されることを書いてEカードを作ることなど連想、類推、発想などをKJ法で行うことである。

●NM法
 NM法は、KJ法の様に数千枚のカードに書くことは要求されない。しかし頭に浮かんだことは直ちにカード化し、それを基に様々な事をシネクチックス(synectics)的に演繹化してアイデアを発想する作業を行う訓練をさせられる。昔は、その訓練研修は、数日ホテルに泊まり込み、昼夜兼行で行われた。

 KJ法は問題の本質が何かを帰納する方法論であるが、NM法は明らかになった問題の本質を解決するために何を演繹すべきかを具体化する方法論である。発明のための発想法とも言われている。


 筆者は、今も記憶している。解決せねばならない具体的な課題を前にどうしてよいか分からず、苦悶した。それは、「滑らかに書けて、折れない鉛筆」を如何に作るか? であった。滑らかに書ける材料を鉛筆に使うと、柔らかく、折れやすい。折れない材料を使うと固くて滑らかに書けない。

 この課題は、この研修を受講した某鉛筆メーカーの技術系社員が提示した課題であった。NM法の指導者である中山先生は、二律背反(Tradeoff)の難問を研修の格好の課題の1つに選んだ。同社員は、MN法の研修に先立ち、同メーカーの上司から「未解決な課題をNM法が解決できるか見極めて来い」と命令されたとのことであった。

 筆者は、現在、夢工学とPMを専門分野としている。しかし昔は、その様な工学も、技術も存在しなかった。しかし日本と米国の価値工学(VE = Value Engineering)の技術者としての資格は持っていた(前者:産業能率短大(現在の産業能率大学、後者:米国ニューヨークVE協会から取得)。そのためVEの技術(機能分析)と習いたてのNM法を頼りに課題解決に取り組んだ。


 しかし鉛筆に関する技術は全く分からないド素人だった。にも拘わらず、この難問な課題を研修の場で与えられた。しかも各社から参加した受講者の殆どは、帰属分野の固有技術者であった。そのためか自社の名誉を掛けて課題解決に挑戦する緊迫した雰囲気が漂っていた。筆者は彼らの競争心に圧倒された事を記憶している。

 しかしその集団の中で一番緊張していた人物は、この課題を提示した某鉛筆メーカーから参加した同社員であった。筆者は、彼と同じ研修グループに属して難問課題の解決にNM法を使って挑戦する事になった。鉛筆の技術に関して彼は専門技術者である。その彼も、彼の会社も、この難題を解決していない。そんな難問を、NM法を活用して、研修の場で解決するだろうか? この課題に挑戦する彼に同情した。その挑戦の過程は、紙面の関係もあり、次号で紹介したい。

つづく

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