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「原発事故」 (14) 安全神話

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :2月号

22 日本では安全神話で原発が推進されていますが、まさか欧米先進国も安全神話なの?

 日本人は真面目で勤勉・優秀であると評価されています。反面、役所のことをお上(かみ)というように、権威に弱く、従順です。これを疑問視するどころか、むしろ積極的に権威に同調する習性があります。人の悪意よりも善意を信じようとします。自然災害に対する危機意識や食品安全に対する配慮はありますが、他者や他国が害を及ぼす危険性についてはまったく無防備で、むしろ天真爛漫なほどのお人良しです。お上や学者や大企業の偉い人たちが唱える「事故は起きない、安全だ」という言葉に、あまり疑いをはさみません。要するに危機意識が乏しいのです。こうした日本人が持つ危うさの国民性が、わが国で「安全神話」を生む素地となったと考えられます。
一方欧米先進国では、「人間は過ちを犯す」、「事故は必ず起きる」と言う前提に立ち、常にそれに対するリスク・アセスメント(リスク評価)を実施しているのです。自然の力は私たち人間を超えるものです。「どんなに完璧な(foolproof)システムにおいても、遅かれ早かれ、愚か者(fools)が証明(proof)を超える」という格言があります。
したがって絶対に「安全神話」は存在しません。「安全神話」なんて、近代科学の現代社会ではあり得ない話です。
 わが国には原子力工学の学者を中心に、電気事業者や官僚の原発推進派らにより形成された「原子力ムラ」があります。彼らがその対極に位置する原発推進反対派を抑え込む道具として、原発災害をあえてタブー視させるべく、意図的に「安全神話」を捏造(ねつぞう)し、育ててきたと言われています。
 その後、「原子力ムラ」は原子力についての権威の象徴となり、閉鎖的、排他的な色彩をいっそう強め、利権の巣窟となりました。一部識者の提言や意見具申、懸念は、「安全神話」の御旗のもとにことごとく退けられ、挙句(あげく)にはその一部識者は地位や職場を脅かされる事態にもなりました。
 ここで重大な事実が見えてきます。それは「原子力ムラ」の専横的傾向に歯止めをかけることが出来なかつた原因の一つは、原発を一つの巨大プラントとして見ることができる現場技術者たちの存在が、「原子力ムラ」の権威の城から退けられたからではないかということです。もしプラント経験を積んだ現場技術者が「原子力ムラ」の中枢におれば、「安全神話」のような非現実的な考えが出て来る余地はなかったでしょう。さまざまな問題の指摘を先送りすることも許されなかったでしょう。
 少しわき道にそれますが、今日、円高の名のもとに工場設備の海外移転に拍車がかかり、現場の技術はどんどん空洞化してきています。日本の強みであった現場主義が消滅しつつあります。この止めることの出来ない流れが、日本のさまざまな分野での低迷と衰退を招いている一因でもあるのです。
 しかし国民の命に関わっている原発については、そうはいきません。現場主義の空洞化、消滅などと言っているわけにはいかないのです。この分野こそ最も現場主義が実行されなければなりません。充実したカリキュラムの教育訓練をほどこし、アメリカやフランス、カナダなどの原発先進国に劣らない現場技術者を育成していこうではありませんか。

