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英語とイノベーション (1/3)

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :2月号

 「イノベーションの起きやすい国」の指標としてノーベル賞の国別の獲得数をあげることが多い。2015年の獲得数のトップ 3位は、絶対数では米国 (339人)、英国 (110人)、ドイツ (82人)だ。 (ノーベル財団HP@2015 を含む) 人口百万人当たりのノーベル賞の数では、人口が極端に少ない (1,000万人以下)スイス (3.5人)とスウェーデン (3.3人)を除くと、トップ 3位は、英国 (1.8人)、米国 (1.1人)、ドイツ (1.0人)である。ちなみに、日本は、獲得数 22人と 0.2人 (切り上げ) だ。また、世界史上、世界に君臨したのは 19世紀の大英帝国である。この事実から、英語がイノベーションを引き起すのではないかと仮説を立ててみた。本号から 3回に渡り連載する。本号では、あまり知られていない英語の歴史に触れる。

 英語は「母国語」として使う国以外に、多くの国では「外国語」として教えられている。「母国語」として話されている主な国はアメリカ合衆国 (米国)、イギリス (英国)、カナダ、オーストラリア、アイルランド、ニュージーランドの 5か国であり、人口の合計は 4億4千万人だ。それに加え、英語を「第 2 言語」としているインド、パキスタン、バングラディッシュなどを含めると、合計約 20億人だ。世界人口のおよそ 4人に 1人が実際に英語でコミュニケーションをとっている。現在、世界共通語と云われるゆえんだ。「第 2 言語は主に歴史的な経緯で英語が事実上の公用語として機能しているような社会において典型的に母語に加えて習得される言語」とある。

 一方、「外国語とは英語が政治や教育などにおいて戦略的に重要な言語と位置付けられて母語に加えて習得される言語」だ。日本での英語は「外国語」であり、中学生から義務教育として英語の授業を受け始める。何故英語を勉強するのか。中学時代の自分には、母国語として使われている先進国の英国と米国が、他国に多大な影響力を持っていることで、大勢の人が利用しているからコミュニケーションに便利であり重要である程度に考えていたと思う。 19世紀の大英帝国と 20世紀以降の米国合衆国の政治・経済・社会・文化大国のイメージがその思いに重なっていた。英文の中にギリシャ語やラテン語由来の単語を見つけると、ローマ帝国の支配下で影響を受けて部分的に補強されたとか、第 2 外国語として学んだフランス語やドイツ語等に英語の綴りに似た単語が多いと、大英帝国の影響を受けたとか、すべて先行して習った英語を思考の中心に置いていた。偶然に英語史に触れた際に、英語に対する自分の理解が完全に間違っていた事に気付いた。英語史をご存じの方も多いと思うが、イノベーションとの関連性を今回の話題としているので、ざっとおさらいする。

 紀元前 10世紀にわずかな先住民しかいない未開のブリテン島に、欧州大陸から鉄器文化を持つケルト人が入り込み、わずかの期間で島全体にケルト文化を普及させた。その後、紀元前 1世紀にローマ帝国が侵攻し、激しく抵抗するスコットランドを除き、紀元後1世紀にはローマ帝国の完全な被支配地となった。ローマ人の支配者層はラテン語を用いたが、被支配者の住民に対して強制的にラテン語に変えさせることはしなかったので、多くの住民はケルト語を話し続けた。しかし、当時のケルト語は、現在の英語には残っていないという。

 ローマ帝国の衰退とともにブリテン島に力の空白が生じ、そこに現在の北方ドイツ、デンマーク、北フランスに渡る地域に居た人々が入り込んだ。彼らはアングロ人とサクソン人で、アングロサクソンの由来である。彼らは、彼らの言葉は異なる方言と云える程度の違いで、言語的類似性が高く、お互い通じ合えた。この言語をひとくくりに、現在「古英語」と呼んでいる。これが英語の起源であり、紀元 5世紀、1500年前の頃だ。当時、ブリテン島にはアングロサクソン系王朝が成立したが、8世紀半ばから 11世紀にかけて欧州を席巻したヴァイキングが執拗に攻勢を重ねやがて島を支配した。別のヴァイキングが同じ頃に、フランスの北部地区を支配下に置いた。

 ブリテン島で話された「古英語」とヴァイキングの言語である「古ノルド語」とも言語的類似性が高かったため、共存するようになった。この時「古英語」は、古ノルド語から大きな影響を受け変化していった。一方、北フランスのヴァイキングの末裔が住む地は、ノルマンディと呼ばれた。その意味は「北から来た人」だ。彼らは英国を征服したヴァイキングと違い、フランスに同化して現地のフランス語を習得し話すようになった。皮肉なことに11世紀中頃、そのノルマンディ国が英国と覇権を争い、ブリテン島を占領してしまった。後に英国史上最大の事件と云われた「ノルマン征服」である。その後250年間に渡りその支配が続いた。その間、公用語はフランス語となり、支配階級ではフランス語の話者が増えていった。しかし、9割以上を占める庶民は「古英語」を話し続け、その為、バイリンガルも多く出たという。時がたつにつれ、支配者階級が使う公用語としてのフランス語が広く人々に流通した。語彙、発音、形態、統語、意味、語用、綴り字に影響を与え英語は大きく変化した。その混合語を「中英語」という。

 モンゴル来襲で弱体化した 14世紀の欧州に、さらにペストの大流行が追い打ちをかけた。ペストによる死亡者は、特に英国とフランスは著しく多く、農牧民を中心に人口が半減した。農牧が富の源泉であった貴族階層は危機感を持った。その後国力が回復したパリを中心とするフランス王朝は、フランス北部のノルマンディ領有を企み、英国領ノルマンディ国に戦争を仕掛けた。兄弟喧嘩のような戦争は「100年戦争」と呼ばれ1世紀に及び、ジャンヌダルクが現れ、英国がノルマンディをあきらめるまで続いた。しかし、歴史は皮肉で、この大陸からの撤退が後の英国には幸いした。

 その後、英国は巨大帝国となる。現代英語は、ケルト語、ラテン語、アングロサクソン語 (古英語)、古ノルド語、フランス語の 5言語のハイブリッド言語だ。だが、そのハイブリッド言語だからこそ、イノベーションを多く誘発し、多くの富をもたらし、大英帝国の基盤を造ったのではないか。これは P2M とも関連する。あとは次回に廻したい。

以 上

注 :  多くは「英語史でときほぐす英語の誤解」 (堀田隆一、中央大学出版部) を引用または参照した。

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