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「途上国の発展への貢献」

東洋エンジニアリング株式会社 川腰 浩文 [プロフィール] :2月号

 就職を控えた学生の就職観を毎年尋ねているアンケートがある。将来出世をしたい、楽しく働きたいという意見が横ばいの中で、人のためになる仕事をしたい、社会に貢献できる仕事がしたい、という意見がここ10年間で倍増しているという。こうした若者が増えていることを心強くそして誇りに思う。筆者自身が就職先をエンジニアリング会社に決めたのは途上国の経済発展に貢献したいという思いが大きな動機であったと記憶する。将来に向けて発展する途上国の姿に自身の成長を重ねていたのであろう。
 以来30年有余、海外においてプラント建設に携わるエンジニアリング会社に籍を置いてきた。貧しい国を訪れるたびに発展のためには何が必要なのか気になっていたのであるが、最近世界経済史に関するいくつかの著作に接し知識を得る機会があった。
 現在、世界には豊かな先進国と貧しい途上国が並存している。その格差は、なぜ、どのようにして生まれたのであろうか? ある著作によれば、15世紀における新大陸発見などグローバル化を契機とし不均等な経済発展がはじまり、さらに工業化と工業化の挫折が世界の所得格差をさらに拡大させたためという。18世紀の産業革命がおこる前、1750年の世界の製造業は中国が33%、インド25%を占めていた。これが1913年には中国4%、インド1%まで衰退してしまったのである。この間台頭したのは産業革命を成功させたイギリスのほか、イギリスに続いて工業化を成し遂げたドイツなどのヨーロッパ諸国とアメリカであった。これら工業化の波は中国やインドの伝統的な繊維織物業や金属加工業を駆逐し、アジアは世界の製造業の中心から低開発国に転落したという。
 こうして経済史を眺めて理解できるのは国家の経済成長はつまるところ厳しい国家間競争の結果ということである。ちなみに現在のアメリカは自由貿易を標榜する世界のリーダーであるが、1776年の独立以来最近に至るまで保護主義政策をとり続けていた国であったという。アメリカで関税制度が導入されたのは1816年。当然その目的は国内製造業保護のためであった。北部が政治で主導権をとると保護主義はアメリカの特徴的な政策となり、関税率がピークに達したのは1930年である。アメリカが保護主義から転向し始めたのはその後の第二次大戦ごろという。現在のインドとアメリカ両者の工業生産力の差を見ると、世界の工場として君臨したイギリスの工業力に蹂躙されたインドと、イギリスの攻勢から自国を守り切ったアメリカということになろう。歴史の重い現実を感じざるを得ない。

 さて、経済発展が国家間競争であるとするならば、すべての途上国国家が工業化をめざし産業の育成に努めてみたところで、必ずしも成功するとは限らないということになる。たとえ途上国が投資を行い工業化の芽が出てきたとしても、広く枝葉を茂らせた大木になるまでには他国との厳しい生存競争に勝たなければならない。
 プログラムマネジメントの真骨頂は、経営的な視点からプロジェクト活動を統制し、企業の持つ経営資源(投資)で最大の成果(利益)を上げるかという点にあると理解している。プログラムマネジメントの視点なくしてプロジェクトを無秩序に実施しても目的は達成できない。同様に国家基盤の発展には「限られた資源(天然資源、人的資源)、自然条件、地理的要因」を活用し、最大の成果(工業化あるいは他の成長産業育成)を図っていく戦略が求められることになろう。
 国家の発展をプログラムマネジメントの手法で支えることができるとすれば、将来、途上国の発展を実現する気概に燃えた若い世代がプログラムマネジメントを駆使し世界を広く発展させてくれるような時代が来るであろう。国家の発展は国家間による厳しい競争の結果という優勝劣敗の事実を過去の歴史が示しているとしても、世界は格差のない発展をすることができるのだということを信じたい。そしてそのための解を今後の世代が出してくれることを期待したい。

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