PMプロの知恵コーナー
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「原発事故」 (15) 原発以外のプラント現場で起きた事故

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :3月号

25 原発以外のプラント現場で起こった事故と、その緊急対応の事例があれば教えてくれませんか
 プラント現場ではいつ何時、何が起こるか分かりません。その意味では24時間、365日が想定外の非常事態なのです。緊急事態が発生した際、事故による被害を最小限に止めなければならず、それが成功するかどうかは、間髪を入れない的確な初期行動が出来るかが最重要であります。
 ここでは実際に我々が経験した過去のプラント現場で起こった事例を幾つか紹介したいと思います。物語的で少し長くなりますが、ご容赦下さい。福島原発事故とはスケールが違いますが、なすべき緊急対応という意味では参考になるのではないでしょうか。

事例 1 南アフリカ共和国営製鉄所ISCOR社向け製鋼プラント建設工事
 これは製鉄所の転炉プラント建設の話です。川崎重工が請け負ったのですが、第1期工事では、経験不足や国際商習慣への不慣れが原因で、客先へのプラント引渡し完了後、建設工事の発注先である現地工事会社との間で、追加工事費の清算をめぐって、3ヶ月にわたり連日厳しい折衝を余儀なくされました。
 それから間もなく、経営好調のため増設計画が持ち上がり、第2期工事がスタートしました。第2期工事では、前回の苦い経験を生かし、契約上の諸問題や建設工事で得たノウハウを、全て初期段階の諸計画へフィードバックしました。その結果、プロジェクトは理想的な形で順調に進み、所定の工期を1ヶ月先行してプラントの総合試運転が完了したのです。いよいよ残すは客先が施工を担当した、転炉本体の内側に貼りつけるレンガを積む作業のみとなり、2週後には待望の火入れ式を迎えることになりました。
 火入れというのは、転炉の中に入れた銑鉄に酸素を吹き込んで、溶鋼(溶けた鋼。1350℃になる)を作るための、一番最初の酸素吹煉(すいれん)作業のことをいいます。

 時は1975年7月、たった今火入れ式の日程を日本へ打電した或る金曜日の午後のことでした。第1期、2期工事と3年以上にわたった長期出張者にとって、関心や話題は帰国ルートの設定や故郷への思いで花が咲いていました。またこの日は週給の支払日でもあり、現場の作業員は全て午前中で作業を終え、給料を手にして帰宅。現場は無人となっていました。
 現場責任者が、ふと事務所から100mほど離れたプラントサイト(プラントの工事現場)を眺めると、人気のない製鋼工場の天辺(てっぺん)から煙が出ているではないか。一瞬目を疑ったが、確かに煙が出ている。急遽、事務所に居合わせた全員が現場に駆けつけたところ、地下のケーブルトンネルから垂直に立ち上がる電線ケーブルダクト内で、火災が発生していました。夢中でありったけの消火器を掻き集め、各床の開口部から懸命な消火活動にかかりましたが、火勢は一向に衰えず、垂直ダクトがまるで煙突となって勢いを増すばかりです。そこで消火器による消火を諦めました。
 「水をかけろ」
 皆は一斉にホースとバケツの場所に走り、手にしました。やむなく電線ケーブルダクト内に注水し、やっとの思いで鎮火させたのです。電線ケーブルが這うダクト内に注水するのは大きな経済損失ですが、そんなことを言っておられません。咄嗟の判断が、明暗の明の方へと導きました。全員、何とも言えない虚脱感と、現実に起こったことが信じられない思いに見舞われたのは事実です。
 その後、詳細が判明するにつれて、被害は全電気工事量の40%にあたるケーブルを焼失しました。まさに‘好事魔多しで、あれほど順調に進んできた建設工事が一瞬にして頓挫したのでした。後日判明した火災の原因は、客先の指摘により電線ケーブルの整線作業を行った際に、ダクト内に設けられていたサポート材のパイプをカッターで切断し位置を移動させていましたが、週給を手にして帰りを急ぐあまり最後に残った部分を溶接のアークで切断し、作業員はそのまま現場を離れてしまいました。その際、火のついた鉄片と火の粉が落下しL字型のダクトの底で暫く時間をおいて発火したものです。運悪く現場が無人となっていたため、発見が遅れ大事に至ったもので、作業員のチョットした初歩的な作業ミスから発生したものでした。
 しかし落胆している暇はなく、直ちに復旧に取りかかりました。先ず当面の難問題は焼失した膨大な電線ケーブル材をいかに集めるかということです。火入れ式の日程は決まっているので大変です。事故の報告を受けた客先プロジェクトマネジャーは、開口一番、
 「現場では、いつ何が起るか分からない。直ちに復旧工事にかかって欲しい」
 と述べ、素早く客先の対応を明言しました。それはISCOR社内のケーブル材料の在庫を速やかに調査し、利用できるものはすべて提供する。契約仕様では許可されていないケーブルの中継ボックスを設けることを特別に許可する、という緊急対応でした。その一方、川崎重工への責任追及やクレームの話しは一切なく、事故を起こした我々への励ましと支援を送り続けてくれました。
 復旧工事は3シフト24時間体制で、日本からも10数名の結線工を呼び寄せました。足りない電線ケーブル材の調達は、客先の全面的支援と協力を得たのは述べるまでもありません。現場サイドは文字通り、火事場の底力を発揮。昼夜を通しての驚異的な頑張りの結果、本工事の時は数ヶ月を要した電気工事をすべて復旧し、再試運転を含め、僅か1ヶ月の期間で無事完了させることが出来たのです。幸い、所定の工期に対して工程が1ヶ月先行していたため、この間に火災事故による被害を修復し、結果として契約納期内にプラントを無事客先へ引き渡すことができ、有終の美を飾ることが出来ました。

