PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (59) (実践編 - 16)

向後 忠明 [プロフィール] :9月号

  <先月号からの続き>
 いよいよ、プロジェクトの実行段階に入ることになりました
 提案フェーズにおいてプロジェクトの実行計画には十分な時間をかけてとりまとめることが出来たので、プロジェクトのスタートはスムーズな滑り出しとなりました。
 早速、基本調査と基本設計 (フェーズ 1 ) のために人選された 7 人のスタッフと事業部長とでプロジェクト開始のためのキックオフミーティングのためにトルコへと旅立つことになりました。
 キックオフミーティングはトルコ中央銀行のスタッフと一緒に紹介を含め行われ、その後正式な会議となり、そこで本プロジェクト実行の計画について話し合いを行い、お互いの意思の統一を図りました。
 このキックオフミーティングの自己紹介の場において事業部長が筆者をこのプロジェクトを担当するプロジェクトマネジャと紹介してしまいました。
 これに応じて、トルコ中央銀行のプロジェクトマネジャが筆者に「本プロジェクトは国の施策でもある重要なプロジェクトでありお互いに頑張りましょう」と挨拶してきました。
 しかし、筆者は出向期間も間もなく切れるのでこのキックオフミーティングと基本調査までの役割で本プロジェクトを終えるつもりでいました
 この時は何はともあれ、トルコ中央銀行との作業が山積みであり、今回予定の一か月間の中央銀行との共同作業を終わらせることが重要であったので全力をこの作業に当てることにしました。
 そして、中央銀行の協力の下で中央銀行の内部の再調査と関係する市中銀行のトップとの面談、既存システムの調査及びヒアリング、そして各関係機関のニーズ調査を行いました。各調査によって得られた情報の内容の整理と中央銀行スタッフとの何度かの会議を通じてその調査を予定どおりに終了することが出来ました。
 この間の中央銀行側の我々に対する扱いは非常に親切であり歓迎ムードがいっぱいで調査においての協力も積極的に対応してくれたので、何の支障の無く終えることが出来ました。
 この調査の段階でトルコ中央銀行及び関係者との信頼関係もかなり進み、和気藹々の関係となり、この先のプロジェクトでの進めやすい環境作りもできたような気がしました。
 この調査を終えて、調査結果を日本にもちかえり、分析を行う必要があるので、別れを惜しみながら「次は日本で会いましょう」と言って、帰国することになりました。調査によって得た情報を基にニーズ分析を行いシステムの基本検討を行いました。
 そして、この基本検討が終了する頃にはいよいよ古巣のJ社に戻る時期となり、筆者は少しづつこのプロジェクトを途中で切り上げる準備をしていました。
 筆者自身としては、なんとなく途中で仕事を投げ出すようなことで、心残りの部分がありました。しかし、筆者の本籍地はJ社であり、筆者自身としてもどうしようもないことであったが、本プロジェクトのスタッフになんと言って説明してよいか迷っていました。
 その様に悩んでいる時にNTTIの常務から呼び出しがありました。
 いよいよ出向解除でJ社に戻る辞令でも出るのかなと思いながら、常務の部屋に行きました。
 そこには数人の人がいて、おもむろに「今のあなたの立場もわかるが・・・・・・」と長々と何人かの人に言われ、「この社に残り、今のプロジェクトを最後までやってください」と説得されました。
 筆者も複雑な思いはありましたが、やはりJ社の社員である限り単独では決められないので「考える時間をください」と言ってその場を離れました。
 しかし、プロジェクトにかかわる仕事の方は休みなく続ける必要もありましたので、この時は約束した基本設計まではやるつもりでいました。そして、基本調査も完了し、いよいよ基本設計に入ることになり、そのため、基本調査の結果の報告を目的に再度トルコに出かけることになりました。
 その前に、アポイントメントをとって、筆者のその後を話すためNTTIの常務に挨拶に行きました。
 そこにはまた数人の人がいて、長々と具体的な遺留の条件を含めた説明をしてくれました。
 この時、プロジェクトマネジャとしての責任感とプロジェクトの達成義務といった筆者の義務感が頭をもたげ、トルコへの出張もあることからJ社には相談せず単独でこのプロジェクトをこのまま最後までやることを決心しました。
 決心したら、即行動であり、出張者の人選を行いトルコ中央銀行への基本調査の結果説明とそれに基づく基本設計の概要説明のためにトルコへと出かけていきました。
 そして、中央銀行との数度の会議で基本設計の詳細な基本構成と内容について中央銀行の意見を反映し、基本設計を完成させました。
 しかし、基本設計は今後の詳細設計に影響することもあり、本プロジェクトに関係する日本の各企業 (協力企業) からの意見を反映することも必要でした。
 そのため、今度はトルコ側のプロジェクトスタッフが日本に駐在し、日本の関係企業と一緒に基本設計を仕上げることになりました。
 このように、中央銀行との意識合わせを交互に日本及びトルコで数回開き、基本設計及び仕様の固めを行いました。
 この基本設計が終了したところで、以降の作業に対する見積もりを行い必要となるコストを算出し、基本設計書の最終承認時に、このコストも提出しました。
 基本設計について中央銀行と何度も擦り合わせを行ったこと、そしてその間に詳細設計以降のフェーズに必要なコストについても話し合っていたので、その金額もさほど難しい交渉も無くすんなりと決まってしまいました。
 その後も同じようにトルコと日本を相互に行き来し、詳細設計、プログラム設計を順次行い、仕様の固めを確実に進めていきコーディングに入りました。
 なお、最もマンパワーを要するコーディング、単体・システムテテストそしてデバッグは日本で行い、実機を使用する必要のある性能・ランニングテスト及び関連のデバッグはキーとなるプログラマーのみをトルコ中央銀行に駐在させることによって行いました。

