グローバルフォーラム
先号   次号

「グローバルPMへの窓」(第66回)
日本発ウクライナ行トワイライト・エキスプレス

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :3月号

 日本では、2・8(ニッパチ)と、世の中一般で2月と8月は商売が一休みという言い習わしがあるが、ここ5年くらいの私にはこれは当てはまらず2月は一年でも一番忙しい月となっている。今月も3日から17日まで研究活動でウクライナに赴き、2月最終週の今は石川県能美市の北陸先端科学技術大学院大学で1週間の集中講義を実施中である。
 冬のウクライナの国立大学では、教室内があまりに寒い(集中暖房は効かずにマイナス3℃くらい)ので学生も教員もコートを着て授業をやっているのを見てこれはすごいと思っていたのだが、白山の麓にあるこの北陸先端大も2月は一面雪に覆われかなり寒いので学生は大体ウィンドブレーカーを着たままで講義を受けている。
 ウクライナに行くようになって年に1回は冬場に巡業を行うようになっているが、今年も今月2週間の巡業を実施した。彼地では12月に大寒波襲来で道路の凍結がひどく、首都キエフでは、雪道には慣れているはずの住民が一日に200名も転倒負傷して救急車で病院に担ぎ込まれるという事態が起こったそうだが、私が滞在した2週間は温和な天候で、黒海沿岸を廻っているときには+14度くらいまで上がった。
 今回の旅は、黒海沿岸で最大の100万人都市オデッサの国立海洋大学で出講を要請されていた2日間のP2Mセミナー実施とカルパチア山脈の町で開催されたウクライナPM協会と国立ハリコフ総合工科大学主催の学会に出席することが当初の目的であった。
 ひとたび私がウクライナに行くと決まると、ウクライナの主だったPM教授の間の携帯電話ネットワーク(彼らはよほどのことがない限り国内のコミュニケーションにe-メールは使用しない)で、あっという間にこの情報が伝わり、こちらにも寄れ(どうせ呼ぶ方はただなので)というリクエストが出てくる。
 それで、まずは首都のキエフ国立建設・建築大学と、黒海沿岸のニコラエフ市国立マカロフ記念造船大学で、90分ほどの特別講義を各々実施した。特別講義とは、大学院教員、プロジェクトマネジメント専攻の博士課程・修士課程生向けに、世界と日本の動向を枕にしてプロジェクト基軸のマネジメントを語るという類のもので、今回の両大学での演題は“Rechecking Enterprise Viability System in the Space of Complexity and Uncertainty”であった。スライドは英語で作り、これをウクライナの同僚がロシア語に訳してくれ、会場での投影はロシア語のスライドを使い、私が英語で話し、通訳は同行のウクライナPM協会長の教授が解説を交えてやってくれる。また、開講の辞は学長か、学長不在の場合は学事担当の副学長がお引き受け下さる。日本では望むべくもない栄誉である。
 出席者は動員が急であった建設大学では30名程度であったが、造船大学では特別講義室が満席の90名程度が熱心に受講し、また質問をしてくれた。今回多かった質問は、「日本で、英語で教育をしている大学院社会科学博士課程はあるか」、「どうしたら北陸先端技術大学院大学のナレッジ科学の英語の論文にアクセスできるか」、などである。

ロシア語講演スライドトップページ 造船大学副学長(左)との交流
ロシア語講演スライドトップページ 造船大学副学長(左)との交流

 オデッサは黒海沿岸最大の都市で、人口は都市部だけでも110万人である。オデッサ市を設置したのは帝政ロシアのエカテリーナ2世女王であるが、発展はユダヤ系ロシア人に依っており、第二次大戦まではユダヤ人は人口の40%(一説には80から90%)を占めていたが、戦後スターリンの政策で多くのユダヤ系住民がイスラエルや米国に亘り現在のユダヤ人人口は表面で10%だが経済支配率は40%程度と言われている。ウクライナ最大の港湾を有し、また、冬を除いて観光都市としてヨーロッパと米国(移住したユダヤ人)から多くのツーリストを迎えている。景観、文化、料理ともに中央ヨーロッパに居るがごとしの町でそのエキゾティックな趣からウクライナ人の憧れの都市でもある。
 この地には旧ソ連時代から、海事工学、港湾工学、海事ロジスティクス学のメッカとして国立オデッサ海洋大学があるが、今回同学からお招きを戴いて、2日間のP2Mセミナーを開催した。60名程度の参加と伝えられていたが、オデッサ地区の大学に案内を出したところ、教員と学生は参加無料であるので、来るわ来るわ、100名の大教室が満席となり、あぶれた人達は次回に(といってもいつ開催できるか分からないが)となった。海事関係の大学関係者がほとんどであるので、教員は海軍の征服姿で凛々しい。
 オデッサは私が初めてウクライナを訪れた2008年夏に口開けセミナーを開催しに訪れた思いでの地であるが、その際に大変お世話になった海洋大学の前学長は2年前に72歳で逝去された。海軍提督で、大変流暢な英語で、横浜(私の拠点)には何度も行きました、田中さん、今度来るときは、うちの大学で客員教授として講義をしてください、とのお言葉をいただいた。この約束を果たす前に提督は亡くなられたが、今回のセミナーは提督の追善供養でもあった。
 オデッサ海洋大学のプロジェクトマネジメント学部は学部長・教授以下准教授も全員女性で、准教授のお姉さん方(勿論全員PhDである)は大変ノリのよい方々である。ウクライナの工科大学ではどこも教員と学生は男女半々数であるが、プロジェクトマネジメントに至っては、強い傾向として、第一世代の正教授は60歳代の男性(工学上級博士)で、第二世代の、プロジェクトマネジメントが科学の専攻分野として認められた2005年以降は当初は男性正教授ばかりであったが、順次女性の正教授が誕生し、教授・准教授を合わせると女性の方が多い。目立つのは、第一世代の大教授のお譲さん達が後を継いで正教授に就いたり、准教授で頑張っているこということである。私のパートナーであるセルゲイ・ブシュイェブ教授のお嬢さんはウクライナ初のプロジェクトマネジメント専攻の上級博士・正教授で、その息子とフィアンセは共にPhD課程生(といってもウクライナは飛び級があるので若干21歳)でまず確実に親子3代のPM教授が誕生するであろう。