 この火災事故を通して得た教訓は「何事も最後迄何が起こるか分からない (Anything can happen)」でした。原発もまさにこれなのです。
 現場工事をするにあたり、不測の事態に備えては、日頃から工程の先行を蓄積しておくことが肝要です。そして不幸にして予測できない問題が生じた際には、決して最後まで諦めないこと(Never give up)です。今回の事故を通じて、一見不可能かと考えられた短期間での復旧工事を完了させ、成せばなるとの自信を深めました。
 この火災事故の発生は偶然というより、人為だったかもしれません。すべてが理想通り順調に運び、ゴールを目前にした最後の段階で安堵感と帰国への思いが高まって、ついメンバーの緊張感が綻(ほころ)びかけた、その僅かの隙をつかれたものかも知れません。

この事故から学ぶべき教訓
■ 不測の事態に対応した実践力

 不測の事態に対し、客先プロジェクトマネジャーは問題の克服と解決への道筋を即刻示しています。すなわち消失したケーブについて在庫ケーブル材の提供と契約仕様に拘(こだわ)らない中継ボックスの設置許可。この即断は復旧工事への一丸となった驚異的な頑張りを生みだし、問題解決の鍵となりました。

■ 意思決定・リーダーシップ様式
 いかなるケースにおいても、現実を肯定し、プラス志向に徹したリーダーの初期行動が問題解決の大きな決め手となりました。
 不測の事態において客先プロジェクトマネジャーが最初に発したひと言、「現場というのは、いつ何が起こるかわからない。Anything can happen である。」というこのひと言に、現場はいかに勇気づけられたことか。そして事故責任への一切の言及もなく、「直ちに復旧工事にかかって欲しい」との激励は、復旧工事へ向けて強力な動機付けと勇気を与えてくれました。
 福島原発事故で未曾有の放射線災害へと拡大させた、その致命的な原因である全電源喪失を思うとき、この緊急事態での「初動」はいかに早く電源の復旧を図るかです。現場はいかに対応したのか、しっかりと分析、反省する必要があるでしょう。たとえば自衛隊艦船、航空機による損傷電気品や電源車、バッテリー電源の急送などの対応はなされたのか。これら「初動」を磨くには、現場で積む経験しかない。そしてそれを使う必要に迫られたときに存分に駆使できるのです。

