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「原発事故」 (16) 原発災害をタブー視するに至った背景

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :4月号

26 原発災害リスクをタブー視するに至った背景に、原発推進派学者の技術者としての良心の喪失はありませんか

 原発の「安全神話」の出所は単純です。原発推進派と反対派の二極対立が高じ、その反対派を抑えるために、原発災害リスクをタブー視するよう意図的にもっていったといわれています。
 この罪は甚大です。これにより本来なされるべき安全への取り組みである自然災害への技術的な備えが疎かにされたばかりか、識者や研究所のさまざまな提言や懸念は先送り、または排除されてきました。その結果、福島第1原発は40年前に稼働をはじめた頃から殆ど安全設備としての更新が行われないまま、つまりシビアアクシデントに対応出来ない大きなリスクを抱えたまま、放置されてきたのです。
 今回の事故発生で、初めて「安全神話」は崩壊し、事故は明らかに人災であることが分かりました。この「安全神話」のお墨付を与えてきた原発推進派の学者としての良心はどこへ行ったのでしょうか。原発推進派学者の技術者の良心、誇りは一体どこへ行ったのでしょうか。原発推進派の学者16名が連名で政府へ建言した「緊急建言」からは、残念ながら学者の持つ良心は伝わってきません。
 この原発災害リスクをタブー視することが、過去にあった東電の原発トラブル隠蔽事件や組織的なデータの改竄事件を起こす直接の原因にもつながっていました。それとともに「想定外」とか「千年に1度」などといった言葉による責任逃れを生み、学者、官僚、電力業界による原子力ムラと呼ばれる利権の巣窟の存在を許してきたのではないでしょうか。また、メディアも「「安全神話」の方棒を担ぎ社会の木鐸となるべき役割を果たしてこなかったといわれても仕方ありません。
 むしろこの「安全神話」を上手く利用して原発の利権を思いのままにしてきた政・官に、原子力関係の産・学が癒着した原発推進者の共同体、つまり原子力マフィアの責任と、それを容認し、その権威に対して疑問視せず、積極的にこれに同調する頂点同調主義のわれわれ国民も、今こそ長い眠りから目を覚まさなければならないのです。

27 原発推進派学者16名の緊急建言は今回の事故責任についてまったく言及していませんが、どう思いますか

 2011年3月30日付で政府の原子力安全委員会や原子力委員会の歴代委員長を中心に日本原子力学会会長をはじめ原子力ムラの住人で、わが国の原子力分野を牛耳ってきた原発推進派学者の錚々たる重鎮たち16名が連名で「福島原発事故についての緊急建言」を政府へ提出しています。
  原発推進派学者16名
青木 芳朗 元原子力安全委員
石野 栞 東京大学名誉教授
木村 逸郎 京都大学名誉教授
斉藤 伸三 元日本原子力学会会長
佐藤 一男 元原子力安全委員長
柴田 徳思 学術会議連携委員、基礎医学委員会
住田 健二 元日本原子力学会会長
関本 博 東京工業大学名誉教授
田中 俊一 元日本原子力学会会長
長瀧 重信 元放射線影響研究所理事長
永宮 正治 日本物理学会会長
成合 英樹 前原子力安全基盤機構理事長
広瀬 崇子 前原子力委員、学術会議会員
松浦 祥次郎 元原子力安全委員長
松原 純子 元原子力安全委員会委員長代理
諸葛 宗男 東京大学公共政策大学院特任教授

 くどくなりますが、全文を転載します。これによると、冒頭「原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします」と述べ、こう続けています。
 「私たちは、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移に固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し燃料内の膨大な放射線物質は圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。
 特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである。
 こうした深刻な事態を回避するためには、一刻も早く電源と冷却システムを回複させ、原子炉や使用済燃料プールを継続して冷却する機能を回複させることが唯一の方法である。
 現場は、このために必死の努力を継続しているものと承知しているが、極めて高い放射線量による過酷な環境が障害となって、復旧作業が遅れ、現場作業者の被曝線量の増加をもたらしている。
 こうした中で、度重なる水素爆発、使用済燃料プールの水位低下、相次ぐ火災、作業者の被曝事故、極めて高い放射能レベルの持つ冷却水の大量の漏えい、放射能分析データの誤りなど、次々とさまざまな障害が起り、本格的な冷却システムの回複の見通しが立たない状況にある。
 一方、環境に広く放出された放射能は、現時点で一般住民の健康に影響が及ぶレベルではないとは言え、既に国民生活や社会活動に大きな不安と影響を与えている。さらに、事故の終息については全く見通しがないとはいえ、住民避難に対する対策は極めて重要な課題であり、復帰も含めた放射線・放射能対策の検討も急ぐ必要がある。
 福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になうことも予想され、東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している。

