PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (54) (実践編 - 11)

向後 忠明 [プロフィール] :4月号

 先月号にて説明のインドネシアプロジェクトから、今度は新規分野の仕事に従事することになりました。
 J 社もこの時期は既存分野の石油及び石油化学のプロジェクトの受注も少なくなり新規の事業の開拓が必要となってきました。
 その新規分野の仕事とは将来の水不足を考えた逆浸透膜を使った海水淡水化に関する事業でした。海水淡水化はこれまで他の会社で海水を蒸発させ、その後冷却して真水にする方法で行っていたが、この事業はそれに対抗する事業と言う位置づけでした。
 この事業の現況は、まだ当該技術の納入実績もなく、一部実証プラントとして日本国内の某顧客に小規模な実証用設備で収めていた程度であり、実績面では頼りないものでした。

 このような状況にある逆浸透膜技術と言った新しい技術の展開を海外にも展開したいという会社の事情から筆者にこの仕事が来たようです。
 新規の技術はどのような場合でもそうですが、まずは顧客に技術の信頼性や安定性、そしてその結果の製品の性状や要求に合うものであることを顧客に満足させる必要があります。
 そのためにはこの技術の特徴や技術の優位性、設備の機能、実証結果と評価、実績そしてその事業性の可否を示す必要があります。
 しかし、状況は実証した場所は一か所で、実績もほとんどない状況での事業開拓、その上、筆者自身も全くこの技術に不案内でした。
 正直言って、これまでの石油及び石油化学に関連したプロジェクトに比較し、J社として「本当にできるのかな・・・!」と言う思いが先に立ちました。
 しかし、やめるわけにはいかないので、まずは各所からの情報の収集そして技術知識の習得が第一と考え、開発した部門、メーカからの知識習得そしてプラントの見学等々を行い関連の知識の吸収を行う事から始めました。
 そして徐々に情報を収集するにしたがってこの仕事は従来のプロジェクトマネジメントと言の形態とは異なった新規事業の開発的意味合いの強いものと分かってきました。
 これまで筆者の携わったプロジェクトは顧客開拓も実績面も問題なく、プロジェクトのアーキテクチャーや要件そしてその目的も明確であったので先輩の指導そして多くの内外での実績からの情報取得も容易であった。
 しかし、この事業の実績は実証設備程度のものであり、情報もさほど多くなく、これを海外の顧客に売り込むには会社のバックアップそして実行のための各種資源や情報が必要であり、その確証もなくこの先をどうしたら良いのか不安だけが先走る状態でした。

 何はともあれ、筆者一人で考えていてもしょうがないので、この装置をこれまでメーカと一緒に開発していた技術者(他の事業部)とのコラボがまず必要と考え、この事業部との掛け合いから始めました。
 この事業部も技術は開発したが実績が国内一か所だけで、国内のマーケットには多くを期待してなく、当面のマーケットは海外と考えていたようで、協力には快諾してくれることになりました。

 しかし、この海水淡水化関連プロジェクトは殆ど某社が海外においても蒸発・冷却による海水の淡水化で実績を上げているという事でした。
 この当時(1984年)は海水淡水化では蒸発・冷却方式が主流でこの新しい逆浸透膜による海水淡水化はほとんど海外では稼働していませんでした。
 このような状況の中での事業の立ち上げという事になりましたが、筆者が所属している国際事業部にはこの事業を一緒にやれる人材は皆無です。もちろん、これまで筆者の良き相談相手となっていた先輩も当てにならなくなりました。
 全くと言って「先の見えないいやな仕事を押し付けられた」と、状況調査をするにつけ「腹立たしい思い」がふつふつとわいてきました。

 しかし、考えているだけではどうしようもないので、上司に対してこれまでの本事業の調査報告と協力体制の確立をお願いし、その時に「それなりのバックアップ体制が必要です。まずは国際の中近東担当の営業を筆者のチームに協力させること、そして筆者の指定する人材の配慮をお願いします」と言いました。
 その結果、この事業は技術開発した事業部からの国際展開の協力の依頼もあることから上司よりの了解ももらえ、そしてこの事業推進のための専属の部屋も用意してもらいました。
 これで一応、体制は整いましたが、この仕事を進めるための方針や方向をプロジェクトのリーダとして示さなければなりません。

 「それにはどうしたら良いか?」いろいろ考えました。そこで思いついたのが昔勉強した中小企業診断士の教科書に書いてあったSWOT分析の手法やJ 社の研修で学んだME法 (ケプナー法とも言われていました) を思いだしました。
 まずはこの事業をSWOT 分析で自社の診断を行い、どのような環境下にあるか、そしてどんな顧客に提供する新事業であるかを考え、これまで調査・検討した内容を分析しました。
 この結果、強み (S) はJ社のエンジニアリング及びプロジェクトマネジメント能力であり、中東においては多くのプラント建設の実績もあり、名前が通っている、弱点 (W) は技術とその実績がないこと、機会 (O) は上記のSの強みを大いに利用可能、脅威 (T) は既に実績を持つ競合相手という事になります。
 この結果を基にチーム全員でこの新規事業の在り方について、ME法による自由発想で関心毎の列挙をしてもらい、その中での共通となる考え方をまとめる方法をとりました。
 問題分析の結果での課題は逆浸透膜そのものの技術は問題なくてもそれぞれ海外でのプロジェクトでは海水取水の問題や性状そして淡水化した水の性質そして嗜好等々の解決が出来ていないことでした。
 この課題については技術開発部隊とメーカが今後さらにこれからの営業対象となる国の調査を行い、そのデータの取得を行うことで解決していくことにしました。
 このように、学んだ知識の想起が役立つものとはと思いながら、「待てよ!同じことがP2Mのどこかに書いてあった!!」と、この原稿を書いているとき気が付きました。
 まさにP2Mの第3版のページ107に「新規事業創造のプログラムマネジメント事例 ①」に図と説明が書いてありました。
 人間と言うものは意外と知識として詳細に記憶していなくても困った時には自然に想起する事と感心したものです。
 確かに、知識や経験は大事であるが、大事な時にそれを使えるかどうかです。意外と使われずに頭の中にためておくだけで利用されないケースが多いものです。

