PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (64) (実践編 - 21)

向後 忠明 [プロフィール] :2月号

 先月は社長からの電話があったところで終了しましたので、今月号はその続きとなります。

 「社長からの電話は何だろう??」と電話のある自分の席に戻り、電話口に出ました。社長からの話は仕事の進捗の確認や筆者をはじめチームの人達の健康や生活状況の確認といった当たり障りのないものでした。
 そして、最後に「君もこのプロジェクトでだいぶ疲れたことから、新たなプロジェクトマネジャ (PM) を立てたので君には日本へ帰ってきてもらい少しゆっくりしてもらいたい」といった突然の話でした。
 筆者は「これまでタイ中央銀行 (BOT) との話し合いによる調整を行い、基本設計も後一カ月程で終え、本格的な開発作業に入ることができるのに何故なのか?」と反論しました。
 社長はいろいろ言い難そうでしたが、筆者の感じるところでは、スケジュール遅れで BOT からいろいろクレームが入ったものと思われました。
 一方、筆者自身も電話の後で考えたのですが、マスタープランや基本設計初期においての筆者の力不足によるスケジュール遅れやそれによるコスト増加も原因であろうと何となく理解はしていました。しかし、それでも、これを何とか挽回するつもりで頑張るつもりでいました。
 しかし、社長の堅い変更の意志を感じ、筆者は基本設計の終了時点まで続けるという条件でPMを降りる決意をしました。
 「飛ぶ鳥後を濁さず」の例えもあり新しく任命されたPM (この人はすでに筆者と共にチーム内で本プロジェクトを一緒にやっていた人) とも基本設計の終了までは二人三脚で引継ぎをしながら、仕事を進め、その後、筆者は日本に帰ることとなりました。

 帰国した後に、社長室に呼ばれ「ご苦労様でした。当分は現場を離れゆっくりとしていてください」と言われました。言葉は優しいが何となく筆者としては気まずい思いを感じながら自分の席に戻りました。

 思えば、このプロジェクトは最初から鍵の掛け違いがあったような気がしました。
 トルコプロジェクトの成功による慢心や筆者の危機対応能力の欠如そして顧客対応への失敗等が原因と思っています。
 この原因は初期動作での筆者のプロジェクトマネジメントの欠如によるものと考えます。

 その後はしばらくの間、現場を離れ無職状態になって、タイプロジェクトの失敗についてあれやこれやと考えていました。この時ほどプロジェクトに失敗したPMのみじめさを感じたことはありませんでした。
 そこで、この暇な時間を使って「なぜ失敗してしまったか!」を反面教師として自問自答してみました。
 そして、以下のようにこのプロジェクトに対応していけば良かったと自分なりの反省をしてみました。

 第 1 はIT系の開発プロジェクトは顧客の要件や要求がコロコロ変わることが常識であることもこの当時は知らなかった。思い返せばトルコ中央銀行も初期の対応でも同じような状況であった。そのためトルコのプロジェクトのケースでは基本要求が決まるまでコスト+方式を採用した経験もあります。
 それなのに競合相手がいるとの不確実な情報に踊らされたこと、もう一つは同種のトルコプロジェクトでの成功体験からの慢心による自信過剰から危機管理への対応の甘さがあったように思っています。

 第 2 は交渉時、現地での暴動やそれに伴う爆発騒ぎでのPMとしての毅然とした対応に問題があったと思います。すなわち、たとえ交渉が中断しても一時休会とし、中途半端な終結とせず引き続き交渉を行うべきであったと反省しています。
 第 1 の問題も第 2 の問題も状況分析の甘さとその後の対応の弱さといったPMとしての認知力の欠如と考えられます。

 第 3 はほかの国の同種システムの調査やコストパーフォーマンスの検討といった、当初は想定外の難題と考え悩みぬいた BOT の要求は、これは後で考えてみればそれほど大きな問題ではなくあっけないものでした。これはまさにPM自身の自信のなさと交渉能力 (コミュニケーティング能力) の欠如と言えます。