オデッサ海洋大学学部長(左)副学長と P2Mワークショップ海洋大教員グループ
オデッサ海洋大学学部長(左)副学長と P2Mワークショップ海洋大教員グループ

 さて今回のウクライナ訪問の大きな目的は、世界最大のPMアカデミック人口を誇るウクライナで年間3回開催されるPM科学の大会(学会)のうち、参加未達のウインター大会参加にあった。
 ウクライナは大学院PM専攻修士課程で32校、博士課程で9校が現存し、輩出したPM修士(Master of Project Management)が概数5,000名、博士(PhD)が200名居る。完全に蚊帳の外である日本はともかく、米国も言葉がでない成果である(ちなみに米国の数字は一桁下)。
 そして、関連学会は、年間で、首都キエフ、ニコラエフ(前述)と併せて、ウクライナのカルパチア山脈にあるリゾート地でウインター学会を行うことになっている。主催主体はウクライナの名門大学ハリコフ総合工科大学(ノーベル化学賞受賞者ほか、旧ソ連の著名科学者を多数輩出)で、北部のハリコフ市はこれといった取り柄がないために、PM学者他のお楽しみを兼ねてウインターリゾートで学会を行う由である。
 会場は、ウクライナからポーランド、スロバキアに跨るカルパチア山脈の山麓にあるヤレムチェという町である。ここは首都キエフから南西に700キロにあり、ルーマニア国境まで100キロの地点だ。キエフから夜行寝台列車で11時間、車で1時間かかる。この地は冬季スキーリゾートして有名であるが、キエフの日本人駐在員はスキーと言えばオーストリアに行った方が早い(所要時間半分以下)で、日本人はまず行かないリゾートのようだ。
 学会では、統一テーマが「統合による地域イノベーション」であったので、私は若干古いテーマであるが日本のクラスターによる地域産業イノベーションというケーススタディーの題目で論文を提出し、基調講演の一部を担当した。日本の経済産業省の十八番である産業クラスターはウクライナの学者もよく理解して一部応用している。
 いつもながら困るのは、自分が述べと確実に思えることに関して女性のベテラン研究者から質問が出ることで、何を聴いていたのか、通訳が伝えきれなかったのか、といつも悩まされる。私のウクライナの同僚によると、気にしない、気にしない、彼女は質問のための質問をショーとしてやっているので、「あなた何を聞いていたのか」と一括してよい、と。本当であろうか。
 学会の発表件数は。参加費が高いので他の2つの学会と比べて少なめではあったが、これは良いという世界的に優れた論文が4件ほどあった。ウクライナのPM研究の壁は日本と同じ、英語で発信できないということであろう。
 学会はどこでもそうであろうが、研究者の骨休めの場でもある。家族連れも目立つ。
付帯オプションツアーとして、スキー(10面のゲレンデ、50本のコースあり)、温泉(日本の昔の鉱泉で、10名ほど入れる五右衛門風呂)、魚釣り(マス、チョウザメなど)があり、各々のツアーにはウォッカ、コニャック、ワインを伴った早めのディナーが付きものである。とくに温泉は水着着用ではあるが、まさに裸の付き合いであり、お互いにだぶついた腹回りを気にすることなく、極楽、極楽である。
ウクライナのノリはかつて私が愛してやまなかったラテン民族のそれとまったく同じである。
 ウクライナ国内だけでも陸路2,500キロ、移動時間45時間を要した旅を終えて、締めはキエフのスペイン料理屋に行ったが、そこでスペイン人のシェフが挨拶に現われ、当方錆びついてはいるが怪しげなスペイン語で大いに盛り上がった。スペイン語は神と会話をする言語である。

学会で通訳をしてくれたPM修士課程生 先生方の温泉風景
学会で通訳をしてくれたPM修士課程生 先生方の温泉風景

  ♥♥♥♥♥

ページトップに戻る