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「やる気」

板倉塾 塾長 板倉 稔 [プロフィール] :1月号

 「やる気がでない」「仕事が楽しくない」と言う声を良く聞く。昔からあった話だと言えば、それまでだが、何か違ってきた様な気もする。私にとっては、システム開発は面白い仕事だった。大抵はやる気満々だった。何かが変わってつまらなくなった可能性がある。少し考えてみたい。

1.ちょっと昔話をしよう。
 私が会社に入った頃(昭和42年頃)は、システム開発の黎明期だった。この頃までコンピュータは、主にバッチ処理で使われ、オンラインではメッセージ蓄積交換システム(今のメールに近い)としていくつかコンピュータが使われていたにすぎない。このメッセージ交換システムにはあまり業務処理機能はなかった。
 私が会社に入った頃から、コンピュータが本格的に業務処理に使われ始めた。コンピュータの使われ方が、制御から業務に移りはじめ、業務処理機能が加わってシステム開発の難しさが変わって来た時期である。
 当時、コンピュータ関係者は熱に浮かされた様に働いていた。仕事環境は劣悪で、暖かい風が吹き出るディスクの近くにプリンター用紙を敷いて仮眠をとる様な状況だった。皆文句は言うが、楽しそうに働いていた。モチベーション等という言葉が問題になることもなかった様に思う。今は、労働環境が随分良くなったのに、やる気が出なかったり、精神を病んだりするらしい。何が変わったのだろうか。変わったことから、やる気が出ない原因を探って見たい。

2.今は、
(1)上司がいる。
 当時は、一人の課長が何十人も管理していた。コンピュータの利用分野もどんどん広がって行った時代である。上司といえども沢山経験を積んだわけでもない。当然、上司の眼は行き届かない。
 それに引き換え、今は上が沢山いる。その人達は、特定の条件下でしか意味がない経験でも何か言うだろう。周りに言われれば言われるほどやる気が無くなるはずだ。
(2)様々な標準や認証や資格がある。
 コンピュータ・システム開発の黎明期には、これらはなかった。今、何をするにも、社内のルールやマニュアルがあり、国際標準がある。これらのルールは、「考えるな、このルールに則れ」と言っている。かくして考える楽しみ、考えたことが実現し認められる楽しみは奪われる。そして技術者は、思考停止に陥る。標準化のパラドックスである。
 今、「弊社では然々の認証をとっているので品質の良いシステムを提供できます」しか言えない技術者さえ現れている。「なぜ良いのか」、「何をしているのか」、「どう良いのか」、何を聞いても答えられない。考える楽しみどころではない。
(3)利用者が見えない
 コンピュータシステム開発と言う仕事は、参加者の殆どが嬉しくなる仕事だ。私の印象に残っているエピソードを紹介しよう。
 あるシステム開発が遅れてサービス開始に間に合わないかもしれないと言う時に応援に行った。散々苦労してやっと動いた。サービスを開始した日、一人の部下がやってきて「私のメッセージが出た」と嬉しそうな顔で報告にきた。彼女は、エラーメッセージを作っただけである。でも、世界中の幸福を独り占めしたような顔をしてやってきた。彼女は、かつて経験したことのない達成感を味わったはずだ。
 私も自分で作った様な気分になれた。システム開発は、様々な参加者が達成感が感じられる。この様に、コンピュータシステム開発は、みんなが達成感を味わうことができる素晴しい材料だ。にもかかわらず、達成感も充実感もないとすれば、利用者や利用局面が見えないからではないだろうか。利用者と開発者の距離を近くすることが必要そうだ。

3.結論は
 良い仕事をするには楽しくなければならない。楽しくするには、基本的には上で述べた問題をつぶせば良い。
 例えば、若者に任せてみよう。経験者は、自分の経験を押しつけないこと。多少の失敗を大目に見ること。若者はこれに応えて、やってみることだ。その中で、自分が鍛えられ、新しい技術、あるいは、標準や規格などの中から本物を見分ける眼ができてくるに相違ない。
 変なアナロジーだが、私の孫には、両親、父方の爺さん婆さん、母方の爺さん婆さんと計6人の上がいる。一方、私が子供だった頃は、5人兄弟で、両親と母方の爺さんだけ。ざっと計算すると、今の子供は、10倍の上を抱えている事になる。
 こういう構造が社会の色々なところで起きている。上も下も心してことに当たらないと職場の活気はなくなり、システムも技術も停滞してしまう。
以 上


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