PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (56) (実践編 - 13)

向後 忠明 [プロフィール] :6月号

  <エンジニアリング産業から情報通信へ : 先月号の続き>
 JICA調査団の仕事と言うとなんとなく大学の先生が団長となって発展途上国の技術援助の一環となるインフラにかかわる公的なものと思っていました。
 実際インドネシアに出発となった時、パスポートは今までとは表紙の色も違った公用パスポートと言うものでした。筆者にとって初めてのことであり、緊張の度合いが増すばかりで一層の責任を感じました。
 そして、団員となるNTTI側メンバー (7人) も決まり結団式を行い、なんとなく日本の旗を背中に背負ってインドネシアに向かうといった、これまでにない気負いを感じました。
 筆者はインドネシアに何度も行っているので慣れているが、NTTIの団員のみんなは海外が初めてです。これも心配でした。
 特に、インドネシアイミグレーションにおける問題はこの当時はいろいろ問題もあり、「うまく通過できれば良いのだが…」と心配していました。
 確かにインドネシアのイミグレーションは問題が多く、何かにつけクレームをつけることが多かったと記憶しています。
 しかし、今回は何の問題もなく全員がイミグレーションを通過することが出来ました。
 やはり公用パスポートは一般旅券とは違って、このような場合はそれなりに有効であるものと感心しました。
 このように、これまでJ 社で経験した海外プロジェクトではなかったことばかりが続き、あたふたとしながらもインドネシアに着きました。
 その後、ホテルに着き、チェックインを済ましてから、インドネシアに既に来ていたJICAの担当者のところに挨拶に出かけました。そこで、JICAの担当者と翌日からのスケジュールについて説明を受けました。
 翌日のスケジュールは顧客である電話公社の局長や郵政省の人そして日本大使館への挨拶と言う手順でした。大使館では大使が対応するとのことでした。
 ここでも、筆者はビックリであり、JICA 団長の位置づけと言うものは「このような人たちが対応してくれるものなのか・・・」とさらに責任を感じました。
 そして、いよいよ、公社側の担当者たちとの会議となり、NTTI側の計画や作業の手順内容、そしてお互いの作業分担や責任についての話し合いをしました。
 その後、公社側の意見も入れて調査結果のまとめの具体的な詰めを団員とホテルに帰り話し合いを行い、下記のような項目でまとめていくことにしました。

  ①  調査概要、特にジャカルタにおける電気通信の現況と調査
  ②  調査を踏まえた現状分析
  ③  電話需要予測
  ④  技術検討
  ⑤  実際のプロジェクト実施計画
  ⑥  財務及び経済分析
  ⑦  調査結果のまとめと調査団としての勧告

 上記の項目については日本においてJICAと既に詰めてあった内容のものでしたが、実際の現地の状況及び公社との事前打ち合わせの内容を考えると大変な作業になると感じました。
 公社との会議やホテルでの話し合いの中で、団長としてしっかりした態度での対応を取らなければいけないと考え、わからないながらも率先して会議をリードするように心がけました。
 しかし、細かな技術内容に入ると全く分からなくなり、おまけに英語での説明でもあり全くチンプンカンプンでした。NTTI側の技術者は公社の人達とは片言ながら英語で説明していました。技術の話はたとえ拙劣な英語でもお互い通じていたようで安心しました。
 なお、技術以外の件については、筆者の出番も多くあり団長としての権威を保ったような気がしました。

 ここでまた蛇足ですが、上記に示した作業の内容を見ると現在日本PM協会 (PMAJ) が推奨しているP2Mハンドブックに示されるスキームモデルの標準的な作業内容に酷似しています。筆者にとってもこの作業は多いに将来の仕事に役立つことになりました。

 数日間、上記のような調査前の事前打ち合わせを行い、いよいよ調査の開始になりました。そこで、当然公社の方で準備するべき執務場所について「我々の執務をする事務所はどこにあるのか?」と確認したら、「???????」でした。
 本件はJICA から既に公社に連絡されているはずであり、こちらから確認する必要のないことでした。しかし、何か齟齬があった様で執務場所についてはなんの手も打ってなかったようでした。
 「やっぱり!」とこの時思いました。
 インドネシアには「TIDA APA APA」と言う言葉があるように英語でいうところの「Never Mind」であり、大雑把な所があります。
  これはJ 社にいたころ学んだことですが、早速、公社にクレームを入れると同時に、JICAにも契約変更の通知を出しました。
 一方、時間もないので「こちらで適当な事務所を探します」とも伝えました。たまたま、J社がインドネシアに石油公社と合弁で会社を持っていたので社長と話をして会社の一隅を借りることにしました。
 その旨をJICA に連絡したら 、本調査案件は国対国の仕事であるので民間からの事務所貸与は許可できないと連絡がありました。
 そこでこちらは、「この会社はインドネシア公社との合弁であり純民間ではないので問題ない」と反論し、何度かのやり取りの後、JICAも他に手立てもないことから許可することになったようです。
 J社の事務所の一隅に執務場所を設置することで、現地スタッフ (8人程度) の雇用もこの会社の紹介で難なく良質なスタッフをそろえることもでき、また、筆者の出向元でもあるので多くの便宜を図ってくれました。
 そして現地での調査が始まり、毎日ジャカルタの中をあちらこちらと動き回り、調査が終わったらそのまとめを事務所に帰ってから行うといった作業を2か月程繰り返し行いました。もちろん、この間でも公社側と必要に応じて会議を開き仕事の進捗や依頼事項などについての話し合いも行いました。

