グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第86回)
多様性への対応:ダカールにて

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :12月号

 10月末から11月半ばまで、今年3回目となるセネガル国ダカール市を訪問した。今年から本格的に始めたご当地3PM大学院大学での主任教授としての指導が目的であったが、今回訪問では大学院が1年で大きく前進していることを実感できた。1月に30名強であった博士課程生が今は120名まで増え、修士課程も開設された。授業の受講者も訪問の度に増えて常に30名を超えるようになった。学生はセネガル国のキャリア官僚、NGO団体の幹部、ジャーナリスト達で社会人エリートであるが、授業がない日でも夕方には大学に集まり自主ゼミを行うなどかなり意欲的になってきた。私の講義は英語で行い(修士学生向けの基礎PM論は無理を承知でフランス語で教えだしたが)、学生の報告や発表はフランス語と変則であるが、このミックス方式は私がフランス語に慣れるのに大変都合がよい。
セネガルではマーッキー・サル大統領の政治生命を賭けたPSE - Plan Senegal Emergent (Rising Senegal)という国家変革プログラムが進行中であるが、「PSEを支える高度博士人材を育成する」という田中作のミッション的キャプションは大いに受けて、プレス8社を集めてのミニ・ティーチ・イン開催とか、大統領に次ぐ権力者であるPSE担当上席大臣にも面談の機会を得るなど3PM大学院のブランド作りでも手応えを感じている。

博士課程生の女性官僚達 PSE担当上席大臣と
博士課程生の女性官僚達 PSE担当上席大臣と

 2000年代に入って、北米からユーラシアへと舵を切り替えた私の世界への旅では訪問先の多様性への対応の連続であったが、ここ西アフリカのセネガルでも多様性の実態に接して感じることが多い。
 セネガルは人口の95%が敬虔なイスラム教徒であるが、5%はキリスト教徒(ほぼカトリック信者)であり、首都のダカールに多いが、両者間の対立は全くなく見事に融和しており、社会は安定している。そもそも大統領は二代続いてカトリック教徒であるのも興味深い。セネガルはかつてフランス領西アフリカの中心であり今でも親フランスの国であるのにイスラム教徒はワインなど酒類を一切飲まないが、スーパーマーケットではちゃんとワインを売っている。
 いわば聖地である独立広場の前のビルからイスラエル大使館の旗が突き出ており驚いたが、なんとセネガルの農業インフラを握っているのはイスラエルとのこと。その寛容で現実主義的であるセネガルでも同じイスラム国のイランは出入り禁止だそうだ。これは不思議であると、私はイラン人の学生を数名教えていることでもあり、理由をたどったら、一昔前までセネガル政権を悩ました南部カザマンスの独立運動で独立派に武器を売りつけていたのがイランであることが判明し、国交を断絶したようだ。
 学生が話すフランス語は正統派(つまりフランスと同じ)から、あまり鼻音を使わないが発音が明快で私には一番わかりやすいフランス語、そして何を言っているかさっぱり分からない訛りが強いフランス語まで様々である。
 フランス植民地時代アフリカ側のマネジャーであった、あるいはトレーダーであった先祖を有するセネガル人の仕事のスタイルは、変幻自在でありなかなかクセがあり、一時訪問の外国人にはパターンが読みにくい。
 市民生活の平均的な価値観も西欧人や日本人のそれとはかなり異なる。美やアートに対する研ぎ澄まされた感覚、中流階級にある「主人」の意識(自分がやることと他人を使ってやることの区別)、時間感覚の違いなどを強く感じとれるが、かつて私が若い頃南米やインドネシアに住んで経験したいわゆるクレオール文化の共通項的な面も多いと感じる。
 セネガル人は知恵が働き、素早い人が多いが、他人のことを思いやることはあまりしない。そういう中で、私が実に感心しているのが、副学長SYさんの運転手さんであるアブドー君の多能(英語でMulti-skillingという)である。彼はプロのドライバーである他に、諸事連絡係、副学長と私が住んでいるアパートでの生活のマネジャー役でもあり、食事・食材・日常品の調達・在庫管理や簡単な調理、家具や設備の不具合の応急修理、など目配りが抜群である。また、もとスポーツ選手でスポーツマッサージはプロ並みであり2週間毎日講義と営業に明け暮れる私のポンコツボディーの手入れもしてくれる。そして、20ステップほどかかる(工程を観察した)セネガル茶を淹れる名人である(大学で学生向けにこれをやって小遣い稼ぎにもなる)。また私がセネガルに行くようになってアブドーは英語の勉強を始めて、私と、英語とフランス語を教え合う仲である。

シトロエンとアブドー氏 営業に出かけたアフリカ開発大学にて
シトロエンとアブドー氏 営業に出かけたアフリカ開発大学にて

 訪問時のダカールは一年で一番暑い時期とのことで到着した翌日は38℃まで上がり、それから一旦気温は30数度まで下がったが、ダカールから出国の日は午後4時になんと42℃まで上がった。そして、ダカールから5時間で到着した早朝のパリ シャルル・ド・ゴール空港は8℃。つまり10時間のうちに気温落差34度を体験する羽目になった。ダカールでのあまりの暑さに、うっかりウインドブレーカーを成田までスルーで運ばれるスーツケースに入れてしまうという普段まずやらないポカをやり、弱めの暖房しか入ってないラウンジで寒さと戦いながらで9時帰国便を待つことになった。油断大敵暑さボケ大敵である。  ♥♥♥


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