 当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内の燃料の冷却状況を安定させ内部に蓄積されている大量の放射能を封じ込めることであり、またサイト内に漏出した放射塵や高いレベルの放射能水が環境には放散することを極力抑えることである。これを達成することは極めて困難であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない。
 さらに、原子炉内の核燃料、放射能の後始末は、極めて困難で、かつ極めて長期の取り組みとなることから、当面の危機を乗り超えた後は、継続的な放射能の漏えいを防ぐための密閉管理が必要となる。ただし、この場合でも、原子炉内からは放射線分解によって水素ガスが出続けるので、万が一のも水素爆発を起こさない手立てが必要である。

 事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係各省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、わが国がもつ専門的英知と経験を組織的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取り組みが必須である。私たちは、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。」

 これを読んでみると、放射線汚染による被害がいかに深刻なものかが伝わってきます。一方で唖然としたのは、これまで原発は絶対に安全だと宣伝してきた学者として、これだけの悲惨な重大事故を招いた当事者責任について何一つ言及していないことです。
 これまで先頭に立って日本の原子力開発を進めてきた日本原子力学会会長はじめ錚々たる原子力学者たちの「政府への緊急建言」の内容としては、今回のように戦後日本の最大の国家危機というべき非常時に何らかの救援活動や問題終息への明確な道筋を示すことでなければならない。これができなければ、原発推進派学者の名が泣くのではないでしょうか。残念ながら事の本質、重要性に気がついていないといわざるをえません。
 冒頭の国民への陳謝は一体何について謝罪しているのか。この抽象的な文言から見えてくるのは、これまで「原発が絶対安全」だと言う世論の形成、「安全神話」ムードを醸成し、現実には全くあり得ない「安全神話」のお墨付きを与えてきた者の姿そのものではないでしょうか。この文面からは原子力と言う「パンドラの箱」について、国としてのこれまでの取り組み体制の不備や安全への認識不足。日本では停電が長時間続くことは殆どない、つまり全電源喪失は起こらないはずだから安全規則の対象にしなくてもよい、というお墨付を与えた原子力安全委員会の重大な誤りなど問題の本質については、何一つ読み取ることが出来ません。

 さらに残念なのは、原発先進国のアメリカ、フランス、カナダで見られる国として取り組み姿勢や、原発の安全管理の実態から学ぼうとする姿勢も、全く見られないのです。今回の大惨事から彼らは一体何を学んだのか。全く現実にあり得ない「安全神話」の虚像を創り上げてきた原発推進派の学者たちの責任は、極めて重大で、決してこれを許してはなりません。同時にこれまで原子力行政の監督官庁として原発に関する全ての技術的な許認可を与えてきた原子力安全・保安院の監督責任も同じく極めて重大です。
 そして今回の原発事故について、言葉の上では「国民に対し深く陳謝いたします」と謝罪しているが、政府へ提出した「緊急建言」からは、まるで第3者が他人事のように語っている印象が強いのです。事故への反省の気持ちが伝わってきません。
 その理由として、彼らは歴代の日本原子力学会会長を中心に、原子力安全委員長などの要職を占め、錚々(そうそう)たるわが国原子力界の権威の象徴だったのです。だからこれまでは批判を受ける機会もないし、反駁をする人もいなかったからだと思います。
 現実を冷静に見て自らの非を認めることが出来ない傲慢さは、彼らの権威やプライドが邪魔をしているのか、やはりこれは使命感の欠如であり、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如によるものといえます。

