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パーソナルプロジェクトの勧め (9)
~「アラ還プロジェクト」実行中~

プラネット株式会社 シニアコンサルタント 中 憲治 [プロフィール] :2月号

四国八十八ヶ所人力お遍路・・・その 1
1.はじめに
2014年は、弘法大師の四国八十八ヶ所札所(霊場)開創から1200年目に当たることから、テレビなどでも四国お遍路の特集が良く採り上げられていた。総距離1200kmとも1400Kmともいわれる八十八ヶ所の札所(霊場)を全て歩いて巡礼する「歩きお遍路」を行う人も多く、その状況をWebやブログにUpしている人も多く見受けられた。四国お遍路に関しては嘗てより書籍も多く出版されており、ブログに至ってはそれを上回る数が存在すると考えられる。
故に、私の四国お遍路の状況を事細かく述べたとしても、他のお遍路の方々とそれほど大きな違いが無く、このオンラインジャーナルでわざわざ取り上げる必然性はないだろう。
アラ還プロジェクトの一部として行った四国お遍路であり、一連のお遍路プロジェクトを通じて体験した事柄の中から、プロジェクトマネジメントの視点でパーソナルプロジェクトにとっての普遍的な教訓をこの項で取り上げることは意味があると考える。
2~3回にわたり「四国お遍路から学ぶパーソナルプロジェクトの教訓」を書いてみたい。
1回目は、まずは“私の四国お遍路”についてその概要を説明しておきたい。

四国八十八ヶ所霊場会HPより転載

<四国八十八ヶ所霊場会HPより転載>

2.私の四国お遍路
四国お遍路には様々な形がある。
① 方法 : 八十八ヶ所をどのように回るかで幾つかの方法がある。
∗ 通し打ち・・・八十八ヶ所の札所を一度で回る。
∗ 区切り打ち・・・何回に分けて回る。徳島、高知、愛媛、香川の4県を、1回に1県回りきる例が多い。
∗ 順打ちか逆打ちか?・・・標準のお遍路は1番札所から88番札所まで順番に回る。逆打ちとは88番から1番に遡る。
② 手段 : 移動手段として何を使うかで幾つかの手段がある
∗ 全行程を自家用車・バス(団体)、タクシー、バイクなどの車を使う。一番多い手段
∗ 移動の一部に電車、バス、タクシーを使い、その他は徒歩
∗ 全行程を人力で移動する。自転車、歩き、そしてトレイルランなど
どの方法をとるか、どの手段を使うのかは、お遍路もプロジェクトであると言えるので、スコープ、期間、資源のプロジェクトの3つの制約条件の優先度で決まってくる。
私のアラ還プロジェクトにおいては、四国お遍路はアラ還プロジェクトの3つのプロジェクトの間では優先順位第3位であり、3つの制約条件に関しては下記の通りとした。
第1位スコープ : 八十八ヶ所を人力(歩き、自転車、トレイル)で回ること。
第2位は資源 : 四国までの往復が度重なると費用が嵩む、また全行程歩きにすると日数が掛かり、全費用の多くを占める宿泊費が嵩む、出来るだけ最適化していきたい。
第3位は期間 : 宿泊費との関係で期間は短い方がベターだが、四国お遍路を完了するまでの総期間については特にこだわらない。
このような条件のもとで、私の四国遍路は次のように決めた。
① 全工程を歩き、自転車でのお遍路とする。時間が厳しい時や気が向いたときはトレイル(走り)を行う。お遍路では、札所で参拝の記録(証明)として納経帖に朱印を頂くのだが、納経所が開いている時間は7時~17時までの為、17時に間に合わない時は必然的に走りとなる。
② お遍路の為に時間を割くのでなく、中国・四国地方で仕事がある時その機会を利用してお遍路を行う。よって区間打ちとするが区間打ちの形態についても、逆打ちも取り入れる。
自転車でのお遍路を入れた理由は、札所と札所の間は長い時は70kmを超えるところが何ヶ所かあり(特に徳島~高知区間)、この区間を歩き通すためには2日以上を必要とする。これは必然的に宿泊費用を増やすことになり、第2優先の費用を少なくするためにはこの区間を自転車でカバーすることがベストの選択となる。
スコープを第一優先とし、資源を第2優先とした結果、私の四国お遍路は3年半をかけ、5回の区切り打ちを自転車と歩きを併用して行った。1回目は2010年秋、真に変則的であるが、実家のある岡山から自転車で“しまなみ海道”を渡り、愛媛県の札所を逆打ちし、宇和島まで、宇和島から四万十川沿いに高知四万十市まで走り、そこから足摺岬をへて愛媛県の札所をカバーする計画であった。お遍路道ではない”しまなみ海道“と四万十川沿いを自転車で走ることが長年の夢であったことからこれをスコープに含めた。しかし、この時は娘の急病の報により途中で中断し帰郷することとなり、第4回目にカバーすることとなる。2回目は2012年秋、1番札所から17番札所まで徳島県の半分を歩きでカバー。3回目は2013年10月、徳島県の18番から23番まで歩き遍路。4回目は2014年2月、23番から愛媛の43番まで一気に自転車で走破。5回目で43番から結願の88番まで歩き遍路。
2日目と3回目の徳島県の札所を歩き遍路とした理由は、この区間に“遍路ころがし”と呼ばれるお遍路での急峻な難関の山道があり、昔の人が歩いたといわれる道を歩いてみたいというスコープ最優先の思いが強く働いたからである。実際歩いてみると”これは自転車ではまったく無理”といえる遍路道であった。
11番・藤井寺と12番焼山寺間にある遍路ころがし 遍路ころがしの高低図
<11番・藤井寺と12番焼山寺間にある遍路ころがしとその高低図>
蛇足となるが、お遍路を終わった時点で気付いたことであるが、お遍路は"歩き“がベストである。自転車では時間を短縮するメリットはあるが、古くからのお遍路道は自転車では通れない山道も多い、特に”お遍路ころがし”と呼ばれる厳しい山道は自転車ではムリ。また、昔からのお遍路道をたどる為には歩きしか方法は無い。昔のお遍路道を歩くことにより、昔の人々がどのような目的を持って、どのような気持ちでこのお遍路道を歩いたのかを初めて理解できるのではないかと思える。
つねづね、“古から残る道を歩く、その時私たちは昔の人々の思いを共感できるのでは”との思いを抱いていたが、その思いが一時でも実感できた。四国お遍路のスコープに“古の人々との思いの共感”があったことに気付いた時でもあった。冷静に考えれば、昔の人々はこの道は、わらじで歩いたのであろうし、そのほか今との違いは多いのだろうが、何故か同じ状況で経験しているとの共感を抱いてしまう何かがあるように思われる。
次回は、四国お遍路で学んだ教訓について書きたい。

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