PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(89)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :8月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

6 創造
●発想促進法 ⑩ の「つづき」
 前号で通勤電車の中で行う「情報受信」と「情報発信」の作業を述べた。前者は新聞、雑誌を読むこと、ニュース、TVなどをスマートフォンなど情報機器で視聴し、各種の情報を得ること、後者は問題の解決や新事業のネタなどを頭の中で考え、アイデアを発想する事、混雑してなければ、メモをする事を勧めた。

●情報受信について
 筆者の周囲に本や雑誌を沢山読む人が大勢いる。その人達は、楽しんで (苦労して?)、知識や教養などを増やすために本を読む人、又は楽しんで (苦労して?)論文、出版、仕事などのために本を読む人に分けられる。更に読む環境は、静かなでなければダメな人、騒がしても平気な人にも分けられる。


 筆者は、公私共に忙しいので、仕事のための「目的的読書」が殆どである。楽しい時もあるが、面倒な時もある。しかし読む環境は、どこでもよい。騒がしくても平気で、電車の中などは却って意識が集中し、時々、降りるべき駅を乗り越す。

 また人と待ち合わせの場所には、必ず最低でも15分前に行く様に習慣化している。万が一の遅れを防ぐためであるが、その待つ間を利用して本や雑誌を読むためでもある。待ち合わせの時間も意識が集中する。この「細切れ読書法」でかなり多くの本を読む事ができる。余談であるが、忙しい人ほど時間を厳守し、暇な人ほど時間を厳守しない。前者の人は信用を得るが、後者の人は信用を失う。更に前者の人は発想に優れているが、後者の人は発想がお粗末である。

●滅茶苦茶・読書法
 ちなみに筆者の理論書、実用書、雑誌、小説などの読み方は「滅茶苦茶・読書法」である。「まえがき」は読むが、本文の最初のページから読み始める事には拘らない。目次を見て面白いところから読み始める。その箇所が面白いと前の章に戻って読む。そこが面白ければ更に前に戻る。また最後に飛んで読んだりする。その過程で本当に面白いと最初から最後まで一挙に読む。

 本屋では、「簡易・滅茶苦茶・読書法」で本を選別して買う。また本を贈呈され読む事も多い。いずれの場合も、「正統・無茶苦茶・読書法」で面白くないと思った瞬間、数時間前に本屋で買ってきた本でも躊躇なく本棚にほり込む。買ったり、頂いた本の70%位が本棚行き。なお本棚整理の時は、「直感」で気になる本はブックオフに売らない。何故ならその種の本も、全く別の目的から役立った事が過去に何度もあったからだ。なお新しい電子情報時代の「読書」としては「電子出版物」がある。しかし自由な書き込みができないなど問題がある。発想の観点からは、電子出版物は情報受信機能の 1 つとして考えているだけ。


 筆者は、雑誌よりも、本を重視している。雑誌の記事は短く、断片的であるからだ。しかし本の場合は異なる。例えば200ページを越える内容の本を書くためには、どの著者も、基本的な考え方と方法論を持たなければ、本をまとめられない。

 もっとも文章の羅列の様な本が最近多い。例えば「アイデアを発想するための30の法則」、「事業開発のための50の原理」などのノウハウ本である。これらの本を読むと50や70の内容がある程度分類されて提示されている。しかしすべてを串刺しにする基本的な考え方が存在しない場合が極めて多い。ちなみに筆者の「夢工学式発想法」には、10個の「発想促進法」、4個の「発想阻害排除法」がある。しかしこれは羅列ではない。

 この10個と4個を串刺しするものは、夢工学の本質と発想の原理である。なおこれらは遵守せねばならない「発想ルール」ではないから、全てを実行する事を強制しない。気に入った方法、使えそうな方法を使えばよい。要は優れた発想を生むことが目的だから。

 情報受信に関しては、本、雑誌、新聞などペーパー情報以外ではTV情報、映画情報、インターネット情報など無数にある。特にインターネット情報は、コマ切れ情報で量は多いが、質が悪い。当該情報の情報源を調べ、注意して活用している。それにしても誤った情報、偏在した情報が多過ぎる。

 筆者は、FACE BOOKを一時利用した。しかしPCメールと携帯メール以外で、この情報のやり取りまですると時間をやたらに取られる。しかも不特定多数との情報交流に気をつけねばならない。しかも時々変な情報を筆者のフェースブックに載せられた。そのためフェースブックでは受信だけで、発信は一切やめた。

 情報受信では、講演を聞きに行く事、人と会う事などがある。これで得る情報は、「生」の情報のため最も迫力があり、信頼性も高い。しかしそれでも誤った情報や偏った情報を提供する人がおり、鵜呑みにしない注意は必要である。

●情報発信
 筆者は、公式の場に臨む時の背広のズボン、通勤用の背広のズボン、普段着のズボンなどの区別なく、ズボンの右のポケットに必ず「あるモノ」を携帯する。


 それは筆記用具である。タテ 7cm、ヨコ 5cm、厚み約 5mm の「ポストイット」の束と長さ 5cm の短い 4 色のボールペンである。何かを記録したい時、アイデアを思い付いた時、キーワードだけでも直ぐに書ける様にしておくためだ。ポストイットのため、束から剥がして、アイデアの種類別の A4 の用紙に貼り付ければ、一瞬にしてアイデアの資料が完成する。転記など一切不要。

