先月号では日本の A 社がチャンスを目の前にして米国 B 社に市場を奪われる事例を述べた。複数の実話を一本化し、計画の観点に絞った事例である。本号ではそれを戦略と計画の観点から、戦後すぐに出版された「太平洋海戦史」 (高木惣吉@岩波新書) と比較して考察してみたい。初版は1949年8月で、現在までに第20刷を超えているロングベストセラーで、アマゾンの書評には「太平洋戦争の陸戦の全局面を、物動、編成、兵器、動員人員などあらゆる角度からはじめて総合的に把握し、記録した画期的な書。・・・参謀本部の中枢にあり、敗戦時陸相の秘書官であった著者が、苦労をはらい収集した豊富な資料を駆使して正確に記述する」とある。
さて、先月号では、A 社の営業企画のM部長が、自社特許に基づく強豪競争相手の米国 B 社の上級製品と真正面からぶつかる新製品の販売をB社より安く販売することを思いたった。個別にヒアリングした社内主要部門長は全員反対の意向を示した。しかし、M 部長は絶対に行けると信じ、事業計画書は楽観的シナリオを選択して経営の審議に上程した。熱意ある説得の結果、3 度目の審議を経て社長は了承し、取締役会でも承認を得て、プロジェクトは開始した。このように、現場を知る実務の責任者であり、やり手の上級管理職 (しばしば部長) が執拗に熱心に主張する意見は通ることが多い。今回は自社特許とか競合 B 社上位製品を安く販売できるという自己組織に有利と思われる事由があると、縦割り組織の他部門の役員には反対しづらい空気が醸成されるのだ。
米国との開戦、真珠湾攻撃の決定は1941年11月3日に長い議論の末、軍令部永野総長の実質的な決断で決まったとある。しかし、この永野総長の開戦直前の有名な述懐があり「中堅の参謀たちはよく勉強している。あの連中にまかせておけば、まず間違いない」という。 A 社の社長に通じる言葉だ。戦闘準備はその決定の前から既に開始されていた。公式には12月1日の御前会議で最終決定をみた。ハワイ真珠湾攻撃は12月8日の未明に開始された。海軍主力部隊は千島列島に集結していた。米国駐在の長かった山本五十六大将は、総合的に判断し米国には絶対に勝てないと信じており、米国に一撃を与えて有利なうちに停戦させようと思っていたという。
A 社社長の決断も御前会議のようであったかもしれない。更に、社長は大胆な投資を避け、小出しの段階的な投資を行ない、それぞれの結果を見て次の投資を行う事とした。一見、慎重で合理的判断かのようだ。一方、A 社製品を見た B 社の対応する動きは速く、A 社新製品と競合する既存上級製品をすぐに値下げした上で、1 年以内に A 社を上回る新製品を上市した。 A 社はマーケットを支配していないにも拘わらず、挑戦者としてなすべき事を徹底できなかった。結果、一時獲得しかかった市場を、再度奪われることとなった。B社の能力を見て、自社の打つ手を選択すべきであった。