理事長コーナー
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Project Management とプロジェクトマネジメント

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :9月号

 エジプトのピラミッドや古代中国の万里の長城の建設が、「プロジェクト」が古代からあったという事例として、プロジェクトマネジメントの各種教材で取り上げている。ある期間に大規模な構造物を建設し仕上げるという概念は古代からあったと思われるが、その言葉「プロジェクト」は、前世紀後半に定義された。「pro」は「前に、前方に」の接頭語と云われ、「ject」は「投げる」という意味があるので、「project」は、「前に投げる」という意味だが、拡張利用され、「前にある的」あるいは「前の的に当てる」という意味になり、現在の「プロジェクト」の意味になったと云われている。更に、球を投げて的に当てるには、距離感覚、位置感覚、スピード・時間感覚などを駆使して、的確に身体の動きを制御する必要がある。これが、「プロジェクトマネジメント」である。正確に的に当てなくてはならない人の行為だということだ。

 この「プロジェクト」という言葉は、今では一般化しつつあり、しばしば日常生活でも耳にするようになっている。しかし、「プロジェクト」を良く知らない人に、簡単に説明するのは結構難しい。更に、説明が難しいのが、「プロジェクトマネジメント」である。「段取り八分」という言葉を用いて説明する人が多いが、この言葉だけで「プロジェクトマネジメント」を100%表すことは出来ない。この様な場面で、「良い日本語」がないだろうかと多くの人が思案している。「プロジェクト」は、立派な「片仮名日本語」だが、利用されている割に、どんピシャな「漢字交じりの日本語」は確かにない。

 さて、日本は翻訳大国である。いうまでもなく本屋にならぶ翻訳書の数は、文学に限らず、経営、ビジネスの世界でも膨大な量になる。その日本は、歴史上二度に渡り大量の書物が翻訳されている。はじめが、古代中国の文化、思想、制度、技術等を取り入れたため、今で云う中国語を翻訳した時代がある。次は、江戸末期、近代になって西欧の文化などを国あげて積極的に導入した、西欧の言語を翻訳した時代である。いずれの場合も、当時の先進国に追い付くことを目的として行われた。その国民的な姿勢は今でも一向に変わらない。そこで、翻訳と通訳に関して調べてみた。

 弥生時代の後期、すなわち後漢の光武帝時代の西暦1世紀半ばには、漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん:“奴国”である日本からの朝賀使へ冊封=さくほう=のしるし)を賜ったとされる頃から、先進的な文化、思想、制度を摂取している。遣隋使として、小野妹子は有名だ。607年の第二次遣隋使の派遣では、鞍作福利(くらつくりのふくり)が通事(通訳)として同行した。また、804年の遣唐使の一員であった最澄は、中国語が得意でなかったため、通事として弟子の義信(ぎしん)を同行したとの記録もある。遣唐使が廃止されるまで、多くの書籍が輸入され翻訳された。翻訳の中心にいたのは、この通事達であったという。

 江戸の末期から明治初期は、阿蘭陀(オランダ)、英吉利(イギリス)などから、当時の近代国家の礎となる多くの学問、知識を導入した。杉田玄白による医学用語や福澤諭吉の「社会、自由、権利、責任」などの言葉は、現在なお日常的に利用されている。この頃の日本語になった言葉の多くは、留学生を介して中国に渡り、中国語となっている。日本語が「ピボット言語(下記)」的な役割を果たした。

 冷戦の終結で東側陣営が消滅し、急激にグローバル化が進む中、各種言語間の翻訳ニーズが急増している。唯一の超大国となった米国の公用語である英語が世界共通言語化している。更に、最近のITツールの発展とその高度化が寄与して、機械翻訳、自動翻訳が実用化の域に達している分野が増えてきた。多言語間の翻訳も、一旦英語に翻訳し、英語を仲介し(ピボット言語)、その上で他の言語への翻訳する事が急増しているという。

 さて、翻訳学の専門用語を調べてみる。「翻訳とは、ある言語で書かれた文章(起点言語)を、翻訳者が別の言語(目標言語)に変換すること」と定義されている。「起点言語」に忠実に変換すると「形式的等価」がもたらされた翻訳という。原文に忠実に翻訳するが故に、一般的な読者には判りにくいと云われている。一方、「目標言語」において、その目的や用途に合わせて利用する読者の判易さや受入れ易さを重要視するのが「動的等価」を目指す翻訳である。起点言語と目標言語の読者へ果たす効果が一致すれば「等価」が実現したと云えるが、実際には、微妙な「ずれ」が生じるのはやむを得ない。この「ずれ」を調整する行為を「翻訳におけるシフト」と呼ぶ。文化や習慣が違えば、必ず「ずれ」が生ずることは避けられない。多文化間コミュニケーションを扱う場合には、「起点文化」と「目標文化」と呼ぶそうである。ここにも「ずれ」があり、多文化間コミュニケーションを難しくしている。(以上、鳥飼玖美子編著「よくわかる翻訳通訳学」ミネルヴァ書房から一部引用し編集)

 PMI®、IPMA、ISOなど機関の活動により、それぞれのプロジェクトマネジメント標準が世に出た。日本のP2Mもその一つである。言葉、行為、活動が、自国の文化の枠組みの中から抜け出せない限りは、欧米化から導入した「プロジェクト」と「プロジェクトマネジメント」の起点文化(欧米)と目標文化(日本)との「ずれ」は避けられない。単なる翻訳だけの問題ではない。仕事をきちんとする伝統のある日本には、元来持っている「仕事の文化や習慣」がある。このコンテキストの基で日本語の「プロジェクト」や「プロジェクトマネジメント」がある。英語の「project」と「project management」とは、微妙な「ずれ」があるだけでなく、それ以上に違うのである。

以 上

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