 電車に揺られながら歪んだメモ書きは、A4用紙にそのまま貼り付ける。後日読んでも、その時のアイデアが浮かんだ情景がそのメモを通して一瞬にして浮かんでくる。学生時代、英語の単語帳や短文ノートについたシミや汚れが単語や文章を思い出すのに役立った経験を思い出せば、筆者の言う意味が分かるだろう。ちなみに発想内容を記録するとは、清書するより、汚いメモの方が情報価値が高いことを認識すべきである。

●PCでの情報発信
 最近の若い人達は、何でもPC、スマホなど電子機器に情報を写真や文字転換して記録している。会社でも仕事の内容は殆どPCを使った処理をしている。便利で効率的であるからだ。

 しかし何でもかんでも、PCを使って発想することは避けるべきである。何故ならアナログ的思考ができないこと、PC画面では、発想のための基礎データ資料、ヒント・データ資料、上記のポストイット・データ資料を空間的に処理し難いからだ。専門的に言えば、KJ法A型展開ができないからだ。この意味が分かる人物は、発想作業を日頃から度々行い、優れた発想を生み、商品化、製品化、事業化に成功している人物である。

 下記の色のついた四角は、様々な発想した塊りを言葉に表したものを云う。線は、それらの塊りがどの様に連携し、相補関係にあるか、因果関係にあるかなど表したものを云う。それらを図式化したものをPCで 1 つの画面で描き表すには時間と手間が掛る。しかし大きい紙の上では、アイデアの塊を表したメモ、写真などを自由に組み合わせ、手書きを加え、紙に簡単に固定できる。


 PCは便利であり、多くの情報処理機能を果たしている。しかし自由発想には不便だ。もしPCに100%頼って発想しているなら即刻やめる事を勧める。筆者は、情報発信に関しては、PC発想法と紙発想法の組み合わせで発想 (PC & 紙・発想法) している。

 自分の頭脳から発想するコンテンツを、PCを活用して発想処理し、自由に組み合わせ、アナログ的情報処理を可能とすることができないか? 日本のコンピュター・メーカーは、何故、この様な挑戦をしないのだろうか? コンピューターの製造技術の改善、改良では、世界をリードする会社になれない。

 筆者は、各種データ資料を「PC & 紙・発想法」で、時間系列的、空間系列的に処理をする。この方法で発想を劇的に促進させる。この方法を誰でも使える方法に確立させた時、「発想促進法の⑪」として追加するだろう。

●最適環境の認識と行動の習慣化
 前号で説明した「発想のための 9 通りの環境」の中で自分にとって最も発想に集中できるか環境が何かを日頃から認識している事が重要である。その事に加え、更に重要な事は、認識した環境を意識的に選択する事、その環境下で発想する事を習慣化する事である。

 好ましい事、やるべき事などは、習慣化するクセを付けること。そのクセを付けてその行動を何度も何度も繰り返す事は多くのメリットを生む。ピアノやゴルフなどの習得も、学校の勉強も、会社や役所の仕事も、全く同じで、習慣化が重要である。筆者の「細切れ読書法」、「滅茶苦茶・読書法」、「PC & 紙・発想法」は、すべて習慣化されている。従って無意識にそれらの方法で本を読み、発想をしている。

 「一芸に秀でた人は、何にでも秀でる」と言われる。その様な人は習慣化する事が得意である。だから何にでも秀でるのだ。発想と云う行動も全く同じである。習慣化すると意識的又は無意識にベスト環境を選択し、ベスト・プラクティス (行動) をし、優れた発想を生む。

●才能説と天才
 「彼は才能があるから優れた発想ができる」、「彼女はセンスがあるから仕事ができる」という才能説がある。学校の勉強も、仕事でも、この才能説が幅を効かせている。しかしその才能説を説く人物は、本当のところ、天才と言われる人物を軽視する一方、天才でないが優れた才能を発揮する人物を馬鹿にしている事実に気付いていない。

 夢工学では、「才能」とは、「好きの度合い」と定義している。天才の人物は、ある事に人並み外れて異常に好きな人物の事を云う。天才でないが優れた才能を発揮する人物は、ある事に異常ではなく、人並み以上に好きな人物を云う。

アルバート・
アインシュタイン
博士(理論物理学)
アルバート・アインシュタイン博士(理論物理学)、リサ・ランドール博士(素粒子物理学) リサ・ランドール
博士(素粒子物理学)

 しかし天才と言われる人物も、優れた発想をする人物も、日頃から人知れず、地味で、コツコツと習慣化したクセを基に努力を積み重ねた。この事実を忘れてはならない。習慣化と努力なくして天才となった人物や優れた才能を発揮した人物は、人類史に唯の一人も実存していない事を歴史が証明している。しかし彼らは努力を努力とは思わなかった事も事実である。なぜ努力と思わなかったか? 彼らはその事に異常に好きか、人以上に好きだったためである。

つづく

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