例会部会
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「第205回例会」報告

PMAJ 例会部会 原 宣男 : 2月号

【データ】
開催日: 2015年12月18日(金) 19:00~20:30
テーマ: 「はやぶさ 2」太陽系を駆ける
~6年、50億kmを超える長旅へ~
講 師: NEC航空宇宙システム株式会社 小笠原 雅弘 様
講師略歴及び講演概要:   こちら のリンク先の例会案内をご覧ください。

【はじめに】
 「あれから 4年半、2014年12月3日、新たな旅が始まった。6年を要する「はやぶさ 2」の小惑星への往復の長旅が。・・・・・」
 2010年リーマンショックからなかなか抜けられなかった日本に、唯一明るい話題を提供した「はやぶさ」ですが、その困難に満ちた 7年間の苦しい経験が今日の「はやぶさ 2」や「あかつき」に生かされています。今回は、これら日本の惑星探査機の歴史と現在及び今後の計画についてご講演頂きました。
 尚、例会当日は 12月の第¦3金曜日という忘年会に最適な日にもかかわらず、誘惑に負けないで多くの方にご参加頂きました。折しも 12月3日の「はやぶさ 2」のスイングバイの成功、12月7日の「あかつき」の金星軌道投入成功と、日本を沸かすイベントが続き、本当にタイムリーな講演となりました。
 さらに講演の中で、「はやぶさ 2」の地球スイングバイと、小惑星「Ryugu」までの飛行、及びそこでのサンプル採取の様子などの CG¦が講師の解説付きで上映され、参加された方は博覧会のパビリオンさながらの、心ときめく体験ができたのではないかと思います。

【講演概要】
1. 日本の宇宙開発の歴史
<小さなロケット>

 1955年に糸川英夫氏が手に持っていた小さなロケット (=ペンシルロケット) が、日本の宇宙開発のすべての始まりである。
<おおすみ>
 1970年に日本初の人工衛星「おおすみ」が登場する。衛星はその三角帽子の中で、通信機と温度を計るセンサくらいしか入っていない。重さも合わせて 20kgぐらい。だがこれだけのものを上げるのに実は 4回失敗し、5回目でやっと上がった。失敗の連続であった。
 日本の宇宙開発は、このように、失敗からの立ち直りのスタートだった。
<さきがけ/すいせい>
 私が最初にかかわった衛星が 1985年の「さきがけ/すいせい」である。この衛星は円柱形をしている。スピン衛星と呼ばれるもので自らくるくる回ることで角運動量を作りだして姿勢を安定させている。コマの原理である。向かった目標は「ハレー彗星」、接近は 1986年のことであった。
 「さきがけ/すいせい」を太陽系に送り出して感じたことはたったひとつ、電波が到着するのが遅いということ。分単位でないと衛星の様子がわからない。つまり衛星と地球との間で時間差が生じている。これを克服するというのが太陽系を旅する第一歩かなと痛感した。
<ひてん>
 どうしても欲しかった技術は、宇宙を自由に飛ぶ技術であった。もちろん衛星自体が大きく何トンもの燃料を積んでいれば、それは容易であるが、「ひてん」は重さ約 200kgしかなく、積める燃料は高々 40kgくらいしかない。これでどれだけ軌道制御出来るかといったらほんとうにわずかで、宇宙を自由に飛ぶなんて夢のまた夢である。
 ではどうするか、自分でダメなら他人の褌 (ふんどし) を借りることである。私たちの借りた力は、「月の力」である。スイングバイにより月が持っている運動エネルギーを戴きながら、「ひてん」は自分の軌道速度を大きくしたり或いは速度の方向を変えたり、逆に減速することも行った。
 「ひてん」はスイングバイの技術を自分のものにするために打ち上げられた衛星であった。1990年から 1993年まで何度もスイングバイを行い、この技術を自信を持って使えるようになったことが一番大きな成果である。
 「ひてん」は約 3年間、地球、月のまわりを回り、最後には月に衝突するという実験をして終わった。
<のぞみ>
 次の衛星が「のぞみ」で、1998年に打ち上げられた。目標は赤い惑星「火星」であった。
 世の中とはうまくいかないものである。「のぞみ」という名前をつけるくらい惑星探査への望みをいっぱい込めたつもりであったが、通信系等の不具合により望みは絶たれてしまった。
 「のぞみ」はその後、火星のそばまで行ったのはわかっていたが、すでにエンジンを噴射してコントロールすることが出来ない状態になっていた。火星探査の希望はこうしてついえた。

