PMプロの知恵コーナー
先号   次号

ダブリンの風(107) 「含み資産」

高根 宏士: 7月号

 含み資産とは企業資産の実際の価格が、帳簿上の価格より多い場合、その差額をいう。筆者が含み資産という言葉を初めて聞いたのは60年以上前の夏の晩、父からであった。父はそのとき、「自分の会社は含み資産が数字の何倍かあるから、株式を公開したらすぐに乗っ取られてしまう」と笑いながら話していたのが印象的であった。
 それ以来この言葉は忘れていたが、最近この言葉を折に触れて思い出す。それも父が言った例とは逆に含み資産を減らすという意味からである。いくつかの例を挙げる。
 先ずは会計基準が、できるだけ見える化して含み資産を減らそうという意図から作られるようになってきたことである。そして企業業績は四半期単位で見せなければならない。経営者クラスはこの短期の数字で評価される。したがって言葉の上では中長期の展望などといっているが、短期数字ばかり焦って見せようとする風潮が大勢である。したがって業績が少し悪くなると、すぐに数千億の赤字決算になる。そしてその直後に急角度の数字の上昇をして、また株価の回復を図る。そこで得をしているのはヘッジファンド集団だけであろう。一般庶民と政府はその分の尻拭いに躍起にならざるを得ない。
 経営者が余裕なく焦っている状況では、そこで働く人間には失敗は許されない。失敗から何かをつかんで、含み資産を大きくするなどという余裕は組織になくなってきている。したがって益々その組織の含み資産は目減りすることになる。
 次の例が就職・採用問題である。最近は人材を育てるという意識が企業には希薄になってきている。そして「即戦力」という言葉が大きくなってきている。しかし「即戦力」とは何を言うのかわからない。この言葉は採用する側のレベルにより、意味することが違ってくる。最も低いレベルは今現在要求されている(受注している)仕事をこなせそうかどうかということである。次のレベルは想定している分野についての知識があるかどうかである。次が知識ではなく見識があるかどうかを見せる能力である。しかしこのレベルでは将来の中核人材を確保することは困難であろう。現在の採用問題はダイヤモンドの原石を探すのではなく、磨かれた石ころを探しているところにある。ダイヤモンドの原石は大きな含み資産を持っているが、磨かれた石ころはそれだけの価値しかない。
 次に技術がアナログからディジタルにシフトしてきていることである。アナログ時代はその技術は習得するのに時間がかかった。技能とか匠技といわれるものはその典型である。 しかし現在はディジタルが主流である。ディジタルは論理的な思考ができればどんなことでも、容易に真似ることができる。ディジタルは簡便である。しかしディジタル化する過程で、それに合わないものは捨てられる。
 また「知の世界」では形式知が主流である。形式知とは「見える化された知識」である。形式知にしなければ、その知は他者に伝わらない。そのためにマニュアル等が幅を利かせてくる。形式知はコミュニケーションの手段として重要であり、そのおかげで人間はここまで文明化されてきた。しかし形式知は、その前に暗黙知があることを忘れてはならない。形式知で知が増えるわけではない。形式知は暗黙知を強引に見えるものにしたに過ぎない。しかも形式知化された暗黙知は暗黙知全体の1%にも満たないであろう。99%は暗黙知にとどまっている。暗黙知を増やすことが、本当の意味での知の増加につながるのである。
 我々は「便利である」、「表現しやすい」、「評価しやすい」という観点から、数字、プレゼンテーションされた人間、ディジタル、形式知のようなものばかりを過大評価していては遠からず、人間全体が持っている含み資産を食いつぶすことになることを認識すべきである。数字化できないもの、表現されていない人間性、アナログ、暗黙知に目を向け、この部分の内容を増やすことが、これからの人間世界を豊かな、実りある世界に発展させることになるのではないだろうか。

注) 「形式知」と「暗黙知」については野中郁次郎先生の著作が参考になる。例えば「知識創造企業」東洋経済新報社1996
ページトップに戻る