高い地位や権威ある地位にいる者にとって、謙虚な態度で物事の本質に迫る炯眼を磨くには、現場主義に徹する以外にない。

28 わが国の安全文化はどんどん衰退していませんか

 安全文化の衰退は21世紀の初頭から顕著にはじまっています。2003年8月29日のエクソンモービル名古屋油槽所火災(死傷者7名)、同9月3日の新日本製鉄名古屋製鉄所火災(死傷者15名)、同9月8日のブリヂストン栃木工場火災(建物約4000m²他全焼)、同9月26日の出光興産北海道製油所(苫小牧市)タンク火災(44時間にわたって炎上)と、重大なタンク火災事故が相次いで発生しました。
 この一連の事故に関連して、全国のタンクのうち国が定める技術基準値に満たないものが実に64%に上ること、さらに基準に満たない施設であってもその改修は平成23年と平成27年まで猶予されることになっていたことが判明し、国はあわてて耐震化遡及適用の前倒しを検討し始めたことが報じられていました。
 関電美浜原発事故での対応もそうですが、わが国では何か大きな事故災害が起きてはじめて対策が動きます。そういう「事後対応国家」としてのイメージを払拭することは相変わらず出来ないでいます。わが国の安全軽視の風潮は、基幹的な輸送機関、鉄道においても2005年4月107名の死者をだしたJR西日本福知山線脱線事故、さらに最近のJR北海道のレール点検数値の改ざんは、保線現場の全部署の4分の3に及び安全軽視が上から下まで浸透しており、わが国の安全文化の衰退の深刻さを物語っています。
 日本の企業風土や社会風土は簡単に一朝一夕には変わらないとは思いますが、変わらなければならないのです。わが国では現場での実践経験よりも学歴・知識偏重の傾向が強く、政・官・産・学のトップは現場や修羅場の経験を経てこない、青白いエリートが多いのです。一度その権力の座につくと、あまりにも居心地がよくて居座ります。そして次第に周囲には反駁する者はいなくなり、権威の象徴として奉られていくのです。

トップの安全文化への見識
 わが国のトップの多くは、「安全」や「現場主義」を自らの責務として深く極めることなく、現場へ足を運ぶことを怠っています。その結果、「安全」や現場の実態からは物理的にも心理的にも遠く離れ、安全文化への見識や重大事態発生時の瞬時の的確な初動を欠くことになります。今回の原発事故の初動について、原発暴走中とは思えない幹部の緩慢な対応は、この事実を物語っています。

被曝隠しが横行
 報道によると、今回の事故現場では、被曝線量を測る線量計(APD)をつけないで働かせた作業員が延べ3000人を超え、全体の4割にのぼるといいます。緊急対応として作業班の代表者だけにAPDを装着させ、全員が同じ線量を浴びたとみなしていました。だが、作業員が代表者と離れて働いていた事例が判明し、正しい被曝記録が残っていない人が相当数いる可能性が出てきたのです。安全管理責任者である東電は、これに対して、「代表者のAPDで作業員の線量は十分把握できていた。労働安全衛生法に基づく規則で認められている『測定器での測定が著しく困難な場合は計算で値を求められる』に該当し、法違反ではない」と説明しています。
 しかしこの説明は明らかに間違っています。どうみても、「測定器での測定が著しく困難な場合」には該当しません。単に全員にAPDを持たしていなかったというだけなのです。わが国を代表する一流企業の言葉とはとても思えません。安全管理が真面目に行われていたと、誰が信じるでしょうか。
 しかし実態はさらに深刻でした。「被爆隠し、原発下請け、もの言えぬ闇」なのです。下請け作業員たちが、被曝線量を低く見せかけるよう、APDに鉛カバーをかぶせて働かされている実態が明らかにされました。発注者―元請けー下請けー孫請け等々、タテの重層請負関係の末端にいる作業員の立場は弱く、理不尽な要求を受け入れざるを得ませんでした。被曝隠しの裏にある構造的な背景が存在しているのです。
 繰り返しになりますが、カナダの原発では、作業員は全員社内教育を受けた正社員でなければならず、それ以外の者は原発内で作業をすることは許されません。カナダの人にとっては、東電のように放射能で汚染された水の中へ裸足(はだし)で入るなんて、想像もつかないでしょう。わが国の安全文化の衰退に歯止めをかけることが出来ない行政当局も、この現実を真剣に受け止める必要があります。今回の事故に対する日本の対応については、世界が注視しているのです。