世界の月・惑星探査 1990年代半ばの状況 2. 「はやぶさ」
<なぜ小惑星のサンプルリターンを狙ったか>

 右図の水色の部分は 1990年代半ばまでに人類が達成したミッションである。この分野は一番でなければダメなので、未達成のミッションに挑戦することが必要だ。
 水星を周回したらどうかというと、対応できるロケットが無い。水星は太陽系の内側だから楽に見られがちだが、水星ほど行きにくい惑星はないのだ。
 では彗星はどうかというと、彗星の周回や着陸は当時まだ達成されていなかったが、ヨーロッパが先に手を上げて、探査衛星の名前まで決めてしまった。このプロジェクトの名前が「ロゼッタ」である。 ヨーロッパ人のすごいところは「ニュートン」とか「ラプラス」とか、日本人には到底付けられない歴史上の人物や物の名前を付けてしまうところである。彗星へ行けば「ロゼッタストーン」のように、太陽系の謎を解くことのできるものがあるぞ、と彼らは考えていた。
 では木星とか土星とかはどうかというと、魅力的だが電力の確保に問題がある。木星で地球の 1/25、土星で 1/100、これが得られる電力である。並みの太陽電池ではダメである。ではアメリカはどうしているかというと、原子力電池という奥の手を持っている。
 消去法で残ったところを見ると、小惑星だった。当時小惑星はフライバイしかしていない。着陸やサンプルリターンしたらすごいぞと、これは皆がわかっていた。スイングバイは「ひてん」で十分に経験したものの、わずか 500mの天体への着陸誘導、イオンエンジンの新規開発、無重力下でのサンプル採取機構、超高温に耐える回収カプセルなど未経験で解決すべき課題は多々あった。しかしプロジェクトマネージャの強い意志の元、プロジェクトはスタートした。

<「はやぶさ」帰還までの苦悩>
 2003年5月、「はやぶさ」は M5ロケットという固体燃料ロケットで打ち上げられた。イオンエンジンを一生懸命に吹いて、何とか小惑星「イトカワ」に辿り着くための軌道をたどった。そして、打ち上げから 1年後、地球スイングバイをして、10年前の 2005年11月26日に、ようやくこの「イトカワ」まで辿り着いた。「イトカワ」は 500mの小さな星である。神奈川県にある「江の島」の南北と同じサイズである。
 この時「はやぶさ」と地球の距離は約 3億kmで、光のスピードは 30万kmだから電波が届くまで 1000秒、即ち 16分もかかる。往復では 32分。地球からはタイムリーに操作できない為、この時は「はやぶさ」は完全自律で動いた。「はやぶさ」は、自律型ロボット機能を持った衛星である。
 2009年11月4日最後のイオンエンジンが止まった。しかし、技術者達はエンジンの生きているパーツだけを組み合わせて使う方式を試すという。この方式、エンジンのクロス運転、ここに込められた技術者の細心の心使いに救われ、「はやぶさ」は最後の半年を飛行することができた。
 2010年、「はやぶさ」が帰ってきた。本来であれば「はやぶさ」は地球のそばでもう一度スイングバイし、他の目標に向かうはずだった。残念ながらそれは叶わなかったが、カプセルは無事地球に帰還した。

