PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (55) (実践編 - 12)

向後 忠明 [プロフィール] :5月号

 “エンジニアリング産業から情報通信へ“
 筆者の意識になかった全く別な仕事への挑戦が30代の後半になって始まることになりました。この分野への転換は、全く想像もしていなかった将来の新たな世界へ船出となるきっかけとなっていくと筆者自身思ってもいませんでした。

 J社はこの新しい仕事のために、情報通信開発室と言う名称の事業主体を立ち上げました。そこに筆者は籍を置くことになり、そこに集められた人たちは電気や計装にかかわったJ社の社員であったが、残念ながら情報通信にかかわった人は誰もいませんでした。
 なお、組織はできたもののこの時点では特に具体的な案件があるわけでもなく、何をしてよいのかわからない状態が続きました。ただ、筆者を始め情報通信室に配属された人たちの意識はNTT=電気通信と考え、その種の仕事が主なものとなるだろうと想像していました。
 そのため、技術的なことの指導・援助はNTTが行い、J社にNTT関係者が派遣されることと思われていました。情報通信室にはその目的のために5~6名程度と予想されるNTTの人達の机や備品が揃えられていました。
 それから何週間か経って、この情報通信開発室長の中近東での営業ネットワークからサウジアラビアの電気通信プロジェクトの引合いに関する情報が入ってきました。プロジェクトの内容はこの時点ではまだはっきりしていなかったが“何はともあれ”それに応募することになりました。

 一方、情報通信開発室の人達もこのような入札があることを想定して、既に各々が電気通信の勉強をしていました。筆者も基本的な電気通信技術の知識を得るため、関連する文献を買って読みました。しかし、筆者の専門は工業化学であり、難しい専門書を読んでも“チンプンカンプン”でした。
 そこでもっと基礎の基礎という事で電気通信博物館に行き、電気通信のネットワークのモデルと説明員の説明を聞いて何とか電気通信を構成するシステムとその機能の基礎は理解できるようになりました。

 このような時に、NTTの支援もなく、サウジアラビアの引合い書が筆者の手元に来たわけです。しかし、ここで挫けることは筆者のネバーギブアップの精神から外れると思い、何とかせねばと考えた結果、これまでプラントビジネスで関係していた大手の電気通信に強いメーカの力を借りることに思いつきました。
 このメーカはJ社とはプラントの一部 (通信関係) での関係での協力会社であったので話は聞いてくれることになりました。
 この時このメーカは「何故J社が電気通信の仕事を????」と言う感じで我々に対応していました。
 このメーカとの接触時は室長も一緒だったので相手も責任者が出てきて対応してくれたが、条件付き協力という事でした。
 すなわち、全体責任はJ社であり、メーカ側はJ社の示す機器材の仕様に従ってその金額を出すだけとのことでした。
 こうなると、全システムの電気通信ネットワーク図、機器材のBQ(量)/型式、配置図、線路図等々そして現場での想定作業量等の各種図書の作成、見積もり、プロポーザルの作成とすべてがJ社の仕事となります。
 このように考えると、プロジェクトに求める技術的内容は異なるが、これまでの石油・石油化学関係のプロジェクトとやることは変わらないように思いました。
 しかし、このプロジェクトは引合い書の中身を読めば読むほど技術的知見の不足を感じるばかりでした。しかし、ネバーギブアップの精神で出来る所まで挑戦してみました。
 それでもやはり技術的障壁があまりにも高く、その上このプロジェクトには既設設備の更改も含んでいることを考えると現在のJ社の力量では困難と考えるようになりました。
 結果としては、あまりにもリスクが大きいことで、室長の判断でこのプロジェクトへの参加はやめることになりました。
 その後もいくつかの引き合いが来ましたが、どうしても技術的にJ社だけではこの分野への進出には無理があるように感じました。

 この頃になると、筆者もある程度情報通信分野の状況や知識も分かってきたこともあり、J社にとってこの情報分野のプロジェクトはどのようなモノかを冷静に自分なりに分析することを試みました。
 まずは室長すなわちトップの考え、そしてNTTとJ社のかかわり、社内でのこの室に関する噂、知識や経験の度合い、そして情報通信分野を取り巻く環境等々を考え、SWOT分析をしてみました。
 この結果ではNTTとJ社との関係がプロジェクト案件に対しても曖昧であったり、J社には顧客からの要求にこたえられる電気通信専門技術者がいない、実績もない、知名度もこの分野では低い等々あまり良いものではありませんでした。
 しかし、電気通信に関する専門術者がいれば得意のプロジェクトマネジメントやエンジニアリング手法によりプロジェクトはまとめられることも可能と考えました。
 このことを室長に説明し、何とかNTTの専門技術者をJ社に派遣してもらうように話しましが、この話も不調に終わりました。
 その後も、筆者は「このままでは、いつまでたっても事が前に進まないし、いずれこの室も危うくなると!!」感じ、悩む毎日でした。
 そこで、筆者は電気通信に限らず情報通信にはシステム開発分野もあり、J社としても既にコンピュータセンターもあり技術者も揃っていることを考え、上司にNTTに頼らない、この分野への転向をお願いしました。同時に情報通信開発室の名前を返上し、J社の得意なプロジェクトマネジメント & エンジニアリングの応用による他の産業分野への参入もお願いしました。たとえば病院プロジェクトや生産設備工場プロジェクト等これまでゼネコンの分野であるが建物だけではなく中の装置類も含めたエンジニアリングを含むプロジェクトです。
 しかし、すべて却下され、この時点でなんとなく筆者を取り巻く雰囲気が悪くなってきました。それから筆者の態度も後ろ向きとなり、なんとなく毎日を過ごすようになりました。

