協会理事コーナー
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【WBSへの私の想いから思い】

(有)デム研究所 城戸 俊二 [プロフィール] :1月号

 誰しも思い入れがあるものごとを一つや二つはお持ちであろう。私生活の面ではあれとこれ、仕事の面ではこの分野のこのテーマなど。私のケースではそれが“WBS”である。
 私がプラントエンジニアリング会社のPMS担当部署(今で言うPMOかと)に配属されたのは1980年代の初め頃で、当時WBSについて紐解いた資料は私が知るところでは米国国防総省やエネルギー省が制定した業務基準で通称C/SCSC(Cost Schedule Control System Criteria)などであった。当時プラントエンジニアリングのプロジェクト(特に海外ジョブ)に関わった人たちは挙ってこれらの業務基準を読み漁った(1980年代央~後半)。以降、私のWBSとの関わりは関連団体(ENAA、JPMF、PMAJ)での研究活動、教育活動を通して間もなく35年になる。最初の頃はC/SCSC以外に纏まったPM手法はなく、PMIが今で言うPMBOKの要素技術の元ネタを集め、業務基準として成文化していたころである。
 さて、話を冒頭の“WBS”に戻そう。何で一つのことをそのように恋々と想い続けてきたのか。否そのような想いを引き摺って来たのか。その源を思い起こせば、この業務を担当した当初に何らかの資料で学んだ、或いは先輩PMから教えられた“WBSは何処の業務分野にも活用できる”の一言である。確かに私が経験した幾つかの業務分野やその深堀の業務プロセスで、スコープをWBSで整理体系化するのに苦労はしなかった。WBSは自分の得意技だと悦に入っていたきらいがある。確かに自分の環境が大きく変化したとき、現役時代に会社組織で与えられる業務のテーマや、PM関連団体での研究活動で担うテーマなどには、必ず“WBS”が直接、間接に付いて回る。自分が担当する業務が変る度にこの言葉が脳裏に浮かんでくる。そのような節目の折に、身の回りの知人、友人、或いはPM関係者に問いかけて必ず返ってくる言葉は“WBSは学んだがいざ自分で作ろうとするとどうしたら良いか判らない”である。この返事は私が20年以上前に抱えた課題と同じである。以来、未だにこの課題を思い続けている。今や“病”(或いはWBSの呪縛)の域である。その原因は自分が好んで選んだためでもあろうが、あながちそれだけの理由でもない。挙句の果てで現在PMAJのWBS Sigのリーダーを仰せ付かっている。
 この随想を依頼されたとき、さて何を題材にしたら良かろうか!と漫然と思案していてふと気に掛かったのが、何で“何時まで経ってもWBSの呪縛から解きほぐされないのか”の疑問である。そこで改めてWBS研究に対する自分のスタンスを顧みると、テーマ設定の根底には“WBSに想う”の思い入れが流れている。自分としてはWBSの実践経験をあれやこれや積み重ねてきたので、理解した業務プロセスであれば想定問答をしながらでもWBSを作ることができるが、目的に合わせて自作するだけで、作り方についての方法論までは紐解かなかった。そこで今更ではあるがWBSへのおもいは「想い」か「思い」、か? その違いは? はたまたその違いが由来して思案の成果物がどのように変るか。WBSの想いを引き摺っている原因はこの辺りにありそうだと気がついた。
 そこで想いと思いの違いをインターネットで調べて、見方やご意見はいろいろあろうが本稿のテーマに沿って自分なりに定義してみた。(ここまで来ると自分の国語力の弛みを暴露します)
 「想い」 : 心に深く念じつつ温め続ける。
 「思う」 : 諸般の状況を考えて行動の提案する。
こんなことを考えながら昨今の自分の活動を振り返ってみると、今までもWBSのことを深く思いながらも、成果の創出を他人に預けて過ごしてきたきらいがある。これでは活動の成果は具体的のものまで成熟しない。思いを深めればそれに伴いそれなりの成果物を生み出すドライブが高まる気がする。WBS手法研鑽の一顧としてSig活動を通して知恵を集積中である。
 思い”はじっくり考え、論理(理論)立ててこのようにありたいと微かに念じながら行動に起こすこと。これでWBSの呪縛から解きほぐされた様な気がする。

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