理事長コーナー
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「一生懸命」がんばる

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :1月号

 「空気を読む」ことは、日本社会に生活する者にとっては必要な条件とされている。空気を読めない人は、KYと揶揄され疎まれているとさえ云える。「以心伝心」「あうんの呼吸」「行間を読む」もその関連の言葉だ。子供が成人になるまでの過程で、家庭で、学校で、社会で繰り返し刷り込まれている。

 作家の冲方丁(ウブカタ トウ)氏は、朝日新聞への寄稿の中で、「(日本人にとって)無言のうちに意図を察し、異論を挟まないことはいまでも良いとされている」とし、それはもはや「思想」でなく「生活態度」であると述べている。その由来は、中世まで遡り、「一所懸命」にある。その頃の日本人は、自由に住み処を変えることができず一つの場所に命を懸けねばならず、流浪は哀れなことであったからである。 従い、同じ場所で良く知る仲間と暮らす人の生活の知恵として、「空気を読む」が育まれた。「個人の都合で移住しようとする人々は、下手をすれば懲罰の対象となる」、いわゆる村八分となり、生活の糧に困ることになる。更に、冲方氏は、「地域社会と自分を一体化させ、・・・異論を嫌い、沈黙と忍従を美徳として称える」と述べている(2014年12月26日朝刊“日本の歴史と衆院選”)。

 ちなみに、国語辞典によれば、「一所懸命」は「中世、生活の頼みとして、命をかけて所領を守ろうとすること」から、その後、「一緒懸命」とも云われた。さらには、「必死な気持」の意味だけが残り、「生死をかけるような、さし迫った事態」と転じ、表現も「一生懸命」となったとある(精選版日本国語大辞典、小学館2006年)。日本人の好きな言葉の一つである。

 翻って現代世界は、大きな変革点に来ていると云える。世界を二分した冷戦がおわり、経済的国境の壁は低くなった。しかし、豊かになった国では、経済は成長が滞り、社会は成熟化し、一部の例外を除き、少子高齢化と人口減少が顕在化して来ている。また、過去の成功体験が活かせなくなってきている。ICTは日常化し、生活の必需品となったが、今では将来の生活様式を大きく変える可能性も明らかになってきた。この様な世界に生まれて、それが当たり前として育つ子供たち、デジタルネイティブと云われる世代が次の世界をかたち造ってゆくと云われて久しい。日本では、その将来を背負う若者たちに期待されている人材像は「グローバル人材」という。国境を意識しない経済活動で必要となる人材像は、人材育成として正しい方向と言える。

 さて、日本は受験シーズン突入寸前である。多くの大学が主要新聞広告欄に大学の特徴を掲げている。ほとんどの大学がその特徴として掲げているが、「グローバル人材」の「養成学科」「養成コース」である。よく注意してみると、英会話を中心としたコミュニケーション能力向上講座であり、英語による講義であり、期間の長短はあるが提携海外大学への留学の必須化である。写真が添えられている場合は、ほぼ外国人学生と日本人学生とが談笑しいているのだ。云うまでもなく、「グローバル人材」とは、国境を意識せずにどの国でも不自由なく働ける多文化適応能力のある学生を育てることだ。ストレス耐性などの精神面での強靭化訓練もあるだろうが、云われている能力の基本は、形式知によるコミュニケーション能力の向上である。外国人が表現している内容を、的確な文脈を想定し、正確に把握し理解できることである。更に、自分が表現したいことを外国人が相手のロジックを考慮し、理解しやすい言葉を用いて、文書、口頭、ノンバーバルな手段にて伝達できることである。この能力には、喜怒哀楽表現の双方向での理解力と表現力も含まれている。

 忘れてはいけない事は伝えたい中身が重要であることだ。手段でなく目的が何かだ。多くの場合、その内容は専門領域に属するので、相手が他分野領域の専門家だと伝えることは簡単ではない。「形式知」による世界は、「暗黙知」を極力排し、考えていることを相手が理解できるように表現することを基本とする。異論があれば違いを認識するために意見を交換し、主張し、説得し、時には妥協することが必要だ。相手が、日本語を理解し話したとしても、正確な情報交換が欠かせない。相手の思考方法や論理体系を理解して話し合う事も大切だ。個性豊かな個人であれば、その個性がコミュニケーションを助けることもある。精神医学では、独立、安心、融和があれば、心が安定し、発想が豊かになり、創造的になり、コミュニケーションも容易となるとされているので、経験と鍛錬による慣れも重要だ。

 「頑張ります」と日本人はよく努力する事を示す言葉が大好きだ。しかし、日本国内での「一所懸命」では、その努力は無駄になるだろう。「テクノロジが-が、人、資源、情報、富、労働力を目まぐるしく移動させることを可能にしたからである」(冲方氏)。国境にこだわらない「一生懸命」が重要だ。日本人にとって、その閾値は高い。21世紀になって15年目、今世紀の約15%が経過した勘定だ。メガプロジェクトの実績を解析したDOD(米国国防総省)は、進捗の15%を超える赤字のプロジェクトは、その終了時には更に赤字が膨らむとしている。プロジェクトは失敗するということだ。また、管理不能になるとの意味だ。この解析報告は、メガプロジェクトの成果であるから、上記で述べてきた事と関連が無い。しかし、私には類似性を感じる。20世紀は、最後の10年で「大きなイデオロギー」への挑戦が失敗だと証明された。21世紀は、人類にとって希望の世紀としてスタートしたはずだ。戦争の無い平和で繁栄する次の100年を終えるはずの地球に、「格差」という亡霊があらわれてきた。2015年は、21世紀の分岐点のように感じる。個々の人が「一生懸命」になって成果を積み上げることが重要な1年だと思う。ビジョンを掲げ、判り易く明確なメッセージを伝え、議論の場を設け、新たな気付きを知にし、合意のもと実践してゆくプログラムマネジメントが、益々重要になる1年だと思える。

以 上

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