 そして、第一回目の現地状況及び技術的調査が終了し、日本に帰国し調査結果の分析、NTT 側の専門家との打ち合わせ、不足する事項の指導やデータの調査・取得を行いました。
 そして、日本での調査とインドネシアの調査を踏まえての調査報告書(中間報告書)の原稿を基に、JICAと打ち合わせを行いました。
 もちろん、報告書は日本語と英語であり、特に英語文章についてNTTIの英語の得意な人のチェックを受けたりし、日本滞在中に報告書の骨子は出来るだけ固めていきました。
 そして、更なる詳細な現地での調査を行うため、前回調査の漏れのフォローも含め、再度インドネシアに行くことになりました。

 第二回目の渡航でのイミグレーションにおける団員の態度は第一回目に比較しリラックスしたもので、余裕をもって入国審査を行っていました。

 なお、この当時はNTTの人達で海外に仕事で出ていく人は限られていていました。
もっと多くの人が海外に出るチャンスと仕事があれば、NTTの海外進出もさらに盛んになり、その先兵の目的で創設されたNTTIも「もっと元気になるのに・・・・」と考えたりしました。そのためには海外に多く出て慣れることが大事であり、まさに「習うより慣れろ」と今回の団員の行動を見てわかりました。

 第一回が調査対象のエリアにおける電話関係の現状調査 (電話施設状況、需要と供給のバランス、各種問題点の洗い出しそして料金設定基準等々)、採用技術 (μ波による伝送) の妥当性に関する調査等が主なものでした。それに対して、第二回目は第一回目よりさらに多くの現場と詳細な調査となり、具体的なプロジェクト実行に当たっての技術的調査及び財務・経済検討に必要な情報の入手、そしてそれを基にした検討などが行われました。公社に対しては日本で作成した中間報告書の説明なども行いました。
 このような作業と同時に、公社に対しても現状の調査結果や基本的なJICAチームの考えを説明し、第二回目の調査を終了し日本に帰国しました。
 さらに日本ではデータの分析と最終技術検討 (オペレーションやメインテナンスも含め)、プロジェクト計画、財務・経済分析等の作業を行い最終報告書の原稿の作成を行いました。
 そして、再度インドネシアに行きインドネシア政府に対してこの最終報告ドラフトのプレゼンテーションを行い、双方にて報告書にサインを行い、それを持ち帰り、最終報告書としました。

 初めての仕事ではあったが、筆者のこれまでのJ社での仕事に比べると成果物は書類であり、現物として現場に具体的な構築物があるわけでもないことなので、それほど困難な仕事ではなかったとの感想を持ちました。
 しかし、一番困ったことは報告書作成でのJICA担当者のコメントでした。それは、報告書の内容ではなく「文章の“て”“に”、“を“”は“」に関するものでした。

 一応、この仕事はプロジェクトとして成功の部類に入った様で、団員はNTTIの幹部からはだいぶ褒められたようです。
 その後、彼らはいろいろなプロジェクトで活躍することになります。筆者もアウトサイダーであったが何とかメンツも保つことが出来て恥をかかずに済みました。

 NTTが民営化されたとは言え、J社からの出向者である筆者の意見をまともに仕事に反映して動くような意識や考えを持っていなかったと感じていました。
 その様なことを考えると、今回の仕事の成功は彼らの民間企業に対する意識や国際事業に関する考えも変わったような感じも持ちました。
 なぜなら、これをきっかけにNTTは本格的にこのような調査案件をはじめとし、それをきっかけに各国への投資案件への進出に動き出す気配が出てきたのです。

 ところで、このJICAの仕事が完了した頃は、出向から約 1 年半たち、2 年間の出向期間が終わりに近づいていました。
 筆者も里心がつき、気持ちは徐々に古巣のJ社に傾いてきていました。後の6か月はゆっくりとしようと思っていました。
 ところが、JICAの仕事が完了してから数日も経たないうちに「新しいトルコの案件がありその対応について話をしたい」とのNTTIの社長から連絡が入り、何か不安な気持ちを抱きながら社長室へと向かいました。

 今月はここで終わります。

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