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パーソナルプロジェクトの勧め (5)
~「アラ還プロジェクト」実行中~

プラネット株式会社 シニアコンサルタント 中 憲治 [プロフィール] :8月号

世界五大陸マラソン完走プロジェクト
Ⅲ.アフリカ大陸編「エジプト・ルクソールマラソン」
1.エジプト・ルクソール
 五大陸の三つ目であるアフリカ大陸のマラソンは、南は、南アフリカ共和国のケープタウン、ケニアのサファリを走るマラソン、タンザニアのキリマンジャロマラソン、そしてエジプトを走るものとこれも数多くある。その中でもエジプト・ルクソールマラソンは世界遺産の地を走るという私の制約条件にぴったりのマラソンであり、アフリカ大陸編は迷うことなくこの大会を選んだ。
 古代エジプト文明はBC3000年ころから始まり、BC2600年~BC2200年の古代王朝時代、BC2000年の中王国時代、BC1550年~BC1100年の新王国時代の2つの時期に最盛期を迎える。(かのクレオパトラの時代はBC30年頃のプトレマイオス王朝時代)ルクソールは、古代王朝時代の中心となったカイロ地区からナイル川に沿って南に約600kmの地点にあり、中王国時代から新王国時代の首都(テーベ)のあった地域である。
 ルクソールはナイル川を挟んで大きく2つの地域に分かれ、ナイル川東岸は「生者の町」と呼ばれ、カルナック神殿、ルクソール神殿と新王国時代の歴代のファラオ(王様)の遺跡が並ぶ、これに対しナイル川西岸は「ネクロポリス(死者の町)」と呼ばれファラオの墓が並ぶ「王家の谷」が中心である。ルクソールマラソン大会はナイル川西岸の遺跡の一つ、「ハトシェプスト女王葬祭殿」をスタート・ゴールとし、「メムノンの巨像」など新王国時代の遺跡を眺めながら走るコースである。
<参考:ハトシェプスト女王はエジプトで最初の女王であり、現在、東京都美術館で古代エジプト展が開催されており、その中で紹介されている>
ルクソールマラソンこそ「世界遺産を走る」をテーマとした世界五大陸マラソンのすべてたした大会である。

エジプト・ルクソールマラソン

2.ピラミッドとオベリスク
 古代エジプト文明の象徴は、古代王朝時代のピラミッドといえる。
テーマを少し外れるが、プロジェクトとピラミッドについて考えてみたい。
飯岡厚夫・村岡克紀共著の「ビッグプロジェクト」(新潮新書)によると、古代から近代以前にビッグプロジェクトが行われた動機は“内(神)への祈り”と“外(敵)への守り”であるとしている。その観点からいえば、ピラミッドは“内(神)への祈り”の最大かつ最古のものといえる。ピラミッドは古代ファラオの墓であり、神への祈りであるとの説はその通りであると思える。しかし、ピラミッドは、現地のガイドの説によれば「古代エジプト時代の公共事業」であるともいえる。ナイル川流域は肥沃な土壌に恵まれ、農業が盛んな地域であった。しかしナイル川は定期的に洪水に見舞われており、洪水後は農作業ができなくなる、そこで農作業従事者の失業対策のためピラミッド構築プロジェクトを時のファラオが行っていたといわれている。肥沃な土壌はナイル川の洪水によりもたらされ、ピラミッドプロジェクトは洪水によりもたらされたとはナイル川洪水の成果物といえなくもない。
 ピラミッドは、中王国時代以降は見られなくなり、新王国時代には、ピラミッドに代わってオベリスクが現れる。オベリスクは、尖塔でその頂上は三角錐となっているが、これがピラミッドの代わりとしてオベリスクのトップに据えられたといわれている。
ピラミッドの石も、オベリスクの石もナイル川上流のアスワン地区で切り出され、ナイル川を船で運ばれているそうだが、古代のプロジェクトの壮大さには想像を絶するものがある。

ピラミッドとオベリスク

3.ルクソールマラソン大会
 大会は、イスラム教の休息日である2011年1月26日金曜日に行われた。
朝7時スタート。周りには、王家の谷の観光用の気球が沢山上がっている。スタート時の気温は12度、10kmコースを4周してゴールした時は、気温42度・湿度15%。走っている間の気温の変化も世界遺産級(30度もの気温の上昇は信じられない)
ところ変われば・・・との諺もあるが、本当に想定を超えていた。
ルクソールマラソンは、大会そのものより、その後の出来事で忘れられないものとなった。
いわゆるエジプト革命に現地で遭遇したのである。そのことについては次号で記したい。

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