23 参考になるような原発事故が過去になかったのですか

 もちろんあります。教訓にすべき幾つかの原発事故としては以下のようなものがあります。
アメリカのスリーマイル島原発事故
 1979年3月28日、アメリカ東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で、重大な事故が発生しました。これは原子炉冷却材喪失事故に分類され、想定されていた事故の規模を上回る、過酷事故でした。国際原子力事象評価尺度(INES)においてレベル5の事例にあたります。
 スリーマイル島原発は2つの原子炉を有し、そのうちの2号炉はB&W社が設計した加圧水型原子炉(PWR)で、電気出力は96万キロワットでした。事故当日、2号炉は営業運転開始から3ヶ月を経過しており、定格出力の97%で営業運転中でした。
 異変は28日午前4時過ぎから2次系の脱塩塔のイオン交換樹脂を再生するため移送する作業が続けられていたのですが、移送管の樹脂が詰まり、作業が難航していました。この時、樹脂移送用の水が弁等を制御する計装用空気系に混入したために、異常を検知しました。脱塩投入口の弁が閉じ、その結果、給水ポンプが停止し、殆ど同時にタービンが停止しました。2次冷却水の給水ポンプが止まったため、蒸気発生器への冷却水の供給が行われず、除熱が出来ないことになり、1次冷却系を含む炉心の圧力が上昇して、加圧器の逃し安全弁が熱により開いたまま固着してしまったのです。
 原子炉は自動的にスクラム(緊急時に制御棒を炉心に全部入れ、核反応を停止させる)し、非常用炉心冷却装置(ECCS)が作動しましたが、すでに原子炉内の圧力が低下していたため冷却水が沸騰しており、ボイド(蒸気泡)が水位計に流入して指示を押し上げたのか、加圧器水位計が正しい水位を示しませんでした。そこで運転員が冷却水過剰と誤判断し、非常用炉心冷却装置を手動で停止してしまいます。この後、1次系の給水ポンプも停止されてしまったため、結局2時間2分開いたままになっていた安全弁から、500tの冷却水が流出し、炉心上部の3分の2が蒸気中にむき出しとなり、崩壊熱によって燃料棒が破損したのです。
 このため周辺住民の大規模避難が行われました。運転員による給水措置が取られ、ようやく事故は終息したのです。この事故でも重大なのに、これに比べて、全電源を喪失した福島原発事故はもっと遥かに深刻なものでした。
 結局、燃料の45%である62tがメルトダウンし、うち20tが原子炉圧力容器の底に溜りました。給水回複の急激な冷却によって、炉心のメルトトダウンが予想よりも大きくなったとされています。

 チェルノブイリ原発事故
 この事故は1986年4月26日(モスクワ時間)、のソビエト連邦(現ウクライナ)チェルノブイリ原発4号炉で起きた原発事故で、国際原子力事象(INES)において最重要のレベル7(深刻な被害)に分類される事故でした。
 事故は反応度事故をきっかけとして起きた。反応速度の投入量が余りにも大きかったため原子炉が破壊し、また発電所の各所で水蒸気爆発が発生した。この結果、炉心から高温の燃料や減速材として使われていた黒鉛が外部に飛び出し、タービン建屋に火災を発生させた。この消火に努めた消防士29名が大量の放射線を浴び、後日死亡した。
 事故は4号炉で実験中に水蒸気爆発が起こり、燃料に含まれる放射能物質が数千m上空まで吹き上げられ、上昇気流に乗って上空に運ばれた放射性物質がジェット気流運ばれヨーロッパを中心に北半球の広い地域に撒き散らされました。旧ソ連政府などは、セシウム137の値が1平方mあたり37000ベクレルを超えた地域を「汚染地域」としました。国際原子力機関(IAEA)の報告書によると、その面積は約14万5千平方キロで、日本の面積の約4割に及びます。
 さらに35万ベクレルを超える高汚染地域は、「強制移住地域」に指定され、その面積は現在のベラルーシ、ロシア、ウクライナの各国にわたっており、合せて10,300平方kmもあります。疎開した住民は他の地域を含めると、40万人とされています。また近隣のブリビチア市の住民を始め半径30キロの範囲に居住する住民約13万人は、強制退去を命じられたまま今日に至っています。

東海村JCO臨界事故
 1999年9月30日のJCO核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続しました。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重傷など他667名の被曝者が出ました。国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)事故。この事故は住宅地の近隣にあるウランを取り扱う工場で、タンクの中に濃縮度の高いウラン溶液を大量に注入したために起きた事故です。タンクには放射線の遮へいなどないから、沈殿槽という裸の原子炉が突如として住宅地に出現し、周辺住民は避難や政府の指示による屋内避難を余儀なくされ、国を挙げての大騒動となりました。なお、JCO事故以降、日本の原子力は、事故トラブルの発生に加えて、データの改竄、事故情報の隠匿といった不名誉な悪徳行為が表面化して、事業者に対する規制が極端に強化されました。

アメリカ、サリー原発蒸気噴出事故
 1986年12月、アメリカバージニア州のサリー原発2号炉(加圧水型)で2次系配管が管径457mmのエルボ部で破断し、作業員8名が火傷、うち4名が死亡するという事故が起きました。調査の結果、破断部付近の配管内部がひどく減肉したのです。エルボ部は水の流れが直角に曲がるので、配管の内壁の減肉がより著しいことは容易に想像できました。しかし、直管部分でも大きく減肉することが、その半年後、1987年にアメリカのトロージャン原発で見つかりました。にもかかわらず、通産省(当時)は、わが国では、電力会社が自主的に肉厚測定をおこなっており、水質管理も徹底しているのでこの種の事故が起きることは考えられない、とコメントしています。また、日本原子力学界誌は特集を組んで(1987年11月号)わが国の2次配管では、水の流れの速さが局所的に上昇するオリフィスや絞りではキャビテーションが生じないような構造になっている。肉厚測定結果から、必要最小値に達する前に、炭素鋼管からステンレス鋼管に変えている。15年使用しても、減肉は1mmの例もある、などと報告したのです。サリーやトロージャンの衝撃的な事故が日本では、重大なことに受けとめられていませんでした。

