理事長コーナー
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米国の強さをメディアに見る

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :6月号

 AOL(American Online)が1996年に日本に進出した。当時、世界No.1のインターネット接続企業が日本上陸というので、マスコミでかなり騒がれた。その頃注目されていたIT系企業は、AOL、Apple、Yahoo、Windows95を前年に発売したMicrosoftであった。AOLジャパンには三井物産と日本経済新聞が出資した。海外出張が多かったこともあり、発展途上国でもアナログ電話回線とモデムがあれば、世界中何処でもインターネットに接続でき、ローミングサービスで利用地のローカル電話番号に繋ぎ、国際電話回線でなくローカル線に繋ぐことで省コストになるので加入した。それだけでなく、AOLを利用していることが、誇らしげに感じた。AOLは、その後も大手同業を買収し続け、2000年には、世紀の大合併と言われたメディアの最大手Time Warner Inc.(TWI)を買収した。

 多くの新聞・週刊誌・雑誌社やテレビ局を所有するTWIは、メディアのコングロマリットと呼ばれていた。紙と映像との相乗効果が新しいメディアを生み出す可能性を期待されていた。テレビは、鮮度の高いニュースと映像による臨場感を提供した。一方、新聞は、時間遅れを克服するため、アピールする充実したコンテンツか、記者独自の立ち位置を明確にした解説を提供した。人気記者が、自らの視点でニュースを解き明かし、深堀して解説する記事が新聞の特徴でもあり強みでもあった。テレビも直に、見識と個性を持った解説者を掘り出しニュースキャスターという職業ジャンルを築いた。新聞や週刊誌・雑誌も購読料を徴収するが、大きな収入源は広告である。TWIは紙と映像のそれぞれの特長を活かし、顧客を浮気させずに魅了し惹きつけることで広告収入を伸ばすことが期待された。しかし、制作した番組や記事を大量に一方的に流すビジネスモデルを変えることは不可能であった。

 急激な通信回線のスピードと容量の向上と、ネット上のバナーによる広告効果は高く、伝統的なメディアから広告主を奪っていった。上昇気流のAOLは、業績悪化していたTWIを買収しAOL-TWI社とした。しかし、合併の翌年ITバブルが弾けた。AOLは業績を悪化させ、翌年には業務を一部門に縮小して、TWI社が復活した。本社はニューヨークである。バブルが弾けても米国のIT人材はイノベーションに挑戦し続けた。AOLを尻目に、Appleはスティーブ・ジョブスのもと、iMACを発売し(1998年)復活に向かっていた。同年Googleが創業、Amazonも誕生していた。 IT企業の多くが伝統社会の制約のない西海岸に拠点を構えていた。

 その後、Linked-in(同2003年)、Twitter(サービス開始2006年)、Facebook(同2006年)、などソーシャルネットワーク(SNS)を実現する起業が相次いだ。これらのSNSで発信しきれない人々は、みずからブログを持つことで発信意欲を満足させている。

 SNS的な双方向コミュニケーションによる満足感の提供と、鮮度の高いニュースと質の高い解説の提供を同時に兼ね備えたメディアが、2005年に西海岸で誕生した。ギリシャ生まれのMs. Huffingtonにより創業された。彼女は、創業の2年前に政治を目指し、オーストリア生まれの映画俳優シュワルツネッガー氏とカルフォルニア州知事選挙を争って敗退していた。その会社The Huffington Post (THP) は30人程で創業し、元AOL経営幹部やMITメディアラボ出身者が経営や技術を支えた。ニュース配信とブログの組み合せサービスを提供するこの会社は、5年後に黒字化を達成した。Ms. Huffington は、タイム誌の「世界で最も影響力ある100名」に選ばれている(2006年、2011年)。

 運命の悪戯(いたずら)か、偶然か、この THP社は、2011年にTWIから分離されたAOLにより買収された。買収され、資金と世界的なネットワークを得たことで、THPは一気に米国から世界に躍り出た。日本でも今年の1月より、朝日新聞と提携し日本語サービスを始めた。有名無名の人が提供するブログと鮮度の高いニュース記事とその解説が組み合わさって、未知のメディアの世界を切り開こうとしている。私は、これがニュースメディアの将来像ではないかと、わくわく感を持ち、早速会員登録をした。毎日配信されるメルマガの記事は米国中心だが、徐々に世界中の記事で満たされ、世界中の人の目の前で世界の識者の解説や世界の人々の投稿が提供されるであろうことを期待し楽しみにしている。

以 上

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