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「PMのグローバル化について」

PS研究会MM4リーダー:富士通株式会社 松田 浩一 [プロフィール] :5月号

 今日、プロジェクトマネージメントにおいてもグローバル化ということをよく耳にします。弊社でもグローバルPMとして国内のみならず海外で通用するPMの育成にも力を注いでいます。今回はグローバルのなかでも中国について考えるきっかけになった書籍をご紹介します。劉傑(1962年生まれ、北京出身・早稲田大教授)の「中国人の歴史観」という本です。数年前に中国に行った時の、つたない経験も含めて参考になることがあれば幸いです。
 この本で強く主張されている内容のひとつに中国人の国土に対する強い思いがあります。例えば「石敬塘」は後晋の建国者ですが、契丹と結んで帝位につき936年に後唐を滅ぼしたうえで長城以南の燕雲16州を契丹に割譲します。日清戦争後に台湾を日本に割譲した「李鴻章」、近代では「汪兆銘」が日中戦争中に南京に日本の傀儡政権を誕生させましたが、これらは「漢奸」と呼ばれ中国人の強い憎しみの対象となり、時間が経つにつれて益々その憎しみが増幅されているそうです。日本人の「水に流す」という考え方や、「熱しやすく冷めやすい」気質とはだいぶ違います。また、日本人が中国あるいは朝鮮半島を含む一帯のことを「支那事変」など「しな」と呼ぶことがありますが、この言葉自身のもつ差別感、特に日本人に優越意識があると見えて、よけいに中国人の苛立ちを喚起するようです。前都知事は「支那」に差別的意味は無いといいますが、同じ世代ある私の父も「朝鮮や満州の人を二等国民、自分たち日本列島の人間を一等国民などと差別的に言った時代がある」と言います。今はWordでも「しな」と打っても「しなじへん」と打っても変換されて出てこないのが救いかもしれないです。このあたりの感触は人によっても違うかもしれませんが、もともとChina(チャイナ→シナ)から来たもので、むしろ中華(世界の華やかなものの中心)というほうが他国を侮蔑しているので使うべきでないという人もいるそうです。この説は日本(太陽の元)という国名もあまり変わらない話ですし国名はその国の人に任せるのが良い気がします。結局、中国人の強い感性のひとつとしてプライドが重要であることが分かります。もちろんプライドはどの国の人も持っている感情でしょうが、中国あるいは中国人としてのプライドは日本、日本人としてのプライドより対比として強烈、あるいは表面に現れやすいものの様な気がします。中国と日本の中間にある尖閣諸島の件や韓国との竹島の件でも、国家の威信にかかわる重要事項と見る人の多い側の行動には、国家戦略の違いはあっても個人の意志の強さにも雲泥の差があり、今後も様々な局面で思い知らされるかもしれません。関連して、個人的な感触で恐縮ですが、日本人のなかには、日本を卑下したり蔑視したりする感情の強い人も多いように感じます。日本の中では「自分が悪かった」と言って相手の譲歩を引き出すことは自然かもしれませんが、国際ルールは「自分が悪かった」と言うと「その通り、お前が一方的に悪い。全て弁償しろ。」というのは当たり前だそうです。それを知ってか、知らずか、極端な性善説なのか、なんせ日本人が悪いということを日本人が言ってしまうということが、一部の新聞や政党にも見受けられますが、これはこれで、別の意図も感じて、なんとなく違和感があります。
 もうひとつ中国を語る時に大きな論点として第二次大戦の東京裁判の話が出てきます。日本では戦勝国が事後作成した法律で戦争責任を裁いたアンフェアな内容だといわれ、インドの判事が強く否定した逸話なども紹介されます。一方で中国は戦勝国でありながら、最大の被害を被った国として、このような日本で言われる観点で考察されることは全くありません。むしろ明治時代中盤から日本が中国、特に満州を中心とした中国東北部に侵略の意図をもって活動してきたこと、またそれが1945年まで続く物語として裁かれたという文脈で語られるそうです。日本側から見た場合に、欧米列強との比較において中国に進出することは当時あたり前であり、罪悪感より、むしろアジアの開放などと言う理想もあったものと想像されます。これが中国側から見た場合に、同じ扱いを欧米列強から受けても、同じ人種である日本人の行動に、より大きな憎しみを抱いたのではないでしょうか?昔使用人であった今の成金が、ご主人を裏切って、赤の他人と同じように、だまし討ちをしたという、飼い犬に手をかまれたという感触なのかもしれません。結局南京大虐殺は無かったなどというのは、この物語の文脈からすると「つじつまが合わない」し、程度問題として30万人虐殺したという数量が誤りであったとしても、その強いプライドとあいまって、被った被害に憎しみを表し続けたいのだと思いあたります。
 こういう中国の歴史感と私が実際に触れた中国とはだいぶかけ離れた印象があります。2011年11月のことですが、北京から上海、蘇州、西安や福州など各地に行きました。どこでも交通量の多さや屋台などの小規模商店の元気な様子が目立ちます。また現地の人、といっても会社の関係ですので、かなり限定されますが、中国政府の国民に対するプロパガンダは重々承知で中国国内は偽物ばかり、本物を買いたい時は日本や台湾で買うのだそうです。ただ、他国の人に中国は偽物とか、社会主義で抑圧されているとか、ネガティブな指摘を受けると悔しくて仕方がないので絶対に同意しません。愛国無罪という言葉がしばらく流行っていましたが、かなり国情をぴったりあらわす表現だと思います。現地で触れる人々の様子から「自己中心的な考え」というのも感じました。中国人が列車に乗る時もパスポートを見せて、トランクの荷物チェックをします。このとき中国人同士での揉め事も起こりますが、後の人の迷惑なんて全く考慮にありません。日本人ほど他人の目を気にする人種もいないと思いますが、もしかしたら中国人はその対極にあるのかもしれません。まさしく「生き馬の目を抜く」生き方をしないと生きていけないということなのでしょう。
 多くの対価をもらって自分が幸せになりたい、という思いと、良い世界を築いて多くの人が幸せで、その中に自分がいたいという思いは究極的な目的が同じでも、行き方が反対のようです。どちらかというと競争社会に向いているのは中国式であり日本は負けるのではないかと思います。ただ、「自分中心」より「周囲を良くすると自分も嬉しい」という思いが結実すると、日本人は幸せになる可能性があります。その時に問題なのはどれだけグローバル化しているかということかもしれません。グローバルというのは英語ができて多国籍的なコミュニケーションが取れるということや、多くの国に同胞が広がるということだけでなく、日本人にとっては、日本的な価値観がどれだけ世界に受け入れられるかということのほうが大切だと思います。欧米的または中国的な経済至上主義の強い世界では日本の古き良き価値観では太刀打ちできない気がします。欲をかきすぎない心、「恥を知る」「たるを知る」など英語に訳しにくい概念が世界中に広がることが日本のグローバル化であったら日本人も幸せになるかもしれません。「カイゼン」とか「モッタイナイ」は海外でもそのまま通用するそうです。もしかしたら、日本語がそのまま広がるということも大切なグローバル化かもしれません。結局のところグローバルPMを育成するということが、どのようにあるべきかについて明確にはできないのですが、少なくとも日本以外のことを通して日本(自分)を知ることなのかもしれません。


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