関電美浜原発蒸気噴出事故
 2004年8月9日に関電で発生した3号機の高温高圧蒸気噴出事故では、4人が死亡、7人が重軽傷を負い、当時、日本の原発史上最悪の事故となりました。配管破裂が起こったのですが、その原因は、浸蝕が水の流れにより加速され、配管の肉厚が薄くなる「減肉」(製造時10mmだった厚さが薄いところで1.4mmにまで磨耗していた)が広範囲に起こっていたため、と発表されました。これは8年前の1986年アメリカサリー原発で起き、4名が死亡した事故と全く同じ原因によるものです。結果としてこの事故の原因や再発防止への貴重な教訓が、日本では生かされていませんでした。当時、関電はこの事故を受け、配管の減肉点検をメーカーに委託したのですが、その後、関電ならびに検査点検を請け負ったメーカー、検査を引き継いだ検査会社3社が、それぞれのミスを積み重ねた結果、問題の配管付近は1976年の運転開始から28年間、一度も点検されずにこの惨事を招いたのでした。これを受けて原子力安全・保安院は、全国に52基ある全原発ならびに837基ある火力発電所を対象に、各電力会社に対して事故の原因となった配管の減肉検査体制を総点検し、その結果を報告するよう要請しました。
 事件後の記者会見で、
 「関電として検査漏れがないかチェックしなかったのか」
 と問われた原子力事業本部長は、ためらいもなく
 「チェックは基本的に検査会社にお願いしていた」
 と答えています。今回の東電トップの会見もそうでしたが、重大事故を招いた企業のトップとしての見識が伝わってきません。果たして当事者意識があるのかどうか、疑問をもたれても仕方ないでしょう。

現在、世界の原発の原子炉の数は431基である。
 今回の福島第一原発事故による放射線汚染は40万人の住民が疎開したといわれる旧ソ連のチェルノブイリ原発事故に次ぐ深刻な事故であり、現在16万人が避難生活を余儀なくされている。全電源喪失防止の事前の備えがあれば冷温停止が出来ただけに、誠に残念な事故である。

24 東電では以前に起こった原発トラブルを隠蔽していましたが、点検作業をしたアメリカ人技術者が内部告発をして明るみに出ましたね、その経緯は?

 一連の不正が発覚した経緯はこうです。原子炉等規制法では、「自主検査」と呼ばれる作業であっても、トラブルが見つかった時は国に報告するよう求めています。問題はその報告をする時に、原子炉のひび割れについて改竄(かいざん)隠蔽(いんぺい)していたことです。
 点検作業を行ったGEのアメリカ人技術者が2007年、通産省へ告発文書を実名で送り、それがきっかけで改竄が表面化したのです。
 告発を受けた保安院は事実関係を調査しました。2001年1月以降,GE社員から複数の点検記録の写も添えられ、信憑性の高い文書も届くようになりましたが、なぜかGE社員はその後転職し、一方東電は「記憶にない」とか「記録にない」と言って、非協力的な態度を示したのです。そのため調査は非常に難航しました。しかし2002年GEが保安院に全面協力を約束し、結局、東電も不正を認めざるを得なくなったとうわけです。
 その後の調査で1980年代後半から1990年代に行われた自主点検記録に、部品のひび割れを隠すなどの改竄が29件あったと報告されています。この事件では保安院は組織的な改竄が行われた疑いがあると見て、原子炉等規制法で東電の刑事告発も視野に入れたのですが、結局厳重注意にとどまりました。
 このように東電はトラブルやミスが発生すると、常に「安全上の問題はない」として決着させようとするのですが、これは非常に問題です。「確認する」という最も基本的な姿勢が欠落しているからです。わが国における産業支配の頂点に位置する東電のような電力会社は日本という国よりも会社の自己保身、利益を優先していたのだと思います。こうした社会正義に反する東電の姿勢こそが、今回の人災による事故発生につながったのではないかと、思われます。

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