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「ダイバーシティ時代のプロジェクトマネジメント」
~少数派を大事に扱う力~

井上 多恵子 [プロフィール] :12月号

 今回は、皆さんへの質問からスタートしたい。皆さんの関わっているプロジェクトは、社内の特定の部署の人たちのみで構成されているだろうか。それとも、社内の複数の部署の人たちで構成されているだろうか。海外の部署の人たちが入っていたり、あるいは、社外の人たちもメンバーとして加わっていたりするかもしれない。男女比率や年齢比率はどうなっているだろうか。
 私が新入社員として入社した頃、仕事で関わる大半の方々は、社内の限られた部署の人たちだった。それが今では、社内外の、多岐にわたる人たちと仕事をしている。皆さんの職場でも、変化の差はあれ、同様な傾向が見られるのではないだろうか。
 そういった際、「少数派を大事に扱う力」は欠かせない。「マイノリティをどれだけ大事に扱えるかが、イノベーションを起こし続けることができるか否かの鍵を握る」。これは、人材・組織システム研究所のインタビューを受けて、桐原保法氏が語った言葉だ。 「マイノリティを大事に扱う」ということは、言い変えると、「集団の中でマイノリティだと自覚している人たちの不安や悩みから目を逸らさずに付き合っていくということ」だと言う。「新しいものを生み出すのは、現状を否定するということができる少数派」だから、というのが桐原氏の論だ。
 私自身は、マイノリティを大事に扱うことができる人間だと、長い間自負してきた。自分自身がマイノリティになった経験が数多くあり、マイノリティの立場が理解できると思ってきたからだ。自分がマイノリティだということを初めて意識したのは、父の仕事の関係でニューヨークに住んだ時だった。通った中学校には、当時日本人は私しかいなかった。英語を聞くことも話すこともできず、日々孤立感を感じていた。大学でも、一クラス40人の中に女性が3人しかいないという中で過ごした。入部したサークルは、女性がそれまで一人もいなかった登山のサークルだった。先輩たちの間で「私の入部を受け入れるべきか否か」議論があったと言う。周りの男性たちは、突然入ってきた女性に違和感を覚えながらも、いろいろと気を使って私が溶け込めるようにしてくれていたらしい。
 そんな経験をしてきた私にとって、今年企画・実施した研修を通じて、「自分には、どうやらマイノリティに対する配慮が不足しているらしい」と気付いた時、ショックだった。新興国の開拓ができる人材の育成を目的として日本人を12名、インド人を4名連れてインドで実施した三週間弱の研修。「他の人に研修を薦めたい」と全員が回答した、満足度の高い研修だった。一方で、アンケートには、「やや疎外感を感じることがあった」という記述もあった。その理由として、2点挙げられていた。
 ①研修の最中、予定の変更についてオフィシャルに私よりアナウンスされる前に、何人かの日本人が既にそれを知っていることが時々あったこと。②2日目から遅れて参加した自分たちインド人のことが正式に関係者に紹介されなかったこと。
 確かに、その指摘は正しかった。元々、日本人の人数の方が多かったこと、また、おなかの調子が悪くなった人や英語がそれほど得意ではない人をケアするために、食事も含め、日本人とより多く接することがあった。そういった際に、「こんな予定の変更を考えているのだけれど」と言ったことはあった。また、研修への参加者を研修の冒頭に一人ひとり紹介する、という考え自体の必要性を認識しておらず、日本人の研修生を紹介する時間も取っていなかった。
 私には、インド人に対する誤った先入観があった。「国際会議ではインド人をいかに黙らせ、日本人をいかに話させるかが成功の秘訣だ」といったことがよく言われるが、私がそれまでに会ったことがあったインド人は、皆一様におしゃべり好きだった。だから、アメリカ人同様、思っていることははっきり言うのだと思い込んでいた。だから研修最中に要望が出ないからいいと思っていた。言いたいことがあっても遠慮するという、彼らの繊細な面は想像もしていなかった。
 少数派を大事に扱うためには、少数派の立場に立ってみることができないといけない。日本語が話せない外国人が一人会議の場にいる際に、断りもなく日本語で話し始めたら、どう思うのか。相手によっては、知らず知らずのうちに、見下した態度を取っていないか。相手を観察する力や情報を得るための質問力、そして自らの行動を振り返る力が求められる。
 今後、さまざまな人とコラボレーションして仕事を進めていくことが、ますます増えてくる。力不足により、マイノリティとなる人たちが委縮してしまい、持てる力を発揮できないとしたら、プロジェクトの成果に影響する。少数派を大事に扱う力を意識して磨いていきたい。

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