事例 2 台湾中国鋼鉄公司向け製鋼工場の火入れ式でのトラブル
 1987年10月14日、順調に工事も終わり、いよいよ転炉の火入れ式の日です。その日だけは普段と違い、すべての設備や人々の顔が晴れがましく輝いて見えました。国営製鉄所の火入れ式にふさわしく、台湾政府の高官、中国鋼鉄公司董事長(会長)や総経理(社長)をはじめ、関係各社の経営幹部と多数の来賓を迎え待望の火入れ式が挙行されました。
 式典の後、いよいよ関係者が固唾(かたず)を飲んで見守る中、高炉から運ばれてきた溶銑(溶けた銑鉄の湯)230tが転炉に注入され、酸素上吹きの初吹錬が無事完了しました。後は転炉を傾動させ、炉内の溶鋼(1350℃)を、炉下に移動してきた受鋼台車の溶鋼鍋に注ぎ込めば、この日はめでたし、めでたしです。
 ところが、ここでハプニングが起こりました。運転員が出鋼(鋼の湯を鍋に注ぐこと)のため、転炉を傾動すべく出鋼側の現場操作盤のハンドルを操作したのですが、どうしたことか転炉は微動だにしません。動かないのです。驚いた関係者が一斉に操作盤に駆けつけてハンドル操作を行いましたが、やはり転炉は微動だにしません。仮にこのまま転炉の傾動が出来ず、炉内の溶鋼の温度が下がってしまえば、大変な事態になります。
 周りが騒ぎ始め、副総経理(副社長)が川崎重工側へ近寄ってきて、
 「一体これはどうしたことですか」と、蒼白の顔で問い詰めました。これに対して、
 「実は装入側と出鋼側にある傾動装置の現場操作盤のうち、出鋼側については、炉体のレンガ積み作業と平行して行っていました。その調整作業をしていたために、時間がなくて、調整完了後の最終的な実機での傾動確認がなされていなかったのです」
 「肝心の傾動のテストをしていないなんて、どうしてそんな無茶なことをしたのですか」
 「所定の日に初吹錬を迎えるためでした。苦汁の決断だったんです」と説明。副総経理からは、「それは極めて危険なことだ」との言葉が返ってきました。
 川崎重工としては、最悪の場合、出鋼側ではなく、装入側の現場操作盤を使い、合図を送りながら転炉を傾動し出鋼させるという、最後の手段を思い描いていたのです。でも果たしてうまくいくかどうか。ずいぶん長い時間に感じられました。しかしその間、出鋼側の操作盤を使用可能にすべく、電気技師に必死の作業を続けてもらっていました。諦めてはいけない、という一念です。そして10数分後、奇蹟が起こりました。電機メーカーから派遣されていた直流サイリスター制御のスペシャリストの手により、問題の出鋼側の現場操作盤が使用可能となったのです。危機一髪でした。関係者全員が安堵するなか、ようやくこれを使って転炉を傾動させ、無事出鋼を終えることが出来きました。最悪のケースには至らず、事なきを得たのでした。

このトラブルの背景
 このケースは極めて大きなリスクを伴う苦汁の決断でした。ひとたび炉体内にレンガを積み始めると、もはや炉体を傾動することは出来ません。直流サイリスター制御の調整作業は、ベテランスペシャリストの手でしても、最低でも数日かかります。しかし初吹錬の工程を厳守しなければならず、時間がありません。そのため出鋼側については、敢えて炉体のレンガ積み作業と並行して実施する決断をしたのです。したがい出鋼側の現場操作盤による実機での傾動テストは、未確認のままとなります。
 一方、これ以外にも諸々のテストが客先手配の油圧系統のトラブルが原因で遅延が生じていました。しかしこれらについても、苦汁の決断で炉体のレンガ積み作業と並行して実施を決断しました。本来であれば全ての試運転作業が完了した後、はじめて炉体のレンガ積み作業を行うわけです。しかしそれでは所定の火入れは、10日の遅延が予測され、客先は大臣を招待していることだしと、受け入れませんでした。
 このように技術的に大きなリスクと工程厳守のトレードオフについての決断でしたが、その決め手は何だったのか。数日後のプラント完成を祝う祝賀の席上、隣席の客先建設部長は次のような言葉をかけてくれました。
 「立場上、今まで言えませんでしたが、内心ではこのプロジェクトが、まさか所定の日に火入れが出来るとは考えていませんでした。いかなる事態においても、Never give upの精神でプロジェクトを完遂に導いてくれたことに感謝したいです」

このトラブルから学ぶべき教訓
 このケースではマニュアル通りの手順では工程を守ることはできないということです。試運転手順の異例の変更によるファースト・トラッキング(Fast Tracking)も有効です。つまり作業を同時並行で行うことにより、期間を短縮するのです。
■ リスクへの対応とリーダーの決断
 この工事は工程短縮とそれに伴うリスクとのトレードオフについて、あらゆる可能性を追求した上での苦汁の決断でした。現場は日頃から最悪の事態に備えたシミュレーションを怠ってはならないのです。ではひるがえって、福島原発事故ではどうだったのか。全電源喪失の最悪の事態に備えたシミュレーションは行われていたのか。また一刻も早く電源復旧を図るためのファースト・トラッキングは採用されたのか。艦船を原発へ急行させ、船の電源を外部電源として利用する、緊急時の異例の手段は検討されたのか。どれも疑問だらけなのは甚だ残念です。
注 : ファースト・トラッキンング
 工程管理上の専門用語で期間短縮法の一つ。クリティカル・パスの一部を並列にし、リスクと交換に期間を短縮させる方法。これを実行するためには、作業のプロセスを熟知していること、大きなリスクをとることへの決断とその結果責任を伴う。現場の指揮官として要求される重要なコンピテンシーである。
注 : コンピテンシー
 ある職務または状況に対し、基準に照らして効果的、あるいは卓越した業績を生む原因として関わっている個人の根源的特性・能力、と定義される。

不測の事故では、リーダーに必要なコンピテンシーの中で、自己確信、
より具体的には、次のようなコンピテンシーが求められる。
決断力
責任をとることをいとわない
広範囲な技術的専門知識と豊富な現場経験
冷静さを保つ

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