理事長コーナー
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「アイアムソーリー法」を思う

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :6月号

 仕事や生活に過失、失敗、事故などは避けられない。その原因は広い範囲に及び、落ち度の軽重にかかわらず起こした人の謝罪がつきものだ。日本ではまず謝り「誠意を見せて」事後に対応にあたることが日常的だ。グローバル化を取り上げたテレビ番組のひとつに、「日本人は何故すぐに謝るのか」という特集があったそうだ。来日した外国人の目から見ると日本人の謝罪の閾値 (しきいち) は低くみえる。逆に、日本人が海外に出た場合にすぐに謝罪することは要注意だ。

 新入社員教育を思いだす。丁度、高度成長期の頃だ。法務部長による契約に関する社内セミナーをはじめて受講した。当時は国内のコンビナート建設が最高潮だった頃で、エンジニアリング会社の主要な顧客は国内だった。商務の流れは、基本設計を米国のライセンサーから購入し、それに基づき自ら設計・調達・建設 (EPC) を実施し、日本の顧客にプラントを引き渡す案件が多かった。その上流部分を担う米国企業と正しく付き合うことが重要な仕事であった。米国人は個人主義傾向が強いため他人のせいにしたがる。たとえ、こちら側が原因で過失、失敗、事故などを起こしたとしても、日本社会で行われているように、考えもなくすぐ謝るのは厳禁だと教わった。印象に残った言葉だった。その後も自分なりに多文化関連の本を読み、英会話の米国人教師に確認した。「ふむ、アイアムソーリーと発することは要注意だ」と繰り返し出てくるので、心にしっかりと刻んだ。初めての海外出張先は、現に米国だったので特に注意したと思う。

 「アメリカのような個人志向の社会に於いては、個人の自律と選択こそが価値を置かれる。個人の自律の強調 (のされ過ぎ) は、偏狭な個人的利益の勢力的な主張へと導かれ、他人の権利との対極的な衝突を生じさせる。そのような文化では『謝罪』に対して余り重きを置かず、(関係者間の代替的な) 紛争解決よりは、むしろ訴訟を使う傾向になる。個人志向の文化に於いては『関係性』は社会の枠組みの中で余り重要な役割を有してないから、『謝罪』にも低い価値しか置かれない。」 (Pavlick、Apology and Mediation、平野晋訳)。その結果、日常的な訴訟社会となり、人口一人当たりの登録弁護士数も対日本比では20倍以上となっている。例えば、庭木の枝が垣根を越えて隣家に出ていた場合、そのカットの要請にすぐに応えないと訴訟するが、訴訟関係にあっても隣家とは普通に付き合うのが米国社会だと、訴訟社会の日常性の比喩としてまことしやかに教わった。

 最近、米国でこの傾向が変化したという報道を聞き正直少々驚いた。米国内でもっとも保守的といわれる東部マサチューセッツ州で、謝罪の言葉を不利に扱わない、すなわち、謝ったとしても、それをもって過失を認めたことにはならない、それを償う金銭を支払う義務も生じない、Sorry Law (日本語訳の通称は「アイアムソーリー法」) が2000年頃に制定されたという。きっかけは、自転車に乗っていた少女が不幸な交通事故にあって死亡した。加害者の運転手は裁判で不利になるとして謝罪を拒んだ。その州の上院議員であった父親は、この悲しい経験から「アイムソーリー」の一言も言えない社会はおかしいと訴え続け、謝罪が不利にならない法律を提唱し実現したとのことである。その後、40近い他州も後を追うように同様の主旨の法律を制定した。

 ただし、多くの州は、医師の過誤に対しての謝罪が不利にならないという医療分野に限定している。あるいは、早期の特定期間内に謝罪したことに限定して被疑者を保護しているので、一般的な謝罪には適用されない。医療過誤に対して訴訟が相次ぎ、それが医療行為を委縮させ、かえって医師による適切な行動を阻害し、治療拒否や慎重になり過ぎ治療自体が遅れるなど社会問題化したからだ。調査によれば、被害にあった患者の家族や関係者も、医師が落ち度を認める言葉が、一時的にせよ心情や怒りを和らげ、冷静に対応できる助けとなる。無用な摩擦がその初期に起こることで、その後の対応の悪化を招くことを防ぐ知恵である。ただ今でも落ち度を認める言葉が過失を起こした証拠となる州が多いのだが、個人主義が世界で一番強いと云われる米国でも徐々に変化が生じてきたと云える。

 日本では狭い国土に大勢の人間が平和に同居する知恵として、話し合いを重んじ、中長期の関係性を重んじてきた。関係を悪化させない言葉として「すみません」、「ごめんなさい」は日常良く使われる。「語源由来辞典 (WEB) 」によると、依然謝罪の意味はあるが、徐々にその意味は薄れ、近年日常の挨拶言葉になってきているそうだ。日本のビジネスでは、良好な関係性の維持は必須要件である。P2Mでは初版から「関係性マネジメント」を重視し、一章を割いた。改訂3版では、「第2部プログラムマネジメント、第2章4. 関係性マネジメント」と、ISO21500 のマネジメント要素の順序に合わせた「第3部プロジェクトマネジメント、第3章ステークホルダーマネジメント」に名前を改訂して記載しているが、依然、日本国内でプロジェクトを推進する際の重要事項として掲載している。

 古代ギリシャ人の正義感は「為し手は、為しただけのことを報いとしてその身に受ける (アガメヌノーンより) 」とある。また、ハンムラビ法典にある「目には目を、歯には歯を」と同様に、同階級であるという前提で、無限な報復を禁じて同害報復までに限度を設定することとある。同様の記述は旧約聖書や新約聖書にもある。行き過ぎると復讐の連鎖となりお互い破滅する。起こしたことに対して「均衡 (equilibrium) ・衡平 (equity) 」を取っている。(アガメムノーン、久保正彰訳) 謝罪もその重要な一つという考えだ。哲学、心理学、行動科学、法学、経済学、文化人類学などに及ぶ社会科学の原理の一つといえる。人類の偉大な知恵である。

以 上

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