PMプロの知恵コーナー
先号   次号

「エンタテイメント論」(86)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :5月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

6 創造
●発想促進法 ⑧
 優れた発想は、発想対象に関する「知識、経験、情報の量」に比例して生まれる。「無から有は生じない」。

●頭脳からのアウトプットと頭脳へのインプット
>前号の発想促進法⑦では、優れた発想は、発想の「量」に比例して生まれる。量が「質」を決めると説明した。発想という頭脳からのアウトプットの「量」が優れた発想を生む一方、今回の発想促進法⑧では、その逆で頭脳へのインプットの「量」が優れた発想を生むのである。

インプットの「量」
インプットの「量」
徹底的に学び、徹底的に考える
徹底的に学び、徹底的に考える
アウトプットの「量」
アウトプットの「量」

●勉強、研究、知識・情報吸収は、発想の促進剤
 学校で子供達が勉強し、大学に進み、より広く学問を学ぶ。この学習は、基本的には先人が残した学問の知恵と知識を「模倣」することである。

 しかし多くの人は、丸暗記、記憶、学習、そしてマネすることは、発想の自由度を妨げるという考え方を持っている。しかし夢工学的発想法の観点からは、完全に間違った考え方である。
 妨げになるどころか、助けになるのだ。発想する対象領域に関して、少しでも多くの知識、情報を入手し、頭脳に詰め込むこと(インプット)が極めて重要で、「脳」を活性化させるからだ。更にそれに経験が加われば、発想にとって「鬼に金棒」となる。

 日本の学校ではインプット偏重、アウトプット欠乏で、極めて問題である。小学生時代から学んだ結果を発表する機会を少しでも多く与えることだ。自分が記憶したことを口に出して説明することだけでも頭脳からのアウトプットになる。口に出させないでも、小学生時代から論文(作文ではない)を書かせることは有益だ。作文だと日記の様になる。論文は考えを纏め、発想を促すから。

 米国の小学校では「Show & Tell」という授業がある。筆者は在米中、地元の小学校に通う娘がこの授業を受けた。娘は、自分で選んだ「兜虫の生態」をクラスで発表した。しかし多くの質問に答えられず、泣いて帰ってきた。その後、一生懸命に勉強し、発表方法を工夫し、クラスで再発表した。すべての質問に答える事が出来た。しかも先生から褒められ、喜び勇んで帰ってきた。娘は、まさしく創造活動による喜びを感じた表情を筆者に見せた。この優れた教育方法は、その後の娘を大きく成長させ、米国の超トップの某大学院に進ませ、建築家の道まで導いた。子供時代の創造教育が如何に重要且つ必要であるかをまざまざと実感させた。

「Show & Tell」

●ジャズ音楽のアドリブ
 頭に少しでも多く詰め込むこと(インプット)に関して、ビジネスとかけ離れた世界の話題で「発想促進法」を説くのも一興と思った。

 その世界とは「ジャズ音楽」の事、話題とは「アドリブ演奏」の事である。ジャズ音楽は、誰もが知っている。このジャズ音楽とクラシック音楽は何が違うか? 良く質問を受ける。もし機会があれば、詳しく説明する。しかしここでは簡単な違いのみを説明したい。

Miles Davis Bill Evans
Miles Davis Bill Evans

 クラシック音楽とジャズ音楽は、スタイルが違うが、大きい違いの1つは「アドリブ」の有無である。アドリブがない音楽は、ジャズ音楽とは一応定義されない。

 「一応」と言ったのは、最近は、ジャズ以外の音楽分野でもアドリブがなされているからだ。またモーツアルトと同時代の他のクラシック・ピアニスト達は、作曲活動の傍ら、聴衆の前で即興演奏(アドリブ)を盛んにしたと言われている。さぞかし観衆は、次々と生み出される予想もしない旋律に興奮し、狂喜したに違いない。この観点から現在演奏されているクラシック音楽は、観衆を感動させるが、狂喜させる「迫力」は残念ながらない。まさしくクラシックな音楽である。しかし何故、日本ではクラシック神聖観がこうも多いのか。日本全国に無数にある音楽ホールは殆どクラシック音楽用のホールである。ジャズ、ポピュラー、演歌、民謡など日本には無数の音楽が現存しているのだ。

●作曲のため又はアドリブのために必要なこと
 「作曲」と聞くと、誰しも音楽に関する学習、記憶、経験が総動員されると思う。しかも音楽大学で学ばないととても一般の人は手が出ない。手が出る人は才能があり、天才と思う。本当だろうか? 一方「ジャズライブハウス」や「場末のピアノバー」で演奏しているジャズ・ピアニスト達は、殆ど100%アドリブ演奏をする。彼らは音楽大学で学ぶ音楽理論など既に体得済。

