今月のひとこと
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 日本酒がうまい 

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :1月号

 暖かい冬です。毎冬、悲鳴を上げている膝やら腰やらも、まだ元気です。昨年の暮までは雪不足とのことでしたが、正月休みにスキー場に出かけられた方々はいかがだったでしょうか。

 新年でもあるので、日本酒の話。
 この 10年程の間に、日本酒が恐ろしい勢いで進化しています。どこまでいくのか予測できないほど、進化し続けています。容器自体は昔ながらの一升瓶が主流ですが、中味は大きく変わっています。
 とはいっても、お酒が苦手な方には興味のない話かもしれませんね。特定の製造業における変革の話だと思ってお読みください。
 P2Mでは、「ミッションプロファイリング」や「見える化」「暗黙知の形式知化」といった、曖昧で抽象的なものを明確化し、組織として有効活用できるものに変えていくというプロセスを重視しています。日本酒の歴史は様々な改善の積み重ねですが、こうした明確化によって飛躍的に進化したことが 2つあります。
 1つは、明治時代に遡ります。日本酒は、蒸した米と米麹を合わせ、酵母を加えて作られます。この酵母ですが、明治の初め頃までは、自然に存在する酵母の利用が殆どでした。自然任せですので、品質が安定しません。製造途中に腐ってダメになるということも多かったようです。日本醸造協会が酵母の純粋培養に成功し、広く頒布するようになって、日本酒の品質は各段に向上しました。その後、品評会で優勝するような酒蔵の「蔵付き酵母」から培養された優良酵母の利用により酒の味も向上しました。昭和になってからは、長野県や熊本県で作られた酵母に人気が集まり、現在もおいしいといわれる酒に使われる酵母の大半はこの子孫です。
 太平洋戦争の終盤から戦後しばらくは、酒を造るための米が極端に不足したため、アルコールを添加して増量するということが行われました。いわゆる「アル添」です。これは、酒好きのために蔵元が工夫したというよりも、酒税を確保するための国策でした。国が税金を確保するため、昭和17年までは純米酒しかなかった日本酒を変えてしまったのです。米がたくさん取れるようになり、「アル添」の必要がなくなっても、蔵元は純米酒に戻すことができませんでした。安い「アル添」に慣れた酒好きは、高い純米酒を選ぼうとしなかったのです。やがてビール、ワイン、焼酎を選ぶ人が多くなり、日本酒離れが進みました。廃業する蔵元が増え、日本酒造りを支えてきた杜氏という技術者も後継者がなく廃れる寸前までいきました。
 ここで、2つ目の進化です。この進化は、20年程前からじわじわと広がってきて、ここ数年で一気に花開いたといった感じです。かつて酒造りの技術は、杜氏個人が持つ暗黙知に依るものでした。後継者がいないとそこで途絶えてしまいます。そこで、断片的に残った杜氏の技術と醸造理論を組合せた、新たな酒造りシステムの構築が始まりました。暗黙知の形式知化です。数年前に人気が集中して、一時期は酒屋の棚から商品が消えたということでニュースになった銘柄は、そうしたプロセスから生まれた日本酒の一つです。多くの蔵元で、変革を担ったのは農業大学等で醸造学を学んだ技術者達です。蔵元経営者の後継者が農大で学ぶこともあります。同じく農大等で学んだ社員とともに酒造りの変革に取り組んでいます。技術者同士の情報交換、共同研究も盛んに行われ、全国各地の蔵元で酒造りの変革が進行しています。
 さらに、消費者に向き合う酒屋さんにも日本酒に通じた専門家が増えています。全国各地の蔵元を訪問して酒造りの現場を確認するといった方もいれば、日本酒ソムリエの有資格者や醸造学科出身者も増えています。試飲会等のイベントを企画したりして、おいしくなった日本酒を知ってもらおうと頑張っています。
 この先、どのように進化していくかは予測がつきませんが、編集子としては、大手の酒造メーカが日本酒変革に本格的に参入してくることを、密かに待ち望んでいます。大手は、品質管理の点では優れています。おいしい日本酒を安く均質に提供することができるはずですから・・。

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