石井医師が考えた災害対策のキーワードを当てはめてみれば <予想外の事態が起きた時の行動>
 私には、「はやぶさ」が行方不明や、エンジン全て停止になった時の行動が東日本大震災の時の被災地石巻の医師の行動と一緒だったと思えた。
 「東日本大震災 石巻災害医療の全記録~「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の 7カ月」という本を見つけ読んでみた。石巻赤十字病院の石井医師が書いた震災時の記録である。想定外の事態での生々しい虚飾のない記録である。石井医師曰く、何か物事をやるには事前の準備が大事、マニュアルや訓練はリアルでなければならない。震災前、病院にあったマニュアルでは実際に災害に対応できるとは思えなかった為、石井医師はよりリアルなマニュアルに書き換えた。ところが 2011年3月11日にそのマニュアルに書いてあることとは全く違う想定外の事態が起きた。彼はどうしたか。必要なのは①考えること、②行動すること、③人的ネットワークを活用すること。まさにこの対応の仕方が困難な局面の「はやぶさ」と同じだと思えた。石井医師は災害対策の 5つのキーワードを上げているので、それを「はやぶさ」に当てはめてみたのが、上の表で、ピタリと当てはまると思える。

世界の月・惑星探査 2015年7月 現在 3. 次のミッション
 1990年半ばからだいたい 20年が経ち、右図のように、人類がこれだけのミッションを達成した。彗星についてはヨーロッパのロゼッタにより予想通り実現、他の探査機が木星や土星を回り土星の衛星まで追った。そして記憶に新しいが、2015年夏には冥王星まで人類は到着した。
 では次に何をするのか?私には太陽系のフロンティアが喪失したように思える。次に行くべきところのハードルがあまりにも高すぎて行くところがなくなってしまったのだ。
 「はやぶさ 2」は「はやぶさ」と同じように小惑星を探るが、同じことをやったら二番煎じになる。また新たなことに挑戦しなければならない。人類がここ 10年間でできる新たなチャレンジは、火星や、彗星からサンプルを持って還ることが考えられている。木星の衛星に着陸することは、ここ10年では無理だと思う。これから太陽系のフロンティアを目指すのは知恵と物量 (言い換えればお金) の勝負となると考えている。

4. 「はやぶさ 2」
<「はやぶさ 2」の打ち上げ時刻について>

 「はやぶさ 2」が打ち上げられた時刻は、2014年12月3日 13時22分04秒という切りの悪い時刻であった。地球を離れてある目標天体まで行こうという衛星は、決められた軌道に乗るという制約条件下にある為、打ち上げ時刻が決まってしまう。
 「はやぶさ 2」は本来であれば、11月30日打ち上げのはずであったが、2回延びてこの日時になった。つまり太陽系に飛び出す場合には、発射時刻が打ち上げ時の制約となってしまうのである。
<「はやぶさ 2」の飛行>
 「はやぶさ 2」は、「はやぶさ」には無かった 2つのアンテナと 2つの目 (これは星を見て自分の姿勢を知るスタートラッカーというもの)、そして衝突装置 (インパクター) などを備えている。
 2014年冬、H2Aロケット 26号機で打ち上げられ、ロケットから切り離された後、イオンエンジンを 3つスタートさせた。エンジンは 4つあるが、冗長性を高める為に切り替えて使っている。
 その後 1年間、地球軌道に近い軌道を飛んで地球に近づき、2015年12月3日 19時07分にハワイの上空 3,100kmの地点でスイングバイを行った。その時の通過速度は秒速 10.3kmであった。
 スイングバイすると地球からエネルギーを得て軌道は大きくなり、目標である小惑星「Ryugu」に向かうが、軌道の関係ですぐには追いつけない。2年半かかって 2018年夏にようやく追いつく。尚、「Ryugu」は大きさが 920mくらいで、7時間半で回転する C型の小惑星である。
 「Ryugu」に着いたら 1年半くらいかけて「Ryugu」のまわりで、さまざまな観測をしたり、サンプルをとったりし、2019年の冬に「Ryugu」を離れ、一目散に地球を目指す。往きは 3年半だったが、帰りはわずか 1年で地球に帰ってくる。
<スイングバイとは>
 「はやぶさ 2」は、地球の重力が影響を及ぼす境界 (重力圏と呼び、範囲はおよそ 100万km程度) で、だいたい秒速 4.7kmで地球に近づき、地球を離れるときも秒速 4.7kmで遠ざかる。速度は近づく時と変わらない。ではスイングバイの効果は何か。
 「はやぶさ 2」の太陽を回る速度ベクトルは、地球重力圏に入ってくる「はやぶさ 2」の速度ベクトルと地球の公転速度ベクトルの和である。地球に対する「はやぶさ 2」の速度に変化が無くても、地球の公転速度 (秒速 30km) とのベクトル和は重力圏に入ってくる時と出ていく時で大きく変化する。これにより太陽を回る「はやぶさ 2」の速度が、秒速 30.3kmから秒速 31.9kmに加速される。この差がスイングバイによる加速量となる。
<「はやぶさ 2」のサンプル採取>
 「はやぶさ 2」は何回かのサンプル採取のあと、インパクターを分離、「はやぶさ 2」本体が小惑星の裏側へ避難すると、インパクターが爆発して弾頭部だけが秒速約 2kmで「Ryugu」に打ち込まれる。
 「Ryugu」の表面に直径 3mくらい深さ 30~40cm (クレータの大きさや深さについては表面の状態で大きく変わる) のクレータができ、中の物質が露出してくるので、これを採取する。この方法を使うのは、太陽の光で焼かれていないフレッシュな物質を採取する為である。「Ryugu」は炭素や水などの有機物を含んでいると思われ、有機物や地球の水のルーツを探る手掛かりになるかもしれない。

