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パーソナルプロジェクト : WIEN-PRAHA Bike Tour-1

プラネット株式会社 シニアコンサルタント 中 憲治 [プロフィール] :10月号

私はFacebookを楽しんでいる。始めたきっかけは、2011年1月エジプトのルクソールマラソンに参加した時。いわゆるエジプト革命に遭遇し、この混乱の数日を一緒に過ごし親しくなったエジプト人ガイドの Ashraf Hamza 氏との交流を行うことだった。以降、私自身のイベントごとにFacebookに掲載して、Facebook仲間に近況報告をしてきた。Facebookには過去の掲載記事をフィードバックして「○○年前の今日は?」と思い出せてくれる機能がある。この投稿を書いている時にFacebookは 3 年前の Bike Tour の投稿記事を知らせてくれた。Bike Tour の出発点の街 VALTICE、最初の訪問地 LEDNICE城、Bike Tour のゴール CESKY KRUMLOV など懐かしい風景と記憶を思い起こさせてくれる。
2012年9月1日、私はプラネットの同僚である中嶋秀隆氏と成田空港を発ちオーストリアの WIEN に向かった。WIEN からオーストリアとチェコの国境沿いにある VALTICE に向かいそこから世界遺産の街 CESKY KRUMLOV までの415㎞をサイクリングする 5泊6日 の Bike Tour を行うためである。ツアーとしては、CESKY KRUMLOV からはバスで PRAHA へ向かい、PRAHA を観光した後、列車で WIEN まで帰ってくるものである。

チェコのモランヴィア、ボヘミア地方をオーストリアとの国境に沿って走る5泊6日・走行距離415kmのバイクツアー
<全体工程>
9 月 3 日 : VALTICE ⇒ MIKULOV
9 月 4 日 : MIKULOW ⇒ VRANOV NAD DYJI
9 月 5 日 : VRANOV NAD DYJI ⇒ TELC
9 月 6 日 : TELC ⇒ JINDRICHUV HRADEC
9 月 7 日 : JINDRICHUV HARADEC ⇒ TREBON
9 月 8 日 : TREBON ⇒ CHESKY KURMLOV

この Bike Tour は、Bike はレンタル、荷物はツアー会社が次の宿泊地まで運ぶ。ツアーにはガイドはつかないものの、詳細なルートガイド、ルートマップに加えてGPSまで用意してくれるなど至れり尽くせりのツアーである。ガイドなしでも全く問題なくゴールの CESKY KRUMLOV まで辿り着けると考えたが、これが楽観的にすぎる想定であると思わされたのは、ツアーの 1 日目であった。「地図と現場は異なる」との格言を実感させられることが続けて起きる。Bike Tour は二人で行うことから、途中でいろいろな事態に遭遇しても特に問題なく対処できるだろうと考えていた。しかし、地図と現場を照らし合わせて一致しているかどうかを判断する過程でいろんなことが起こる。判断に至る思考プロセスに暗雲がかかることにより、結果として判断を誤りを起こすのだ。地図に表示してある表示を見逃す、あるいは気づいても判断を誤る、このようなことが起こるのだ。実はツアー 1 日目でこのような事態に 2 度遭遇した。 1 回目は地図に記されたサイン (表示) を見逃す。2 回目はその経験を教訓として気を付けていたのだが、1 回目と同じ地図のマークを見逃すといった誤りを起こした。その後、迂回したルートから元の指定されたルートに戻ろうとして地図に表示された分岐点で、現地を見てこの道は違うと誤った判断をしてしまう事態も重なり、宿泊地への到着は予定より数時間遅れの工程となってしまった。
ツアー 2 日目では、また異なった問題に遭遇する。この Bike Tour は Green Ways というチェコのツアー会社が運営しているが、私たち二人が参加したツアーには、アメリカ・オハイオ州から参加した 5 人の女性とカリフォルニア州からの 2 名が加わり、総勢 9 名のツアーとなった。9 名が常に同じ行動をとるのではなく、宿泊のホテルだけ同じ、後は各自お任せという工程である。2 日目の工程は、ホテルからバスで Bike と一緒に ZNOJMO の街まで移動、そこからの Bike Tour の予定であり、必然的に 9 名全員が同じ工程を取ることとなった。バスが ZNOJMO で我々を降ろした地点は、ツアーガイドに記された地点とは異なっており、これが問題の原因となった。GPSには元々指定されたルートが組み込んであり、GPSは当初のバスが我々を降ろす指定された地点を示し、そこまで戻るように指示する。道を行きかう地元の人に次の街までのルートを聞くと、全く反対の方向を教えてくれる。それらの情報を基に、9 名の人間がそれぞれ異なった判断をし、進むべき方向を主張する事態となった。結論が出ないこの状況が 1 時間近く続き、最終的に我々二人は兎も角、先に進む判断をし、先行することとした。が奇しくも、他の 7 名もこれに追随する行動をとったことには少々驚きもした。判断意思決定に多くのステークホルダーが参画するとなかなか結論が出ない事態に陥ることはビジネスの社会でもよく見受けられる。これと同じ状況を経験することとなり、それはステークホルダーの国籍の違いにかかわらず、またパーソナルプロジェクトにおいても同じことだと実感した。

オハイオ州から参加のツアー仲間 マイクロバスでの移動区間もあります
オハイオ州から参加のツアー仲間 マイクロバスでの移動区間もあります

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