 さて「即興演奏」と云う「アドリブ」とは何か? これは、演奏しながら瞬時に「メロディー」、「和音」、「リズム」を発想し、演奏することを云う。言い換えれば、「リアル・タイム作曲作業」である。一方、演奏中ではなく、ピアノや楽器などを弾きながら、その都度浮かんだ内容を楽譜に記録し、それを演奏し、修正して曲を仕上げていく。この作曲作業を「バッチ・タイム作曲作業」と勝手に造語した。この様に説明すれば、アドリブの何たるかが分かるだろう。ちなみに筆者は、東京倶楽部というジャズライブ・ハウスでトリオ+女性歌手の編成でピアノを弾き、毎月出演し、20数年になる。

 このアドリブをするためには、音楽の基本をしっかり学ぶこと。またジャズ音楽の本質と演奏の技を習得するためジャズに関する学習、記憶、経験を総動員する必要がある。気持ちのままに、指が動くままに「自由」に演奏してもアドリブは出来ない。また数多くの先人達のレコードや理論書を学ぶことも必要であろう。

 その場合、クラシック音楽はジャズ音楽を習得する上で全く邪魔にならない。むしろクラシック音楽をしっかり習得した人物は、素晴らしいアドリブ演奏をすることが出来る。作曲も、アドリブも、知識、経験、情報の「量」をより多くの獲得(インプット)する事が必要なのである。「無」からは「有」は生まれない。

●クラシックも、ジャズも精通したレナード・バーンスタイン
 クラシック音楽の名ピアニストがジャズを演奏せねばならない様なことは万が一にもないだろう。しかしもしそうせねばならない場合、「アドリブ」という即興演奏をしなければならない。もしそのピアニストがアドリブ演奏を出来なければ、如何に超絶技法を駆使する名ピアニストであっても、素人のジャズ・ピアニストに及ばないことになる。この「万が一の例示」は、クラシック音楽を金科玉条のごとく崇める多くの日本人のクラシック・フアンには耐えがたい指摘だろう。しかし本当の事である。

 海外のクラシック・ピアニストでジャズを「趣味」としたり、「仕事」として弾く人が大勢いる。日本とは全く違う。小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出した作曲家指揮者 & ピアニストとは? 「レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein, 1918-1990)」の事である。

 彼は、ヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティと並んで20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきた人物である。彼は、ジャズ大好き人間であり、名ジャズピアニストでもある。映画化された「ウエストサイド・ストーリ」の作曲家でもある。

出典:Yahoo USA 左:ウエストサイド物語 出典:Yahoo USA
左:ウエストサイド物語
右:バーンスタイン
出典:Yahoo USA 右:バーンスタイン

●学校で学んだ事、社会人として学んだ事、全て発想の促進剤
 日本の行き過ぎた受験勉強は様々な問題を引き起こし、創造性の障害の危険性も指摘されている。しかし小、中、高、大学、大学院で学んだことは発想にとって全く障害にならない。行き過ぎの教育は問題だが、無駄なものは一切ない。社会人になってから勉強する人としない人は、将来決定的な差を生む。何故ならより多くの知識や経験が発想にとって決定的な「糧」になるからだ。

 気になるコトがある。日本のサラリーマンは、朝の通勤電車の中で殆ど寝ている。専門書を読んでいる人など数人。一方筆者がニューヨーク駐在員時代、自宅からマンハッタンに通勤する電車の中で殆どの人は、本を読んだり、書類を書いたりして、眠っている人は数人。その後、何度かニューヨークを訪問したが、その光景は変わっていなかった。

 繰り返す。大学を卒業し、社会人になってからも、「大学受験」の時と同じ様に本を読み、レポートを書き、論文を書き、勉強をしているか否かは、その人のその後のサラリーマン人生を左右する。仕事で「発想」する事は、会社が最も求めている事で、「発想」は、この勉強の「量」で比例して生まれるからだ。

勉学の「場」は、大学から企業へ
勉学の「場」は、大学から企業へ

 功利的な出世論の観点から言えば、人より多くのことを学び、経験し、より多くの情報を集め、より優れたアイデアを「発想」し、新しい事業を実現し、成功させることが「最も早い出世法」。

 しかしその過程で「ゴマすり」、「社内政治力の駆使又は迎合」などをする。要注意である。それは、ほんの一時的効果しかないからだ。一時的効果が去った後、その人に悲劇的効果が降りかかるからだ。この件に興味と関心がある読者は、筆者の「悪夢工学」を学ぶことを薦める。

つづく

ページトップに戻る