協会理事コーナー
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PMAJでの先輩諸氏との思い出

立命館大学経営学部教授 淺田 孝幸 [プロフィール] 
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 私が、プロジェクトマネジメントの学会・協会に関係するようになった経緯などをエッセイ風に述べることで、今回のお話としたいと思います。もっとも、過去を振り返ると長くなりかつ記憶もやや怪しいので、厳密な検証を経ていないことを最初にお断りします。
 私が協会にお世話になるきっかけは、筑波大学大学院経営システム科学専攻という、国立初の経営大学院の設立に参加したことに始まります(1989年4月)。その時から、現在までお世話になっている梅田富雄理事(お会いしたときは、筑波大学教授)、その当時は、私も、30歳の終わり頃で、研究しているのは、現実にはあまり役に立たない、管理会計数理モデルの研究でした。しかし、現実を知らないとMBAの教育は結構院生からのするどい質問もあり、梅田富雄先生、寺本義也先生、河合忠彦先生、加古宣人先生、鈴木久敏先生(以上は設立時のメンバー)などから、いろいろ実務と理論の関係について、教鞭を受けたように思います。とりわけ、PMについては、梅田先生から千代田化工のお話などを聞き、また、その過程で、小原重信先生(当時は、名古屋商科大学で教鞭)を紹介いただき、川崎重工の造船、エンジニアリング、航空機開発などについて、いろいろ耳学問をさせていただいたことは、忘れられない思い出です。
 梅田先生、小原先生がいずれも、グルメ派であり、お二人を通じて、東京のレストランのご教示も受けたことは、楽しい東京での研究生活になった大きな要素だったと思います。その後、浅田は1995年秋から母校の大阪大学経済学研究科に移動となり、2002年のPMCCの設立、標準ガイドブックの作成では、PBSCの規格に携わり、武富先生、さらに、芝尾さん、古園さん、渡辺さんなど交流する機会ができ、私にとっては、PMは、自分の人生の一部になった次第です。とりわけ、フランスのリール大学での協会派遣チームでのPM特別レクチャーは、私も三回あったと思いますが、その授業での、インド人、中国人、フランス人学生に、「ボーイング対トヨタの原価企画とPBSCへの展開可能性」、について、講義したことは忘れられない思い出の1つです。また、彼らの鋭い質問も心に残っております。2009年world Scientific社から、Ohara・Asada編集で出版した「Japanese Project Management--KPM--」は今はなき、木下俊彦先生の参画もあり、私にとっては、貴重でかつかけがえのないPJであったと思います。その折りに協力をいただいた先生方・実務家の方々には、この場をお借りして感謝申し上げたいと思います。それから、5年の歳月がすぎ、PMAJは、ますます発展・進化していると思います。新しい標準ガイドブックの査読にも参加させていただき、現在の清水先生・西尾会長・光藤理事長を始め多くの役員・会員の努力・アイデアが新たなイノベーションをこの分野でさらに生み出すことを心から期待しております。また、学会とのコラボレーションを通じて、医療・公的機関・国際協力機関など、PMの活用と革新は、国際経済、国内経済の進化・発展にその潜在力はきわめて高いと思っております。ただ、PMには、様々な団体があり、日米においても、実務家の中には、協力へのシナジーを抑制するパワーが働く場合もあり、このあたりの解消が国力の衰えつつある日本においては、大同につく、気構えがトップにますます要請させていると思うばかりです。協会の発展とグローバルな展開を期待しております。

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