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パーソナルプロジェクトの勧め (7)
~「アラ還プロジェクト」実行中~

プラネット株式会社 シニアコンサルタント 中 憲治 [プロフィール] :11月号

世界五大陸マラソン完走プロジェクト
Ⅳ.南アメリカ大陸編「ペルー・リママラソン」
1.インカ帝国の街を走る
4つ目大陸南アメリカ大陸のマラソンは、さんざん迷った挙句リママラソンを選んだ。
当初考えていたのは、同じペルーにあるかの有名な世界遺産「マチュピチュ」を走るマラソンである。インカ道を通り、太陽の門からマチュピチュ遺跡に至るマラニックマラソンは4000m超のアンデス山脈の峠越えもある厳しいコースであるが、何よりも太陽の門から見下ろすマチュピチュ遺跡が感動ものであると、この道の先達であるS氏から聞かされており、ぜひ走ってみたいマラソン(マラニック)であった。しかし、現地のツアー会社との調整がつかず、結局はペルーの首都であり、世界遺産の街であるリマで行われるマラソンを走り、マチュピチュはその後観光で訪れること、途中で宿泊する標高3400mにあるインカ帝国の首都であったクスコにおいて高地でのランニングを経験するという、なんとも途半端な計画となった。
リママラソンツアーメンバと リママラソンツアーメンバと

2.小さなトラブル続きのツアー旅
 ペルーでは、マチピチュのほかナスカの地上絵のも見たく、マラソンツアーを専門に扱うツアー会社に一連のツアースケジュールを組んでもらい参加することとしたが、参加人数が8名と少ないことから同行の添乗員は無く、リマで現地ガイドと合流するツアーとなり、幾つもの小さなトラブルを経験することとなった。
最初のトラブルは、ダラス空港でのトランジット、成田~ダラス~リマのルートであるが航空会社は同じアメリカンエアーなので、ダラスでの乗換時間が1時間40分と短いことはうれしいことであり、トランジットで問題が起こることは想定していなかった。しかし、ダラスではトランジット客にも入国審査があり、イミグレーションは入国者やトランジット客で大混雑していた。どの窓口にも長い行列ができ、いろいろ問題を抱えた入国者が多いのか、はたまたテロ対策の為入国審査が大変厳しいのか、1時間を過ぎてもイミグレーションを通過できない状況になり、リマへの乗継便に乗り遅れる事態が想定された。ツアー仲間とどうしようかと相談していた時、「EXPRESS」のカードを掲げた空港職員が「トランジット」と叫びながらやってきた。パスポートと乗継便の搭乗券をみせて、リマへのトランジットであることを説明すると、トランジット客のために特別に開いた窓口へ案内してくれ、ぎりぎりのタイミングで乗継便に間に合った。米国内でのトランジットだけでも、ESTAが必要だったことから入国審査があり、そこでの何らかの問題遭遇も予期できたのではと後から考えたが、それは後知恵バイアスの最たるものでしかない。ダラス空港は、我々にとって印象の悪い空港となった。帰りも同じダラス経由の便であったが、帰りのダラス行は予定時間から5時間遅れのフライトとなり、このままでは成田行きに乗継不可能の事態となった。リマ空港のアメリカンエアーのカウンターで、リマからの他社便への振替えなど検討してもらったが、どの航空会社も2~3名の振替えならOKだが8名もとなると不可能とのこと、結局ダラスで1泊し、翌日の成田便で帰国と相成った。リマのカウンターではつたない英語での会話でも親切に対応してくれたが、ダラスでのホテルや食事のクーポンはダラスのカウンターで受け取ってくれとのこと、これがまたダラス空港での問題発生を抱え込むこととなった。ダラス空港のカウンターでは、職員の話す英語が理解できない、我々の英語がプアーであることから、クーポンを受け取るまでに四苦八苦、一部屋に3人詰め込まれる、ホテルにはレストランはなく近くのシェラトンホテルまでシャトルバスを出してくれたがのいいが、迎えのシャトルバスが来なく、シェラトンホテルのレストランの日本人店員がシェラトンホテルのシャトルバスを手配してくれて助かったが、翌日朝の空港へのシャトルバスのことまで心配をしなければならない事態に陥った。
おまけに、ホテルにはアルコール類が全くなく、近くにはショップもない、踏んだり蹴ったりの状態であった。

3.マラソンは順調、マチュピチュ、クスコは感動
 アラ還プロジェクトの本来の目的であるリママラソンは、マラソンコースが平坦なため気楽に走れたが、海霧がコースを覆い予想以上に寒々しい大会であり、おまけに海霧の為美しいといわれる海岸沿いの風景もほとんど見られず感動は味わえないレースであった。
対照的に、マチュピチュは死ぬまでに一度訪れたい地といわれるだけあって感動ものであった。この風景をマラニックで走ってきて、太陽の門から眺めるその時の感動は筆舌に尽くしがたいものであろう。私にとって、もう一つの感動の地はクスコからマチュピチュに至る途中に通るチンチェーロ高原の風景である。チンチェーロ高原は、標高3800m富士山頂上より高いところに位置し、何よりもジャガイモの原産地といわれるところである。
遠くにアンデス山脈の山々を見渡せ、ジャガイモ畑が広がる清々しくて本当に空気の薄さを感じさせる高原である。
クスコの街も忘れられない街である。インカ帝国の首都として栄え、その後スペインに支配され、インカの文明遺産とスペインの文化が残っているが、それは融合というよりインカ文明に無理やりスペイン文化を乗っけたという言い方が相応しい。クスコの標高は3400m 高山病に掛かる観光客も多いといわれるが、高山病は、脳への酸素の供給不足のために起こることから、夜寝ている時に掛りやすいと言われている。高地でのランニングも今回の目的の一つであったため、朝早く起床、高山病になっていないことを確認し、ホテルを出ると走っている現地の女性を発見、さっそく私もとジョギングをスタートしたものの、100mもいかない辺りから息苦しさを感じ、ウオーキングにスローダウン、その後はジョグギングとウオーキングの繰り返し、高地順化をしないままのジョギングは無謀!
パーソナルプロジェクトの投稿では、普段のプロジェクトマネジメントにも適用できる普遍的な教訓を得ることを狙いとしているが、今回の経験から一般化できる要素は少なかった。強いて言えば「通常ではない独自の目的を達成するためには、はやり周到の準備が大事」との教訓を再確認した経験であった。

マチュピチュ チンチェーロ高原
マチュピチュ チンチェーロ高原
クスコからマチュピチュへのルート クスコ
クスコからマチュピチュへのルート クスコ

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