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「菊と刀」から創造性へ

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :3月号

 「菊と刀」は、ルース・ベネディクト女史による日本と日本人に関する研究成果をまとめた本として有名である。米国政府が日本との戦争が始まった後、敵国を知るために研究を委託した。一度も日本の地を踏まないまま、日本に関する文献、日本語の出版物、日本映画、そして米国在住の日本育ちの米国人、あるいは、日本人捕虜からのヒアリンングなどを基に、文化人類学の手法など様々な社会科学的手法を駆使して書き上げたとされている。有名な文言に、「日本は恥の文化」であり、「西欧は罪の文化」がある。研究対象は、戦前と戦時中の日本や日本人のはずであるが、未だに多くの「日本人論」では主要文献として引用されている。現代の日本と日本人が、あまり変わってないのであろう。

 その本文から引用します。「日本の小学校では競争機会を・・・・・最少限にとどめている。日本の教師たちは、児童はめいめい自分の成績をよくするように教えられねばならない、自分をほかの児童と比較する機会を与えてはならない、という指示を受けている」。さらに「日本人は失敗が恥辱を招くような機会を避ける」「失敗のために『恥をかく』・・・・・多くの場合は危険な意気消沈を引き起す原因となる」。他人と比較する機会を逸すると、自分の立ち位置が理解できない子供に育つだろう。以上は、戦前・戦中の話しであるが、いかにも現在の小学校の事のようであり、今でも日本人は「失敗の恥辱に弱い」。プロであっても、失敗を恐れるあまりシュートできないサッカー選手や、本番に弱いスポーツ選手は数多くいる。

 失敗学で有名な東大名誉教授の畑中洋太郎先生は「失敗学のすすめ」の中でこのように述べている。(以下、本の要約)「高度成長期は、欧米のお手本があり、その通りに最大効率の経営スタイルを追求して成功したが、創造性を育む努力を怠った。創造性のなさは、失敗に直面したときの対応のまずさに顕著に現れる。真の創造性は、目の前の失敗を認め、これに向き合うことからしか始まりません。にもかかわらず、起きてしまった失敗を直視できず、『思いもよらない事故』『予測できない事故』という言い訳で失敗原因を“未知への遭遇”にしてしまう責任逃れを繰り返しては、次の失敗の防止も、失敗を成長・発展の種にすることもできません。」一方、米国は、「『技術や創造に必ず失敗はつきものである』という知恵を使い、いまでは失敗と真正面から向き合っていく『失敗分析(Failure Analysis)』という活動をシステムとして取り入れています」。

 P2Mは、いかに価値を生むかというロジックを組み立て実行に移すことの方法論である。ある場合は、いかに競争相手に勝ち自らの価値向上を狙うこともある。そのP2Mプログラムマネジメントは2種類あり、オペレーション型と戦略型がある。前者では、類似のプログラム実戦経験を過去にもち、参画するプログラムのステークホールダーも大枠の共通理解を有している。

 一方、後者の戦略型は、類似の経験がない未知の問題に挑戦するためステークホールダーの共通認識も当初はバラバラである。世界初の研究に挑戦するプログラムを想定してみよう。ミッションプロファイリングにより実行シナリオを選定し、そのシナリオに沿ってプログラムデザインすることで個別プロジェクト群を設計した。プログラム実行の統合マネジメントプロセスを実施することで個別プロジェクトを遂行しても、その価値目標を達成することは容易ではない。想定外の事態に遭遇し、先の見えないことも多い。大失敗とは云わなくても、小さな失敗が繰り返し起きることは容易に想像できる。プログラムの傘下の個別プロジェクト群の遂行するプロジェクトマネジャーも、プログラム目標に近づかない場合には心理的な負担を感じるだろう。

 そのような時にこそ、畑中先生のお言葉のように、挑戦する対象をシステムと捉え、失敗と真正面から向き合い、繰り返し挑戦する思考能力、知識・知恵・スキル、姿勢が必要だ。良くない結果を恥辱として捉え、失敗を恐れるとしたら、創造的活動、また、価値向上・獲得の活動はお題目だけになってしまう。日本の成長に必要なのは、新たな価値創造であり、トップランナーには起こりがちな失敗への重圧に耐えて前進することである。一時の恥、度重なる恥を超えてゆくタフで強かな日本人がどんどん育って欲しい。幸いスポーツ界ではテニスの錦織、ゴルフの松山、ジャンプの高梨らの勝負強い若手が育ってきた。科学技術面でも、このような若手の台頭は喫緊の課題である。

以 上

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