理事長コーナー
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日本人に共通する計画への対応 (1/3)

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :11月号

 P2M 改訂 3 版では、プロジェクトマネジメントを事業推進と明確に結びつけた。事業を進めるうえで重要なのが、組織と戦略だ。両者は経営学の主要な 2 本柱だ (榊原清則「経営学入門」日経文庫)。日本は、組織の構築や実践では日本人の特徴を生かし、世界のトップレベルと比較しても遜色ないと云える。一方、戦略に関しては、あまり得意とは言えない。日本人を良く知る米国の政治家や大学教授は、この点に関しては散々コケにしている。例えば、ニクソン大統領の片腕として世界を股に活躍し米中国交回復を実現させたヘンリー・キッシンジャー国務長官は、1974年中国の鄧小平に対して「日本はいまだに、戦略的思考をしません。経済的な観点からものを考えます」、あるいは、ハーバード大学 MBAコースの人気教授で来日も多いマイケル・ポーター教授は「ほとんどの日本企業は戦略を持たない」と述べている (孫崎享 「日本人のための戦略的思考入門」 祥伝社)。キッシンジャーの「いまだに」とは、あれだけ惨めに敗けた太平洋戦争での結果に懲りてないということだろう。

 戦略は、大きな方向性を事業に与える。B to C の製品販売が商売とすれば、まず、その製品の特徴から事業戦略を考えることが常套手段だ。何を売り込むのか、顧客は誰か、どの階層を狙うのか、どの程度のボリュームを幾らくらいの販売価格に出すか、自社製造か外注か、戦略にともなうリスクは何か、それに耐える体力が自社にあるのか、事業責任者は誰かなどが戦略項目だ。製品候補が自社取得特許の技術に基づいていればシーズ主導の戦略が必要だと云える。市場にて受け入れられる競争力があるモノなのか、本当に買ってくれる人がいるのかを事前調査するマーケティングが必要だ。あるいは、新製品が今まで世に存在しない商品だとしたら、それに気づき欲しがる顧客は居ない訳だ。顧客を創造し潜在ニーズを顕在化させて行く必要がある。戦略段階で詰める項目は、他にも数多くある。戦略とリスクは表裏一体であるため、リスク分析と対応策を同時に検討することも肝要だ。更には、生の情報に基づいて、正しい分析を行い、判断をすることが重要だ。この際、データを決して自分の都合や偏見で見てはいけない。

 さて、ここから“IF”の話に移ろう。貴方の所属する会社を A 社とし、類似製品を製造する米国企業 B 社と競合しているとする。 B 社は、米国本土と中国を中心に世界の主要先進国で、地域に密着した仕様と価格で売上げを順調に伸ばし、売上利益率は10%を下回ったことがない優良企業だ。一方、A 社の製品は高機能高性能だが、その機能・性能を活用するには知識と慣れが必要だ。国内と米国内で販売しているが、総販売量は B 社の 3 割程度で、売上利益率も 3~4% 台で、日本企業としては平均的だ。

 営業企画の責任者である M 部長が、自社開発部隊が最近特許を取得したと聞き、それを利用した高性能新製品を B 社競合製品よりも廉価で販売することを思いついた。それは B 社で最も利益率のよい上級製品と真正面からぶつかることだが、もともと A 社内ではこの分野を拡大したい思いを抱く人が多かった。 M 部長が、営業本部長、製造本部長、工場長、経営企画本部長、財務本部長などの役員に個別に相談した結果は、B 社は技術力も体力もありこの製品で戦っても勝ち目はないと全員が反対であった。しかし、M 部長は説得するごとに、価格を B 社より低めに設定し、世界一斉に売り出せば売れると確信するようになってきた。

 やがてその熱意が認められ、製造や販売の現場から絶対に売れるとの応援の声がしばしば届くようになった。 M 部長は、この応援に勇気づけられて自分の本音を上回る高い数字の事業計画書を作り、役員も参加する営業企画会議にかけた。該当製品セグメントでは、B 社はもちろん、それ以外の競合他社にも絶対に勝てると、半年後発売の製品化プランを経営陣に汗だくで説得した。個別には反対であった上記役員たちも、徐々に変わりだし、3 度の審議を経て了承されゴーサインが出された。社長は、最後に「君らがそれだけ売れると云うならやってみなさい。ただ、生産量を大幅に縮小変更し、製品化を急ぎ、その販売の結果をみて次の投資判断をするとしよう。目標売上高・利益率を達成するのはその大前提だ。その後の設備投資計画は段階的に拡大し、悪くても 5 年以内に投資回収することが条件だ。この条件に合えば、提案している現計画規模まで拡張することを了承する」とされた。その後の取締役会でも承認を得た。

 生産は、工場の片隅を改造して開始された。販売は、まず顧客が厳しい関西地区で始めた。結果は、ネットによる口コミで爆発的に売れ出した。好調なスタートで社内はわいた。しかし、じきに注文が製造能力を上回り欠品が相次ぐようになった。 A 社は 3 交替で製品を造り続けたが、納期を 3 か月まで短縮することが限界だった。営業は、地団駄踏んで悔しがったが、適当な外注先も見つからず、当初計画通の設備容量を確保するためには、土地から求める必要があり、製造開始まで最短でも 2 年以上かかることが分かった。これは誰も考えても見なかったことであった。

 この状況はすぐ業界に広がった。これを聞きつけた関西に日本の本部がある B 社は、トップがすぐさま A 社販売現場に行き該当製品を実際に手にして性能・価格に驚いた。しばらくして、B 社は競合上級製品を 1 か月後に値下げすると同時に、A 社特許を迂回し、機能を絞った、価格も A 社を下回る新製品を 1 年後に販売すると公表した。この発表後、A 社製品を買い控えて B 社製品を待つ動きが出て来た。A 社の営業担当達は、B 社が短期間に新製品を出せないと読んだ。ただ、念のため、再度外注先を探したが、どこも“帯に短し襷に長し”で、なかなか結論が出なかった。その間に、B 社は密かに中国に外注先を求め、2 か月前倒しの10か月後に新製品を市場に出した。 A 社の売り上げは急激に下がり始めた。

 A 社はどこで間違ったのか。戦略と計画に対する A 社の行動パターンを来月のオンラインジャーナルでお話ししたい。

以 上

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