グローバルフォーラム
先号   次号

「グローバルPMへの窓」(第92回)
世界進出50年

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :6月号

 この原稿を書いている5月18日は、私にとって特別の日である。大学 4 年生であった1965年のこの日、1 年間休学して、南米研究の実地調査のため、私は北九州市八幡製鉄 (現新日本製鐵八幡製鉄所) 構内の戸畑港から南米チリ国のコキンボ港に向けて鉄鉱石運搬船の客となった。ちょうど50年前のことである。この旅行のことは何号か前のこのコラムで書いた。
 一貫して発展途上国に対する強い興味があり、実際の交流も、その後社会人となって顧客と、そして協会運営者として各国PM協会と、今研究者としてアフリカやアジアの大学関係者と、脈々と続いている。
 もちろん、50年の間に世界は大きく変わった。私が社会に出た60年代後半の日本は高度経済成長第二期にあり、世界がうらやむ奇跡の成長を遂げたが、その後、どの先進国も経験する成熟経済を迎えている。しかし、日本はイノベーションとレジリアンスの国で、本当にしぶとく、最近、日本株の時価総額がバブル期を超えた、海外純資産がダントツの世界一だと報道されており企業は実に優秀だ。最近、大学院で授業をしていて学生たちからライフ価値観を聞く機会が年に何回かあるが、先輩達の成功体験はいらない、自分達なりの価値観を見出そうとしている、という声も出てくる。それは大変結構であるが、私の感覚では総合して世界一豊である日本を基準に世界を見ることだけは止めたほうがよい。
 学生時代、アメリカなど、と思っていた米国であるが、5 年にわたるインドネシア駐在員を経て遅まきながら1980年に初めてテキサス州ヒューストンを訪れた際の米国の豊かさにはただただ感動した。それからは約20年間米国をベンチマーク先として、エクソンやPMIを師匠として先端プロジェクトマネジメントを学んだ。70回くらい訪れた米国であるが、現在は、極めて複雑化する世界で、そして米国自体が複雑な社会で、国を挙げて経済成長を維持して大国であり続けるのは至難の業とみる。私自身が年を重ねて他人のいう事を丹念に聞くことが億劫になって思うに、つくづく民主主義とは忍耐が必要だ。
 90年代までは私にとり遠い国であり、敷居が高かったヨーロッパ (西欧) であるが、97年にベルリンでヨーロッパ主導のエンジニアリング業の世界大会に、会社としてBritish Petroleum (BP) より招待を受け、論文発表を行い高い評価を得た (知恵を出したのは私ではなく、会社の幹部であるが) ことをきっかけに徐々に米国から興味が移った。2002年にフランスの大学院から非常勤教授の指名をいただきバーチャルな面も含めて活動の場はヨーロッパに移って今日に至っている。この大陸は学びの場となっている。
 ヨーロッパの成熟化と相対的な社会の質の劣化は年々進んでいることを年に数回の訪問で実感している。米国もそうであるが、グローバル社会の先達として、また歴史の経緯から、移民を受け入れざるを得ず、社会の統一アイデンティティーを守るのがいかに大変であるか。政治的な複雑性と社会の多様性を背景に、この地のプロジェクトマネジメントは大人の体系で奥が深い。
 学生時代には私にとって社会主義国といえば、一にキューバ、二にキューバであった。フィデル・カストロやエルネスト・チェ・ゲバラの演説を何度も聞いて、演説の口調を学んだ。キューバへの関心はそこまでで、旧社会主義国との付き合いは、米国の世界大会を舞台としての、1992年以来のロシア、ウクライナ両PM協会長との親交がきっかけで、2000年代からロシアとウクライナを合計20回程度訪問することで深まった。ウクライナは私の大好きな国であり強い繋がりを持っているが、同国は旧ソ連邦崩壊による独立で、いきなり国家予算の2割を費やすチェルノビル原発事故の後処理という負の遺産を背負わされ、以来国の富が積み上げられた時期はほとんどなく、せっかくの国を挙げての高学歴 (ウ国は世界4位と言っている) や旧ソ連の先端科学技術担当共和国であった伝統に基づく基礎科学力が生きていない。実にもったいない。ウクライナで高等教育を受けた男女の 6 割以上は理工学部出身者であり、一方今世紀の市場であるとされるアフリカ諸国には理工学部は極めて少なく、これではモノづくりはできない。しかし、お互いにこのような相互補完の機会があることを知らない。
 私がインドネシア駐在員をしていた70年前半には実に発展途上国ばかりであったアジアはいまや完全に世界の成長エンジンとなっている。英国と並んで世界のナレッジエコノミーの先達である小さな大国シンガポール、巨大な可能性を有するインドネシア、日本が今世紀に残された市場であるアフリカに食い込むのに不可欠なパートナーである (と私は考える) インド、天然資源がなく、国民の知恵でサービスエコノミーを回して病める国を脱出し成長軌道に乗ったフィリピン、世界一の大国が視野に入ってきた中国、と個人的に付き合いが深い国が躍進しているのはうれしい事だ。
 世界の各地域を見ていて、物事の縦横が合っていて、社会に発展へのエネルギーがあり、人々に生きる力が溢れているのはアジアだけではないかと思う。
 現在私のフロンティアは中国 (局地的ではあるが) とアフリカであるが、いずれも矛盾に満ちている。中国については、地域格差、社会格差とリテラシー (教養) 格差であり、アフリカについては、経済成長と個人所得の逆相関関係である。アフリカの経済成長率は2000年代に年平均 5.5 %であったが、サブサハラ地域のボトム・オブ・ザ・ビラミッド (B.O.P.) と呼ばれる最貧人口比率は1983年の 11 %から2013年には 30 %と大幅に増えている。

 このような矛盾の解決策は、中国内の、アフリカにあっては国をまたいで地域で (西アフリカとか) バリューチェンあるいはサプライチェーンの再構築構想にかかっているのではないかという仮説を立てて研究してみたい。見果てぬ夢になりそうであるが。

 正直なところ、病気も多々経験したのに、成人してから50年も海外と接点をもっていられるとは考えていなかった。「発展途上にこそ成長がある」、「研究者としては利他主義で」、そして「世界は多極から眺めるべし」、という信念をもってもう少し頑張りたい。  ♥♥♥


ページトップに戻る