協会理事コーナー
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プロジェクトとの出会い

日揮株式会社 企画渉外室 栗林 良 [プロフィール] :5月号

 大学を卒業して総合建設会社に入社しました。大きな公共事業に携わりたいと思っていたからです。そもそも発端は中学三年の時、あまり好きではなかった教科の国語の先生が薦めてくださった「後世への最大遺物」 (著者 : 内村鑑三氏) を読んだことに端を発します。
 本書の要旨は、人が後世へ残せるものは、第一には「富(金)」で、それを後世の人が有効に用いることができれば素晴らしい、第二に「事業」で金を生み出せなくとも、事業を遺すことによって間接的に富を遺すことができる、例えば土木事業のような公共に供するような事業である、第三に「思想」である、自分が実行できないとしても、その精神を遺すことによって誰かに考え方を引き継いでもらうことである。しかし、前述の三つは誰にでも行えるものではない、またこれらのものには一長一短の側面が常にある、という二つの点から後世のための最大遺物ではない。誰にでも行えて、利多くして害のない最大遺物とは「真面目なる生涯」そのものである。

 上記のような内容でしたが、この本の土木事業に魅力を覚えたのが、総合建設会社への入社のきっかけとなり、人生初の本格的なプロジェクトへの従事は、当時世界第二位の高低差であった揚水式水力発電所のロックフィルダム建設プロジェクトでした。揚水式水力発電所は、大きく分けると上池、下池、放流路トンネル・洪水吐トンネル・発電設備などの構造物から成りますが、私が携わっていたのは上池と呼ばれる上部ダム工区 (栗山ダム) を建設する企業体で、初期段階のダム堤体部分の掘削から堤体盛立て開始直前に行われる定礎式までの二年間強の期間でした。
 今から思えば、施主であった東京電力はもちろんのこと、栃木県、栗山村、他工区、ダムサイトへの連絡道路が通過する牧場、旅館民宿関係者、住民などとの調整、本来の主業務である技術検討や工事管理など、たいへん多くのこと (今思い返せばプロジェクトというよりプログラムであったと思います) を経験させていただきました。休みは月にニ回、朝五時半からの事務所掃除に始まり、夜中までの残業と実によく働きもしましたが、朝七時の朝礼前に毎朝行う一時間の現場見回りの際、ダムサイトの最上流に位置していた事務所広場から真正面に臨む霧降高原から赤薙山の美しい四季折々の風景を今でも懐かしく思い出します。

 その後、海外のプロジェクトを含め、数々の建設プロジェクトに携わらせて頂き、日揮グループの日揮情報システム株式会社在籍時代には、SI (System Integration) プロジェクトの難しさも経験しました。現在の日揮株式会社を含めると、おおよそ建設業20年、IT業10年、エンジニアリング業5年と三つの業界のプロジェクトを見てきましたが、一口にプロジェクトと言っても、様々な分野でそれぞれに異なる多様なプロジェクトが存在し、個々に厳しさやおもしろさ、難しさや醍醐味が異なって、正に豊かな個性を見せてくれました。

 これを御読み頂いている皆様方の携わっているプロジェクトやプログラムも非常に多岐にわたっていると思いますが、すべてのプロジェクト (プログラム) の成功を握るのは当然のことながら人です。一般によく言われる、常に相手を慮り、周囲に気を配り、真面目に物事に向き合うといった日本人の特性は、プロジェクトを成功に導く素養を多く含んでいると思います。日本は今、漸く長い不況から脱却する足掛かりを掴みかけていますが、P2Mのような優れた知識体系を具備することは勿論、日本人の優れた特性を存分に発揮して、世界の発展に寄与し活気あふれる日本を取り戻すことに、自らも微力を尽くすと共に次代を担う方々に大きな期待を寄せたいと思います。
 ここまで書いてきて思うことは、“最大遺物とは「真面目なる生涯」そのもの”と言った内村鑑三氏の言葉です。我が家の居間には、今も栗山ダムの盛立て開始直前の航空写真が飾られています。残る職業人としての時間に、初心を忘れず、真摯に向き合って行こうと改めて考えた次第です。

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