海の翼 トルコ軍艦エルトゥールル号救難秘録
(秋月達郎著、(株) 人物往来社、2011年6月8日発行、414ページ、第5刷、714円+税)
デニマルさん: 1月号
今回紹介の本は、2015年3月に購入して読んだ。そのキッカケは、日本・トルコ協会に関係する友人から「日本・トルコ友好 125周年記念事業」でトルコ軍艦が東京の晴海埠頭で一般公開されるので一緒に行くお誘いを受けたからだった。現在でも日本とトルコは強い絆で結ばれている。その発端はトルコ軍艦エルトゥールル号が日本で遭難し、それを救助した事に始まる。それから 1世紀以上の歳月が経つが、当時遭難事故があった紀伊大島の樫野崎 (現在の和歌山県串本町) には「トルコ軍艦遭難慰霊碑」があり、その慰霊碑を地元の人は今でも清掃して追悼しているという。今年、その遭難事故から 125年目に当たり、地元での追悼式典やシンポジウムやコンサート等が行われた。その一つに先のトルコ軍艦の日本寄港もあった。もう一つ日本・トルコの共同製作された映画「海難1890」がある。この映画は 『精霊流し』 『サクラサク』 などの田中光敏監督がメガホンを取り、内野聖陽氏が主演を務め、トルコからも俳優が出演し、2015年12月に記念事業として一般公開された。
1890年 (明治23年) 9月16日 ――エルトゥールル号遭難――
この遭難事故が起きたのは、和歌山県沖合の紀伊大島沖であった。当時、台風が接近していて、日本側の出港延期の勧告を振り切っての帰港だった。その結果、600名近い乗組員が遭難し、助かったのは 69名。その救援活動は、遭難者の捜索と生存者の介抱を地元漁師や村長以下多くの村人が携わった。その 3カ月後の 1891年1月に、本国のイスタンブールに無事帰国した。この事故での日本の暖かい救援活動がトルコ国内で代々語り継がれていた。
1985年 (昭和60年) 3月20日 ――イラン在住邦人救出――
イラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領がイラン上空での 2日後の無差別攻撃開始を宣言したのが 1985年、イラン在住の邦人は約 300名、日本の救援機は諸々の事情で飛ばなかった。ところが、トルコ政府は救援機を 2機も出して日本人をイランから脱出させた。当時イランには 500人近いトルコ人が居たが、日本人を優先させた救出だった。この救援は 95年前のエルトゥールル号の返礼で、両国の絆は時間が経っても強く繋がっていた。
1999年 (平成11年) 8月17日 ――トルコ北西部大地震――
時代が変わり、1999年にトルコ北西部に M7.4の大地震が発生して、1万7千人が亡くなる大惨事となった。日本はどこの国よりも早く緊急救援隊を派遣して、多くの救援物資を現地に送った。この救援物資の中には、阪神淡路大震災の中古仮設住宅も含まれていた。その仮設住宅で現地に「日本トルコ村」が誕生したという。現在でも和歌山県串本町は、トルコ・メルシン町と姉妹都市提携を結び、親善交流が途切れることなく続けられている。
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