 このように考えると今回の失敗は、技術的には NTTグループの総力で基本設計は完了しましたが、技術的問題以外のプロジェクト運営でのPM実践力に問題があったような気がします。
 それは、「何か?」といろいろ考えました。
 そして、PMの認知力、コミュニケーティング力等の不足やPMエートス (PMとしての行為の反復によって獲得する持続的な性格、習性) の良い部分の欠落ではないかと判断しました。
 もちろんその他にはPMとして培ってきたエートスの部分である多様性の尊重そして関係調整力や判断力等々の面において不十分なところがあったように思います。
 このような反省に立ち、何もしないでいられない性急な筆者の性格から、今後の新しいプロジェクトを見つけなければと焦って動こうとしました。
 しかし、会社としてもタイプロジェクトの筆者の失敗もあり、許可はされませんでした。

 例えば、この間に筆者の帰国を知ったトルコ中央銀行の人が第 2 次決済システムの構築に関するプロジェクトの話を持ってきました。しかし、会社は人材不足ということで断りました。

 これまであらゆるプロジェクトを失敗もなくやってきたが、このタイ中央銀行 (BOT) のプロジェクトで会社の信頼を傷つけることになりました。
 海外でのプロジェクト経験者として J社から NTTI に移籍をした筆者もこの時ほど自信を失い、そのため、筆者に対する会社の人達の視線もこれまでとは違ったようにも感じました。

 このようなことで一カ月ぐらい仕事も手につかず過ごし、これからどのように自分を立て直そうかと毎日思っていました。

 このように何もせずにしていたところ、今度は NTT本社の国際本部から呼び出しがかかりました。
 いよいよ筆者も何か言われるのではないかと首をさすりながら日比谷にある国際本部に出かけていきました。
 (この当時は NTTはまだ東西、NTTコム、その他に分割される前です)
 そこへ着いたらすぐに担当責任者から「今後、NTTは中国に本格的に進出することを考えている。すでに北京事務所があるがそのほかに香港または上海に事務所を開設したいと考えている、」
 との話でした。
 そして、「そこで、貴方は、今、特に仕事がないのであれば香港か上海に事務所を設立しそこの責任者になってもらいたい。それもどちらか一方を設立したいと思うがどちらが良いと思うか?」との質問を受けました。これもまた唐突な話で筆者はどのように答えてよいかわかりませんでした。
 しかし、その場で「中国の情報を得るには、中国に近い香港からの視点で見ることが今は重要かと思います。」と答えました。
 国際本部の担当責任者は「わかりました!!!」ということで国際本部での話をおえて会社に戻ってきました。

 会社に戻るや否や社長に呼ばれ「NTTから連絡があり話を聞きました。君に香港支店の董事長も兼務の形で香港に赴任してもらいます」
 このように本人の思わぬところでのいろいろな動きが出ていました。

 このようなことで、筆者のこれまでの悩み事も、杞憂のものとなりました。そして、NTTも会社も筆者の処遇をいろいろ考えてくれていたこともわかりました。
 この日から心も晴れて何となく気持ちが前向きになり元の自分が取り戻せたように感じました。
 しかし、これをまた浮かれることなく、これまでの失敗についての反省は心に刻み付け、同じことを繰り返すことの無いように、この経験を自分のPMエートスに付け加えました。
 このタイ国の BOT におけるプロジェクトの失敗は筆者にとっては貴重なものとなり、その後のプロジェクト活動におけるPMとしての思考と行動についていろいろ考えるきっかけを作ってくれました。

 香港赴任については、事務所開設は NTTにて着々と進められ、筆者はそれに合わせた赴任のための準備と情報の収集を行い、この話があってから 2カ月ほどして香港に単身で出かけました。
 なお、香港での仕事は主に中国の電気通信に関する政界の動き、電気通信事業の動きやプロジェクト実行上の問題を香港テレコムや香港華僑との接触による情報収集が主なものでした。
 そのほか、華僑との連携で中国内での電気通信プロジェクトに関するマーケット調査とその発掘などに関する活動も行ったりしました。

 この香港での仕事は 2年弱のものでした。
 ここでの仕事はあまりプロジェクトマネジメントにかかわる内容のものではないので活動内容については割愛します。

 いずれにしてもタイ中央銀行のプロジェクトは 【人間万事塞翁が馬】 の故事の如く、人間人生において悪いことも良いこともあります。
 いずれにしても、反省の多いプロジェクトでした。

 次号からは香港から帰国してからの話とします。

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