 実際のプロジェクト遂行においても提案時点にて想定していたようにコミュニケーションがプロジェクト実行に当たって最も重要なマネジメント要素となることがわかりました。
 特に、下記のような現象が発生し、プロジェクト運営上、多くの課題を残しました。

この種のシステム開発は仕様設定において相手の考えを文書化する必要があり、相手の「システムに反映したい“思い”なども理解しながら進める必要があります。
しかし、英語に堪能な人材が少ないため、不正確な情報伝達となり、多くのやり取り (英語から日本語そして日本語から英語への翻訳) が必要となり手間がかかった。
銀行業務や全銀システム経験者が全く英語がわからないので、プロジェクトスタッフで英語が得意な人が通訳となって会議を進めることになり、業務効率が落ちるばかりでなく、不正確な仕様設定となりやり直しが出ました。
翻訳の外部委託もあったが翻訳が不正確なため手戻りが多くコスト的圧迫を生じることになりました。
 しかし、このような非効率な仕事のやり方であったが、NTT民営化から数年後のころでもあり (1987年頃) NTT人材に海外プロジェクト経験者の少なかったことも考え、提案時点からスケジュールに十分な余裕をとっていたので、遅れもなくプロジェクトを進めることが出来ました。
 一方、本プロジェクトに従事したNTTI側のスタッフ及び協力会社も海外プロジェクトに初めて従事したこともあり海外プロジェクト業務に不慣れな人がほとんどでした。
 そのため、コミュニケーションの問題もあったが、プロジェクトの良好な遂行にはスタッフの心理的な状態や感情、集団の雰囲気作り等に常に気を使いました。
 そのため、
チーム一丸となって仕事が進むよう、プロジェクトの目標を明確にするとともに、プロジェクトマネジャが率先してその目標達成の為の明確な指針設定と問題発生時の対応を行い、信頼感の醸成に努めました。
言語の障壁がストレスとなることから、開発すべきAP仕様は極力シンプルとし、作業労力の軽減にも気を配りました。
プログラムの開発は日本においても筆者のいる東京から離れた地方の協力会社が行っていたのでNTTIのメンバーは双方に駐在し、密なコミュニケーションを図り不整合からくる手直しを極小化しました。
トルコの駐在にいては文化・習慣も日本とは異なり、特に日本食もないことからアミノ酸欠乏となり食事面からのストレスがたまりました。そのため、日本から出張する際には、醤油や日本食を持ち込むことを義務付けたり、また、みんな集まって週に一回は必ず日本食パーティーをするようにし、ストレスの発散が出来るように心がけました。
毎朝、日本人社員は中央銀行内で仕事を始める前に朝礼を行いました。これに中央銀行の人達も加わり、一緒に行いました。
中央銀行側も遠く故国から離れて仕事をしている日本人のことを考え、トルコ各地の観光に連れ出したり、食事に全員を招待してくれたり気を配ってくれました。

 このようなことから一層の密なコミュニケーションが相互に図られました。そして、全員がこの中央銀行のシステムのスケジュール内の完成を日本人として必ずやり遂げなければと言う思いを全員が持ち、プロジェクト目標に邁進することが出来たと思っています。

 また、中央銀行も顧客ではあるが彼らも日本人と一緒になってこの「プロジェクトを完成するのだ!」といった意気込みが日本人全員にも伝わり、プロジェクト前進のための相乗効果も出たように感じました。

 今月号はここまでとします。
 なお、ここまでプロジェクトが何の問題もなく進められたように思いますがもちろん失敗談もあります。
 次回はその失敗談とシステムの引き渡し等について話をします。

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