5. 「あかつき」
<「はやぶさ」を継ぐもの>

 「はやぶさ」を継ぐものは、「はやぶさ 2」だけではない。「あかつき」もまたその後を継いでいる。
 「あかつき」は、2010年12月7日、メインエンジンに点火したが異常燃焼によりエンジンが壊れてしまった。金星投入は叶わないと思われていた。これまで 50年にわたる人類の惑星探査による歴史の中で、周回軌道投入に失敗した探査機が再挑戦した例はない。ところがあかつきの場合は、結果的にはエンジンをある程度噴射して、好都合な高さで金星のスイングバイをした。これによって比較的金星に近い軌道にあることがわかった。ただし次の金星周回軌道投入のタイミングまで 6年かかる。 6年間待てるか、その後軌道を変更して 5年に短縮したが、それでも衛星の設計寿命はとうに越えてしまう。
<モチベーションの維持>
 長い 5年間、その間どうやってモチベーションを維持したかは、まだ多くは語られていない。しかし PMが語った言葉からその片鱗を知ることができる。投入失敗直後に JAXA 中村PMが語った言葉、「5年、6年たっても「あかつき」の価値は変わらない、君 (あかつきを指す) はまだ生きている。」ここで金星への再チャレンジがチーム全員に宣言された。NECの大島PMは、「はやぶさ」メンバーのひとりで、他にも多くのメンバーが「はやぶさチーム」のあきらめない姿を現場で見ていた。彼らに植え付けられたのは「諦めてはいかん」という困難に立ち向かう精神だった。
<金星軌道への投入>
 「あかつき」のエンジンは、異常な燃焼によって破損した。原因は弁だと推定された。そこで代わりに使うことになったのが姿勢制御用の小型エンジンである。だがその出力は公称値でわずか 23Nに過ぎない。軌道制御用の 500Nに対して 1/20以下である。能力が足りない。ではどうするか。 4つ同時に長時間吹き続けるしかない。壁は高かかった。とにかく試験をした。何回か吹いてエンジンの長時間噴射の実効性を確認した。それを経て VOI (金星軌道投入噴射) が 12月3日に行われた。噴射したのは、正確には 1228秒、秒速 280m減速することで無事金星の軌道に乗ることができた。
<金星という天体>
 距離 7万kmで撮影された写真には金星特有の 4日循環パターンが捉えられた。
 金星は、本体は 234日で回るのに雲だけ 4日で回るという不思議な天体である。自転の 50倍以上ものスピードで雲が回るのである。どうしてこんなメカニズムが持続されるか、まだ誰も解けていない。「あかつき」は搭載した 5台のカメラで、さまざまな高さの雲を捉えることで、この金星の不思議な現象を捉える。
<成功要因 : リスク管理は想像力>
 中村PM曰く「リスク管理はたぶん想像力だと思う。今回の多くのチームメンバーが非常に想像力を働かせて、確率的には小さいけどあり得る可能性を全部考えた。たとえば太陽の放射線で CPU がパンっと止まってしまった、そういう時にどうするかといった事を全部考えた。想像力を最大限に発揮した結果が今回に繋がった。考えに考えたとしても抜けはまだあるはずだが、そこには幸い引っかからなかった。そういう所をどんどん小さくしていくことが、ノウハウを積むという事だと思います。」

