PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(48)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :3月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

3 笑い
●動物の笑い
 先ずは、動物達の「笑顔」の写真を見て笑って欲しい。そう言われなくても、自然に笑えてくるだろうが。何とも楽しい、愉快な気分になる。「犬好き」、「猫好き」の読者には、たまらなく可愛い写真であろう。どの写真も、見れば見るほど、本当に笑っている様に思えてくる。
出典:子猫  Ialariticles Com  チンパンジー Sopalatina Net、犬 Myfacewhen Com  あざらし  Hdwallpapers Com

 しかし本当に笑っている様に見える動物達の写真を集めるのに、ちょっぴり苦労した。もし動物の笑顔の写真を持っている読者がいたら、是非、その写真を提供して欲しい。本連載で必ず紹介する。そし皆で笑おうではないか。

●人間の笑い
 次は、人の笑顔の写真を見て笑って欲しい。これまた、そう言われなくても、自然に笑えてくる。「笑い声」まで聞こえてくる様だ。
出典:赤ちゃん Buquad Com  2人 Stressaffect Com  手の上の赤ちゃん Panhara Net

 動物の笑顔や人の笑顔を見ているだけで「笑い」が起こる。「笑」の連鎖作用が写真を通じても起こることが分かる。実際の「笑い」の場面ではもっと強烈な連鎖作用が起こる。上記の2人の女性は、大笑いしているが、面白いので「抱き合い」の行動をとっている。あまりに面白いと「笑い」ながら、「涙」まで出てくる。考えてみたら、何とも不思議な現象である。

●動物は笑うか?
 さて笑って楽しんで貰ったところで読者に質問したい。それは、「人間は笑うが、動物は笑わない」という通説を正しいか? ということである。多くの日本人はそれは正しいと思っている様だ。

 チンパンジーやオランウータンなど類人猿は「笑う」のである。そのことを証明した実験例を紹介する。 下記の写真を見て欲しい。くすぐられて笑うオランウータン「ナル」の実例である。

 ドイツのハノーバー大学・獣医学部の研究(2009年)は、類人猿の笑う能力や人類の笑う能力の起源は、約1000万年前までさかのぼること、また類人猿と人類の共通の祖先に「笑う能力」があったこと明らかにした。

 我々の日常経験からも、犬や猫にエサをやり、褒めてやり、撫ぜてやると、人の様には笑わないが、笑いと近似した最高の喜びを表現する。思いっきり尻尾を振る犬、のぞを鳴らす猫、彼らは嬉しそうな、心地良い表情を示す。それらは、笑いに通じる行動である。ペットだけでなく、馬や牛も撫ぜてやったり、しっぽが届きにくい箇所を掻いてやると、目を細めて喜びの表現をする。

出典:オランウータン「ナル」の実験 出典:オランウータン「ナル」の実験
Photograph by Miriam Wessels/University of Veterinary Medicine, Hannover, Germany

●人間と類人猿
 人間と類人猿のDNAの類似割合は98%と言われている(人間は46対、猿は48対のDNA)。たった2%の違いが人間と類人猿を分けた。両者は外観的にも、身体的にも大変似たところが多いことを我々は知っている。従って類人猿が笑っても不思議はない。また類人猿以外のペット動物、家畜動物などが「笑い」に近い行動を取っても不思議はない。

 地球上に現存するすべての動物は、極めて近似したDNA設計図を持っていることも証明されている。しかしすべての動物が「笑う」わけではない。従って「動物は笑わない」という通説は、全体的には正解、部分的に不正解ということになろう。

●笑いとエンタテイメント
 人間も、猿も、犬も、猫も、「笑い」やそれに準ずる「笑い」を通じて、人間同士、人間と動物の間で素晴らしい「コミュニケーション」を実現させている。このことは紛れもない事実である。言い換えれば、「笑い」は凄いコミュニケーション・パワーを持っていることになる。

 エンタテイメント論では、エンタテイメントとは、「遊び」を核とする双方向のコミュニケーションであると何度も述べてきた。この核となる「遊び」の中に「笑い」が含まれる。そう考えると、エンタテイメントは、より身近な存在として感じられるのではないか。

 しかし「遊び」の全ての場面に於いて「笑い」を伴うとは言い切れない。好奇心、知的好みなどを基に新しい商品や楽しいサービスなどを考える時、誰しも自由な思考、豊かな感情を総動員する。それは、まさしく「遊び」の行為に興じた時と同様の知的行動を行っていることである。その場面では「笑い」を伴うとは限らないが、実に楽しい、愉快な気分は伴う。

●笑いとビジネスの現場
 新商品や新サービスの開発現場で「笑い」を伴うこと、若しくは「笑い」に相当する様な楽しい、愉快な気分を伴うことは、様々な大きい効果を生む。しかし社長や上司に命令され、厳しい表情で暗い気持ちで開発に挑戦する場合、優れた商品やサービスは生まれない。更に言えば、日々の仕事の現場で「笑い」が無く、暗く、緊張したムードしかない会社や役所は、効果を生むどころか、逆効果しか生まない。

出典:イラストThehawkeye.Orgの提供 出典:イラスト
Thehawkeye.Orgの提供

 だからと言って、厳しい開発の仕事や辛い日常の勤務を単純に「笑い」と結び付けて主張している訳ではない。そうではなくて、厳しいからこそ、辛いからこそ、「遊び心」、「遊びの無心さ」、そして「笑い」の本質と効用(別号で説明予定)を忘れるなと主張しているのである。

 さて子供が遊ぶ時も、大人が遊ぶ時も、「笑い」は尽きない。エンタテイメントの核となる「遊び」の多くの場面で「笑い」が重要な役割を担っていることは言うまでもない。「笑い」こそ、楽しさの象徴である。象徴と言えば、お笑い芸人やタレントは、エンタテイメント・ビジネスに於ける象徴的人物である。

●真の笑い創出力
 最近の日本のお笑芸人やタレントは、残念なことに、「真の笑い創出力」に欠けた人物が極めて多い。彼らは、お笑いTV番組の収録スタジオに「無料」で見物に来る若い人や特定タレントの「追っかけ人」だけに受ける「芸らしき事」をやっている。

 安っぽい「芸」に薄っぺらな「笑い」を生む観衆の反応に「受けている」と勘違いする。その過程で「真の笑い創出力」を失うという結果を招いている。自腹を切って高い金を払い、劇場に来てくれる「笑いにうるさい客」を相手に、「涙」を流して笑ってくれる「芸」を見せること、それを積み重ねること、これによって初めて「真の笑い創出」が可能となる。

 彼らには以上の様な自覚すらない一方、彼らが属する芸能プロダクションは、彼らを育て、真の「芸」を教え込む意志など毛頭ない。金儲けの道具として彼らを使い捨てしているだけだ。その結果、「お笑いTV番組」は中高年ばかりか、多くの若者からもそっぽを向かれる様になった。涙が出るほどの「笑い」は、エンタテイメント業界から殆ど生まれなくなった。寂しい限りである。その代わり、中高年グループや若者グループは、「笑い」を求めて仲間で集っている。
つづく
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