 このようなことで、本事業は暗中模索そして徒手空拳の状況からある程度、前へ少し動き出すことが出来ました。
 その後、アブダビ、オマーン、UAE、等から話が営業活動の結果としてきました。
 しかし何はともあれ初めてのプロジェクトとなるものですから、顧客要件も何もありません。当然顧客もこれといった要求もなく、単に海水から真水を作り家庭に連続的に供給できるようにしてくださいという事でした。

 顧客として最初に具体的な話し合いに入ったのがアブダビ国での海水淡水化のプロジェクトと記憶しています。早速、現地調査に赴き、顧客との打ち合わせ、そして取水口となる海岸の調査を行いました。ここの海岸は浅瀬であり、取水口とするには不向きであり、相当長い配管を敷設し、沖合の深いところから取水する必要があります。
 その他、取水した海水には当然砂やごみが入ってきます。逆浸透膜はこの海水を目の細かい膜により塩水と淡水を分ける装置であり、この膜のつまりをどこまできれいにしたらよいか?等々が問題となりました。

 結局はこれまでの日本での実証経験もあまり参考にもならず、また自分たちの経験及び知識不足もあり、その見積もりコストは思ったより高くなり、結局この仕事は取れませんでした。
 同じように中近東からの引き合いが営業の努力で来るようになりましたが、ほとんどの場合、この逆浸透膜による技術がまだ信頼に足るものではなく、顧客の興味をもたらすことが出来ませんでした。
 筆者としてはこの技術は必ず将来大きく羽ばたくものと思い、またその自信もありました。営業も顧客の開拓への協力に力を入れてくれました。
 しかし、それでも現実にはまだこの種の新規技術の普及には時間がかかるように感じていました。

 この事業を始めて1年ぐらいたった頃、J社のビッグプロジェクトの一つが終了し、そこのトップが筆者のところに来て、「君のやっている海水淡水化の仕事はいまだ受注がないし、苦戦しているようだね!」と話しかけてきました。
 さらに「プロジェクトの規模としてもせいぜい十数億円程度であり、国際事業本部にとっての売り上げとしては・・・・!!」とも言ってきました。
 そしてまた何日かたって「君には他の新しい事業をやってもらいたいから、この海水淡水化の事業を中止し、私と一緒にやらないか?」と言ってきました。そして、「この海水淡水化の事業をやめるための撤退理由を書いて私に出してほしい」と言ってきました。

 これに対して筆者は、心の中では「なんで急に!!そして今更!!」と思い、今やっている事業の発端や現状をその人に説明し、「そのようなことはできません」と断りました。
 その場はそれで済みましたが、その後、その人が海水淡水化チームの部屋にきて「今度この部屋に来るから自分の席を作っておいてほしい」と言ってきました。
 「えーーー!!!」ですよね!
 何せこの人はJ 社でも将来のトップレベルを嘱望されていると噂されている人ですので断ることもできません。

 結局は、筆者の席の後ろに自分の席を用意し、筆者を監視するようにいろいろ筆者本来の事業のやり方においてもいろいろ注意するやらして、相変わらず撤退理由を書くようにと要求してきました。
 このようなことを何回か繰り返していましたが、筆者も根負けし「何故?」の理由を聞くことにしました。
 その話を聞いたところ、「NTTが民営化し国際事業を進めていくにあたって国際事業に明るい企業とNTTの国際戦略子会社を作りこの会社を中核としてその具体化を図ることを考えている。J社もその一翼を担うので情報通信に関する部隊を作りたいと思っている。」とのことでした。
 この話からするともう既にJ社はこのNTT国際戦略子会社に出資をする約束をしていたようでその前提で筆者に話を持ってきたことそしてこのチームの部屋に本人が席を設けたことの意味が解りました。
 このようなことで「我々のこれまでやってきたことは失敗ではなく会社の事情で撤退する」との旨を理由として海水淡水化事業からの撤退理由書を書くことになり新しい事業へ全員を移籍することになりました。

 インドネシアのプロジェクトを終えてからこの約一年間大変な毎日であったが、筆者としてはたった一年でもあるが新規事業の立ち上げから実行までやったという経験は非常に貴重なものでした。
 まさに、これまでの石油や石油化学でのプロジェクトの経験と今回の経験を考えるとP2Mのスキームモデル、システムモデルの一連の実施経験をすることが出来て、有意義であったと思っています。
 なお、この時はまだPMBOK® やP2Mなどと言ったガイドブックもない時代でした。

以上、今月はここまで

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