グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第98回)
今年の締めはアフリカ最西端ダカールで

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :1月号

 元々演歌が好きな私は、次から次へと続く旅の間、寝る前に必ず You Tube で聞くのが韓国の歌手 チュ・ヒョンミ の歌である。この韓国のスーパー女性歌手 (50歳代前半) は漢字では周炫美と表し、中国と韓国のハーフである。20歳代最後から30歳代の前半をインドネシア駐在員で過ごした私の楽しみは、70年代前半にアジアの歌姫として東南アジアで圧倒的人気があった鄧麗君の歌を聞くことであった。日本でテレサテンの名前でデビューする前のことである。特に鄧麗君の「何日君再来」は大好きであった。それから40年が経ってこの歌をウェブで探しているうちに、完璧な中国語 (中国人がそう言っている) で朗々とこの歌を謳っている周炫美に出会った。彼女は韓国籍であるので普段は韓国演歌 (トロット) を歌っているが、美空ひばり、都はるみ、そして八代亜紀を足したような歌唱力とレパートリーを持ち、韓国語であることを除けば日本の演歌と全く同じように聞こえる。「流れ流されてつまずきながら歩き続ける旅の空・・・・いつか黄昏はこの身をつつみ今日も日暮る旅の空」は彼女の「淋しき旅人」 (日本語版) の一節で、この曲は日本でも台湾でも歌われている。
 
 11月26日から12月9日まで今年 2 回目、通算 4 回目となる一般財団法人海外産業人材育成協会 (HIDA) 主催のフィリピン管理者研修を実施した。フィリピン国の経済は、大は財閥から小は個人商店までほぼすべてファミリー経営で成り立っているが、研修には従業員 100名規模までの家族企業経営者の二代目 19名が参加した。私はコースディレクターとして10日間すべてのセッションで講師を務めるかスーパーバイザー役をやっていたが、飽きないし、困りもしないのは、実にこの研修が面白いからである。日本に場という概念があるが、完全に場ができて、双方掛け合いで活性が保たれる。日本ではあまりない、座学と小演習・討議そしてワークショップを順番に実施する形式を採っている。講師と研修参加者が自分の引き出しからビー玉を出してテーブルに並べて品評会を行うがごとしである。今回はお父さん、お姉さんに続いて参加した20歳代の部長が理解度テストで史上初の満点をとった。
 午後 4時から開いている飲み屋街、ホルモン料理、磯丸水産など北千住には名物があるが、北千住といえば HIDA東京研修センターであり、日本プロジェクトマネジメント協会にとっても私にとっても聖地になった。

素晴らしい農業イノベーションを提案したチーム 美しいレタリングは工業デザイン専攻の成果
素晴らしい農業イノベーションを提案したチーム 美しいレタリングは工業デザイン専攻の成果

 フィリピン研修を終えた翌日から教員に戻り、イランとセネガルの博士課程生の論文リモート指導を 3日行ってからパリに行った。ANAのパリ便は観光客が皆無であったが、フランスにどうしても行かなければならない人達もおり、約 50%の搭乗率であった。搭乗を待つ間に同じ会社らしきビジネスマンがパリ市内に泊まるのが安全か、ベルサイユが安全かと話し合っていた。私の場合はセネガルへの途中であったが、パリの北に位置する、シャルル・ドゴール空港のあるロワシー市のホテルに 2泊した。 2泊は休養を兼ねながらセネガルでの授業の準備を行い、授業で少なくともヒアリングは必要であるフランス語の一夜漬けスピードラーニングを行うためである。
 
 ドゴール空港も、ターミナル間連絡モノレール駅も、ホテルも平穏であった。しかし、なにかおかしいと思ったら普段は雲霞の如く群がっている中国人の観光客が居ないことである。爆買いが当分なくなるとフランスには大変な痛手となる。到着した13日には、フランスの地方議会選挙決戦投票が行われたが第 1 回投票で躍進した極右政党 FN国民戦線が結局全敗となったが、与党の社会党も敗北を認め、共和党を率いるサルコジ元大統領の笑顔のみがクローズアップされた。FNの敗退は、フランス国民が先月のテロから冷静さを取り戻している情勢かとも読めるが、票が与党の社会党ではなく、右派に向いたのはやはりの感がある。

ロワシー町の通りにはクリスマスデコレーションが Vive la France フランス万歳
ロワシー町の通りにはクリスマスデコレーションが Vive la France フランス万歳

 セネガルのダカールには15日の夜10時に着いた。エールフランスのパリ‐ダカール便は暮れを国で迎える人で超満席であり、搭乗開始から終了まで80分かかった。ボーイング 777-300er の390名の乗客は例外なく機内にもスーツケースを持ってくる。席に着いた人から秩序なく頭上の棚にスーツケースを入れていくが30分を過ぎると棚に入らない人がでてくる。そこでCAが登場して、スーツケースや他のハンド荷物の形状を見て、乗客の了解を取りながら、再配置をする。すると遅れた乗客がまだ来てスースケースが入らない。またCAがやってきて 2度目の配置換えを行う。小さめのスーツケースの人は割を食って座席の前に置いておくように言われる。ほぼ全員フランス語を話す客であるので、どこまでがフランス人でだれがセネガルや近辺の国の人なのか良く分からない。寒いパリから 5時間半南に飛ぶとアフリカ最西端、大西洋に面するダカールで、空気が膨張してモワーとしている。元大統領官房長官の大学院理事長代行がイミグレーションの入り口まで迎えに来てくれてすんなりと入国手続きを済ませた。しかし満席の客が預けた荷物の数は合計 1 千個を超え、早い時間にチェックインして機内の奥のストレージに入ってしまった私のスーツケースがでてくるまでに90分かかった。
 
 2000年代の毎年12月はインドのPM国際大会で基調講演が定番でニュデリー訪問を一年も欠かさず行っていたが、時は移り昨年今年も一年の締めはダカールで、となった。
 
 当地では、着いた翌日から授業をやっているが、いつになく不調のスタートを切った。出ずっぱりのフィリピン研修でかなり疲れていたうえに、初日夜の博士研究方法論の授業は教室のプロジェクターが故障で、画面がちらちらして双方集中できず 2時間で打ち切り、2日目は不覚にも当方のPCのアダプターがついに壊れて (新品を持参していたが宿泊先に置き忘れ) 電源アウトで学生のPCを借りる羽目になり、これでどっと疲れてまた 1 時間早く切り上げ、4日目に昼間の授業となり、ようやくペースを回復した。そして毎日毎日授業と学生の個別指導が続いている。昨年の学生と比べると学生の英語力が落ちているので教え方も変える必要があるが、工夫のあり方がまたプロジェクトで面白い。

博士学生達と 修士学生向けPM基礎論講義
博士学生達と 修士学生向けPM基礎論講義

 一夕、アフリカ最西端ポイントに行ってみた。そこは、岬ではなく、茶店が並んでいるだけの名所であった。岩の上で記念写真を撮ったまではよかったが、海岸から道路に戻る途中で一番後ろを歩いていた私は膝の上までの高波に襲われびしょ濡れになった。静かな海だと思っていたが危ないところであった。本日はクリスマスイブの日であるが、イスラム教徒の国であるので、普段通りで、昼前にテレビ局で 2回目のトークショウに出演してきた。私の仕事収めは26日(土)夕方であり、深夜のフライトでダカールからパリ、フランクフルトを経て一気に帰国となる。  ♥♥♥


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