 ある日、室長がしばらくぶりに筆者に声をかけてきました。「何かあるな!」と思いながら話を聞きました。やはり思っていたような内容で、NTTの戦略子会社であるNTTインターナショナル (NTTI) への出向を依頼してきました。
 この時、筆者は来るべき時が来たなと思いました。サラリーマンとして出向はあまり良くない印象を持って見られがちでしたが、むしろ筆者は「技術の豊富なNTT関連会社ならこれまで困っていた技術面での不安はなくなる!!」と思いました。そして、J社の中で悶々としているより、これまで苦労していた技術問題は解消され、自分の力がこれで発揮できるとむしろこの出向は大歓迎でした。

 そして、NTTIに着任するわけですが、担当部署はプロジェクト部という事でしたが、周りの人はNTTからの出向者であり、知っている人もいなく、筆者もこの時は40歳になっていて、この年齢での新入社員のようなものでした。
 この会社の社長からは「君の国際感覚とプロジェクトマネジメントに期待します」との言葉だけで何時から何をすると言うことも無く、与えられた席も壁に向かって座るような場所で、出向時に描いたイメージからは程遠いものでした。

 その後は、仕事は何もなく、本を読んだりする毎日でした。周りを見ると、この会社の社員 (NTTの各所からの出向者) はパソコンに向かっているし、部屋の雰囲気はJ社の活気のあったものとは全く異なり、静かなものでした。そこで筆者は「こんなに暇な時間があるならこれまで学んだプロジェクトマネジメントの本を出す気持ちでまとめてみよう・・・・」と思い、この日を境にその執筆活動に入りました。
 その理由は、これまでバラバラだったプロジェクトマネジメントの知識に整理をつけ、自分なりのプロジェクトマネジメント手引書をまとめてみようと思ったからです。その理由は、先輩もいないこの会社で仕事をして行く上での手引書となっていくと思ったからです。
 この手引書の原稿の完成には約3か月かかりましたが、そのブラッシュアップの為、この手引書をJ社の先輩にも見てもらい、より信頼度の高いものにしていきました。

 このようなことをしていた時、NTTIの営業から社長室へ来るようにと呼び出しがあり、行ってみると、社長より「JICAの調査案件であるがこの仕事をやってほしい」との依頼がありました。
 その仕事の内容はインドネシアの首都ジャカルタでマイクロウエーブを使用した電気通信網の調査に関する案件でした。仕事の内容はコンサルタントに近いものであり、今で言うP2Mの“スキームモデル”そのものでした。
 「いよいよ仕事が来たか」とやっとこれまでのつまらない毎日から生き返ったような気持ちになりました。もちろん、この仕事も筆者にとってはその内容はこれまで経験したことの無いものと覚悟はしていました。
 この仕事は一般的にJICA調査団と言われている調査や事業化検討を含むプロジェクトであり、大学の教授やその分野の専門家が団長としてやるような仕事です。
 筆者に求められた役割はその調査団の団長でした。

 しかし、この案件には入札があり、競争相手も2社ほどありました。この時入札に当たって、筆者はNTTI担当営業にNTTとしての入札に関する前例、そしてその時の経験からの注意事項について尋ねました。
 なんと!!!営業の人、曰く「JICAの仕事では海外青年協力隊の隊員には多く派遣しているが、JICA調査案件は今回が初めてです」と言ってきました。
 すなわち、NTTではこの種の仕事は筆者が初めてという事になります。「こうなったらJ社の力の見せどころ」と思い、なんとでもこの仕事を受注して「やってやろう」と思いました。受注までの経緯にはいろいろありましたが、やはりこの分野ではNTTの力は強く、受注に成功することが出来ました。この時は、J社での最大の心配事であった技術専門家もNTTの子会社であることから難なく準備されました。

 ここで余談ですが、筆者のこのプロジェクトでの立場は団長すなわちプロジェクトマネジャですが、団長はJICAの規定では「技術士またはそれに相当する能力を持つこと」とあり、筆者には適合するものはありませんでした。
 それでもJICAはNTTの技術力に期待したのでしょう。やはり桶屋は桶屋であり、J社単独ではこの分野のプロジェクトは無理であったことを改めてここで知ることになりました。

 このプロジェクトの期間は年度をまたいで約一年のプロジェクトでした。いよいよ最初の調査と言うことでインドネシアに行くことになりました。

 この続きは来月号とします。

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