欧州の安全文化
 わが国における「安全文化」は、欧州諸国のそれと大きく違っています。日本の政府首脳や社会、企業、組織のトップに立つリーダーと、欧州諸国のリーダーが持つ「安全文化」への見識が異なるのです。
 欧州の安全文化は、関連する規則や基準の中味に重点が注がれています。われわれが遂行したドーバー海峡トンネルプロジェクトでは、所定の時期に提出する「安全、衛生管理計画書」の内容の客先承認が、契約での毎月の出来高支払の要件となっていました。つまり安全と衛生管理が遂行されていなければ、代金を支払ってもらえないのです。この一件からも欧州では安全をいかに重視しているかを窺い知ることができるでしょう。

 わが国では統計的な労働災害発生原因の約90%が、何らかの人の不安全行動に起因していると言われており、安全文化の基盤は、現場での安全の基本動作、4S(整理・整頓・清潔・清掃)、安全ルールの遵守など、現場で働く一人一人の安全意識、行動に関するヒューマン・ウエア(人間的要素)に拠っています。その結果、わが国の現場監督や作業員レベルでの安全については間違いなく世界でもトップレベルといえると思います。問題は国家社会、企業、組織レベルでの安全文化については、いまだ欧米先進国のレベルには達していないのです。
 欧州では安全管理について、現場の危険な状態を「ワニ」に擬し、マンガで分かり易く3つのケースに分けた説明がなされています。
ケース A 危険な「ワニ」に人間が槍をかざして立ち向かっている。(危険と闘いながら身の安全を確保している)
ケース B 危険な「ワニ」を囲いの中へ閉じ込め、出てこられないようにしている。(危険な要因を閉じ込める対策をしているが、囲いを破ってワニが出てくる恐れがある。)
ケース C 危険な「ワニ」を縛ってどこかへ運び出している。
(危険な要因を事前に完全に取り除くことにより安全を確保する)
 欧州における安全文化はいうまでもなくケースCで、関連する規則や基準により危険な要因を取り除くことを目指しています。一方、わが国における安全文化は、前述のように現場での安全の基本動作、4S、安全ルール遵守など、ヒューマン・ウエアに大きく依存しており、ケースAもしくはケースBの段階に留まっているのです。

事故の教訓
 政府はエネルギー基本計画において原発を時間帯にかかわらず、一定の電力を供給する「重要なベースロード電源」と位置づけるとともに安全基準に適合すると認められた原発の再稼働を進める方針を打ち出しています。
 この安全基準について政府は原発事故の教訓を踏まえた世界一安全な新たな規制基準としていますが、これは主に設備のハード面の規制でこれを厳しくすれば世界一安全な原発を実現できると思っています。電力会社は14基の原発がこの新たな規制基準を満たしていると主張して原子力規制委員会に再稼働を申請しています。
 ところで既存の原発について設備のハード面の規制を厳しくすれば安全の確保ができるのでしょうか?例えば日本一細長い佐田岬半島の根元に立つ伊方原発、一度事故となれば半島の先に住む住人は5千人が孤立の危機に陥る。さらに東海地震の想定震源域にある浜岡原発などは安全度外視の立地であり、立地自体が重大な誤りです。過去の建設に至る経緯にかかわらず安全確保のためにこれらは即廃炉とすべしです。

 また事故の教訓としては、設備のハード中心の規制基準をいくら厳しくしても事故のリスクはゼロとなりません。ハードに加えソフト面についても、組織的・人的な管理能力の向上、政府官邸・電力事業者・関係各省庁・警察と自衛隊を含めた重大な緊急事態発生時の危機管理体制の確立、原子力ムラで象徴される原発を原子力関係者だけのタコツボでなく巨大プラントとして対応するため異なる多くの分野からも広く専門家を集めることが必要です。さらに原発運転管理者の育成など事故の教訓としては、ハード・ソフトの両方から真摯な反省に立った分析を行い今後に生かさなくてはならないのです。

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