PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(106) 「災害大国」

高根 宏士: 6月号

 先日北関東に最大規模の竜巻が襲った。被害区域は東日本大震災と比べれば非常に狭いが、被害者の身になれば、大震災の被害者と同じ気持ちであろう。一日も早く復興されますよう祈っています。
 ところで、日本は災害大国といわれている。この1年間を振り返っても、昨年3月11日の大震災、秋の近畿地方を襲った台風災害、今回の竜巻災害と立て続けに大きな災害が降りかかってきている。本当にひっきりなしに災害に見舞われている国である。しかし日本の自然災害の特長を見ると、それは一過性の災害と言えるかもしれない。これは被害が少ないという意味ではなく、瞬間的という意味である。地震も津波も台風も竜巻も全て長い時間我々に極度のプレッシャを掛けるものではなく、一定時間過ぎた後は穏やかな自然が続くことになる。春の桜や秋の紅葉に代表されるように、日本の春夏秋冬は我々に素晴らしい美と喜びを与えてくれる。水も緑も豊富にある。瞬間的な被害があるにもかかわらず我々は、平常時には優しい自然に囲まれているという感覚を持っている。
 また我々は海に囲まれているために、自然災害以外に、例えば強大な民族に攻め込まれて、殺戮されるとか、その下で長期間奴隷にされるという経験はほとんどない。
 一方地球上の他の地方には我々とは異なって、一過性でない自然の脅威が存在している。例えば大砂漠である。サハラ砂漠とかタクラマカン砂漠では、水や緑はほとんどなく、昼は極度の高温、夜は夏でも零度近い低温である。この環境は少なくとも一人の人間が生きている間は恒常的に続く。また北極に近いエスキモーが住んでいる地方は、極度の低温化での暮らしをやはり恒常的に強制されている。熱帯雨林の地方では、高温多湿、植物の繁茂、猛獣毒蛇の跋扈等、人間が安全に住むのは容易ではない。
 これらの地方では、恒常的に自然の圧倒的プレッシャにさらされている。したがってそこでは、どんなに待っても優しい自然はやってこない。したがってじっとしていては、人間は死ぬだけである。人間は自然と対峙し、その脅威を撥ね退け、ねじ伏せる気概と力を持たなければならない。
 また強大な民族と接して、常にその脅威を感じてきた民族は、それを克服するために海千山千のしたたかな折衝能力といざという時に生き延びるための周到な準備(リスク対策)をしてきた。
 日本人と他の民族との違いはこの環境が影響したのではないだろうか。他の地方では圧倒的な自然の脅威に対して、日本は瞬間的には厳しいが、人間が生きていくのには優しい自然がある。したがって日本人は、自然は基本的には優しく、それと一体化することが快いことだという感覚を持っている。また他民族からの侵略、殺戮の脅威の経験がないため、したたかな生き方を身につけてこなかった。その結果民族としては稀に見る素直さ(自然に甘え、一体化するという意味。従順さといえるかもしれない)と正直さ(分かり合える人間ばかりだという安心感と相手に対する信頼から)が形作られたと考えられる。
 このような社会では圧倒的な力を持つリーダーは必要ない。多少の困難があっても、その瞬間に長老的に信頼できる人間の下に、集まって一所懸命助け合っていけば何とかなってしまう。したがって現在のグローバル化の世界で要求されているリーダーが日本では必要なかった。だから出現しなかった。
 現在の日本を見るとグローバル化の侵略により、これまで長所であった素直さ(従順さ)と正直さは影を潜め、抜け目なさと相手を出し抜くという世界が蔓延してきている。それでいながらリーダーは現在の世界に要求されているレベルに達していない。この端的な例が政治の世界における中国と日本のトップの差である。
 いまこそ我々は日本人としての長所を温存し、それを世界に示しつつ、短所をどのように補って、この世界に貢献していかなければならないか、そのためにこれからどう対応すべきか、一人ひとりが考えなければならないだろう。
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