6. 今後の探査計画
 次は水星探査機 BepiColombo で、2017年のはじめに打ち上げる。日本が受け持っているのは、その一部「MMO」探査機。日よけに守られて水星まで片道 7年かけて到着する。水星に行くのが難しいのは水星が小さく重力が小さいためだ。そのため地球、金星や水星を使ったスイングバイを 6~7回行って水星に辿り着く。 2024年水星軌道に着いて衛星は回り始める。この時、日よけは外される。通常のアルミ表面は 400度にもなる為、鏡のような素材 (OSR) を付け、熱を逃がす工夫をしている。ただアンテナだけはむき出しなので、熱による変形を避けるためチタン合金と CFRP材で製造された。
 2010年世界初の宇宙ヨット「イカロス」が飛んだ。この衛星は太陽の光の力を受けて現在も飛行中で、次の衛星の実証を兼ねている。次の衛星は大きさ約 50mの帆を持った「電力ソーラセイル」、2020年代に木星まで飛ばしたい。木星では太陽の光が 1/25になる為、大きい太陽電池パネルが必要であるが、堅い太陽電池では重くなり搭載できない。よって、薄膜太陽電池を使った衛星が必要になる。木星に着くのは 2030年ごろ。そして、その後木星をスイングバイして、ラグランジュ点にあるトロヤ小惑星に行こうというプランがある。 30年を超える長旅、もはや太陽系は技術者一代では大きすぎるというのを痛感している。
 2020年の年末「はやぶさ 2」が帰還する。オリンピックの閉会式には間に合わないが、あとわずか 5年である。元気な姿で帰ってくることを祈りたい。

【質疑応答】
質問 探査機の位置はどうやってわかるのか
  電波の往復時間により距離を測る。また、ドップラーから加速度がわかる。
原理的には 3点あれば、距離と距離変化から軌道 (位置、速度) がわかる。
但し、これだけでは精度が足りないので小惑星に近づくことはできない。探査機は光学ナビゲーションで小惑星に相対的な位置を決め、ライダー等で高さを計りながら接近する。
質問 ひとつの衛星に係わっている人は何人くらいか
  「はやぶさ」について言えば、開発時点で、関わった人は NEC で数百人もいるが、運用に入るとコアメンバーのみとなり JAXA、NEC を中心にして 30人くらいになる。運用中いつもは少ない人数だが、何かあった時には関係者が大勢集まってくる。
質問 リスクマネジメントとして衛星は一度に何台作っておくか
  以前は試験機と本番機があったが、今は原則的には本番機しかない。
民間の衛星ではペアで作って地上に保管する場合がある。
質問 失敗すると次は無いのか
  基本的にはない。但し、今年 2月12日に打ち上げる ASTRO-H には、世界が待ち望んだ世界最高性能の X線望遠鏡を載せていて、その測定器に X線を超高分解で分光できる装置が搭載されている。以前打ち上げた「すざく」衛星ではこの装置だけが冷却できずに失敗したが、非常に価値が高いということで ASTRO-H に再度搭載となった。そんな例もある。

【所感】
 衛星プロジェクトほど活動期間が長く、又あらゆるリスクを想定し対策を練ることが必要なプロジェクトは他には少ないと思います。如何にモチベーションを維持し、如何にメンバー個々の能力を発揮させるかが成功の秘訣でしょうか。
 面白く且つ希望に満ちたプレゼンテーションをありがとうございました。

以上

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