理事長コーナー
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グローバル人材育成とP2M

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :4月号

 グローバル人材の育成が必要だと叫ばれている。 このようなことは長めに見てもこの10年であろう。 これまでも日本企業は、海外に進出し市場に展開していた。 また、日本製品は世界の隅々まで浸透していた。 トヨタ自動車の米国進出の苦労話、カバン一つでアフリカの奥地に日用雑貨品を売り歩いた商社マンの話などが、海外市場開拓の歴史として、若いころしばしば見聞したことを思い出す。 当時の状況は、あくまで国内にて生産した製品を海外の顧客に販売する輸出戦略の一環で、その当時の日本人は根性と踏ん張りで開拓してきた。

 “グローバル化”は1989年のベルリンの壁の崩壊により東西の壁がなくなり、一つの世界経済圏になる方向へ動き出した時にスタートしたというのが一般的である。 2001年にゴールドマンサックス証券の投資家向けレポートの中で、初めて“BRICs”という言葉が使われたが、そのB=ブラジル、R=ロシア、I=インド、C=中国から、当時の世界人口で半分の約27億人が低賃金の民として一挙に資本市場に参入した。いずれも豊かな天然資源と大きな国内市場を持っていたため、同予測で2050年時の中国がGDP世界でNo.1の国家となるとされ世界を驚かせたが、現にその通りになって来ているので、すぐれた予測であった。

 ベルリンの壁の崩壊以前からも実は海外進出に伴う課題として、海外活動を担う人材の育成、異文化の問題、英語学習などが盛んに取り上げられてきていたが、今程の切迫感を持っては語られていなかった。 “大学の秋入学制度”や“企業内公用語を英語にする”というような、昨今議論されている人材の課題と何が違うのであろうか。 それは、企業の意思決定に、海外の多様な人材を登用しなくては、日本企業が立ち行かなくなるであろう、その様な企業戦略を取らざるを得なくなるからである。 単に、たとえばタイに工場を立上げ、日本から派遣された日本人社長や幹部職が、現地の人に“巧く”働いてもらうようにするだけでは済まなくなるからである。 かつては、東南アジアの製造拠点で競争力のある製品を製造して先進国に輸出する基地であった。 今起きている競争は、地産地消をベースとする現地市場、販売戦略であるから、ローカルでの正確な市場予測や適切な対応が必須となるからである。 それは極論するとマネジメントの現地化であり、それを統括する日本本社のマネジメントの世界共通化である。

 いうまでもなく、日本の文化は、暗黙知をベースとして成り立ってきた。 海外との取引の必要性から消極的な最低限の形式知化はなされてきた。 海外経験者は、確実に増加しており知識・経験としての厚みは増して来ている。 どうしても足りないのが、この日本企業としてのマネジメントプロセスのグローバル化でありその形式知化ある。 たとえば、企業の根幹である世界に通用する企業理念や経営戦略、人事制度のグローバル化などは途についたばかりである。 多くの海外展開中の企業も国内外のダブルスタンダード、トリプルスタンダードのままである。 能力(P2Mで云うコンピテンシー)の評価と処遇や管理職への登用、就業規則、マネジメントプロセスなど、極一部の企業を除き手さぐり状態といえる。
 
 少し冷静に考えると、グローバル人材へのスーパーマン的期待幻想があるのではないかと思う。 現在の日本の課題を解決してくれるという漠然とした期待が、グローバル人材の獲得願望に結びついていると思う。 これでは順序が違う。 まず、自社の戦略に合致したグローバルなマネジメント体制を自社で整える必要がある。その企業人材ニーズに合ったマネジメント候補生を育ててゆくことが基本である。 今までのやり方は、大学で即戦力のある専門教育は不要であり応用の効く基礎教育と最低限の作法を教えれば充分であり、企業人としての必要な教育は入社後に各企業で行うとして来たのであるから、この場合でも自社の目標を明示し、今まで通りに金と時間とを掛けて育てるのが常道であろう。

 ただ、グローバル化が進展する中では、大学で授ける最低限の教育に、職業倫理観、コミュニケーションとその基礎としての英語学習と異文化教育、さらに、マネジメントの基礎を加えることは必須である。 その観点からP2Mは、英語以外の他の要素はすべて包含するグローバル人材育成の基礎科目としては大変優れた教材であると確信する。 当協会では、昨年来進めている大学生低学年向けのP2M教科書の製作は、この日本のグローバル化戦略にも沿った施策であると云えます。 PMコミュニティからの応援を大いに期待している。

以 上
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