今月のひとこと
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講演とノイズ

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :7月号

 火山、地震、竜巻に大雨、日本列島各地から自然災害のニュースが絶えません。約10年前、PMAJ事務所から程近くの地下鉄麻布十番駅が台風による大雨で冠水しました。その後、浸水被害対策として地域を流れる古川の地下に調整池を建設していましたが、来年漸く完成するそうです。

 さて、半世紀ほど昔の話です。当時、自宅で音楽を楽しもうという人々はLPレコードを収集し、高性能なオーディオ機器に多額の資金 (小遣い?) を注ぎ込んでいました。高性能といってもアナログですから、録音時に同時に採集された雑音やLPレコードに付くほこりや傷も確りと拾って耳障りなノイズを出します。鮮明な音質を追及するオーディオマニアは、神経質に、ノイズ除去に取り組んでいました。
 そうしたマニアに対して「そんなに熱心にノイズを聴かなくてもいいじゃないですか」と言ったのは著名な邦楽器演奏家です。元々、邦楽器の演奏はお座敷等で演奏者と聴き手の距離が短いところで行うのが普通です。演奏者の息遣いはもちろん、音律とは関係のない様々な音が聴き手に聞こえてきます。三味線の糸巻を捻る「ぎゅうっ、ぎゅうっ」という音、尺八を吹く息が漏れる音、琴柱を動かす音等です。邦楽の聴き手は、こうした様々な音 (ノイズ) を聞き流し、美しい音律だけを抽出して聴いています。オーディオマニアは真逆です。美しい音楽を聞き流して、ノイズを熱心に聴いているのです。
 この演奏家はまた、LPレコード (アナログ) からCD (デジタル) への移行を残念がっていました。デジタルの世界では、録音時に雑音を排除します。ほこりや傷の影響もなく、聴き手に極めて鮮明な音を提供します。ところが、この鮮明な音は、楽器が生み出した音そのものではなく、その一部を切り捨てた音なのです。人間の耳には識別できない高音域と低音域の音をLP (アナログ) では再生し、CD (デジタル) では再生しません。例え聞こえなくても、音の膨らみとか味わいといった面で必要なのではないかというのが、演奏家の意見です。

 PMAJの一大イベントであるPMシンポジウムが近づくと (今年は9月3日(木)、4日(金) 開催)、こうしたノイズや無音に関する話を思い出します。
 (注 : ジャーナル編集長の傍ら、PMシンポジウムの裏方も務めています)

 例年、PMシンポジウムでは、様々な業態のプロジェクト実践事例やPM手法の講演・セミナーを行ない、受講した皆さんにアンケートをお願いしています。アンケートでは満足度をお尋ねするとともに、ご意見を書いていただいています。そこには、賞賛の言葉ばかりではなく様々な厳しい批判 (ノイズの指摘) が並びます。滑舌が悪い、声が小さく聞き取れない、何を言いたいのか論旨不明、画像の字が読み取れないほど小さい、講演中の態度がだらしない、空調が効かない、外部の騒音が煩い等々です。満足と回答したうえでこうした批判が書かれている場合は、確り聴いた上でさらなる向上を促しているのだなと思います。殆どの受講者が不満足としている中に、講演者がうまく表現できなかったことを理解して賞賛の言葉を綴ったアンケートを見つけると、この方は確りと聴いてくれていたのだとうれしくなります。読むに堪えないような非難の言葉が書き殴られていると、確りと聴いていただけなかったのではないかと心配になります。
 だからシンポジウムの受講者は、邦楽の聴き手のようにノイズに目を瞑り、確りと講演に集中するよう努力すべきだということではありません。受講者としては滑らかな語り口、惹きこまれる展開、要点が整理された見易い画像等を備えた快適な講演・セミナーを期待し、講演者としてもその実現を目指します。しかしながら、講演者のその思いが空回りして、説明を丁寧にし過ぎて時間配分を狂わせたり、画像への書き込みが増えたりとノイズが生まれることがあるのです。講演者への改善ポイントを伝えるというアンケートの趣旨からも受講者にはそのノイズを指摘していただきたいのですが、ノイズの陰にきらりと光る何かを見落とさないようにもしてほしいのです。ノイズに囚われ過ぎて、頭の中が怒りで一杯になり、平静であれば聴き逃さないことを聴き漏らしてしまうのは、もったいないなあと思うのです。
 せっかく江戸川区船堀まで足を延ばしているのに・・・。

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