グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第59回)
ユーラシア大陸奥深くにP2Mの声

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :3月号

 本コラムの1月号で社会人第3ステージ突入、「やるしかない」と宣言をしたが、宣言通りまた大変忙しくなり、2月号の本コラムは欠稿となり申し訳なし。
 1月は、半年ぶりのヨーロッパ遠征で、ウクライナに月末まで3週間弱滞在し、帰国して翌日F社の社内PM大会にお招きを受け、米国ハロルド・カーズナー博士の前座で講演を行い、翌週から2週間(財)海外技術者研修協会(AOTS)の2週間のPM研修のCourse Directorで北千住の東京研修センターに缶詰であった。
 いわゆる講演、研修やら大学でのスポット講演は1980年代からかなりやってはいるが、1ヶ月にわたり、週日は毎日一日中講義(2日の例外を除いて)というのは生涯初めてであり、今後もうできない経験であろう。講義というのは、1日やると大体受講する側も教える方も飽きるものであるが、今回はウクライナ・シリーズも、帰国してからのAOTSシリーズも毎日が刺激に満ちており、楽しい日々であった。とういうことは、受講生の質が高く講師の持っているものを何でも引き出してくれ、また講師の方でも受講生が共有したいことを引き出すことに成功した、ということであろう。
 最近の私の講義方針は “Two-Way Learning”で、講義を利用しての双方向教育であり、講師側の教えることはできるだけ少なくして、受講者の経験とか知識を最大限引き出そうとしている。これは講師にも面白いし、省エネとなる。
 ウクライナでは、第4回目で総括シリーズとなった、(独)国際協力機構(JICA)のウクライナ日本センター主催のイノベーション・プログラムマネジメントセミナーを行ったが、滞在中、定番の首都キエフ市での財務省での高官向けセミナーの後、東ウクライナ ルガンスク市への出張セミナー、首都キエフに戻っての公開セミナーと、無事全予定を完了することができた。
 キエフ市での最終ラウンドの初日1月25日は、日本・ウクライナ外交文書調印の20周年記念日であることを知らされた。この記念日を、また、ウクライナ日本センターとしての最後のプログラムマネジメントセミナーを、現在、非常勤ではあるが、大学教員である私がウ国きっての名門大学であるキエフ国立建設・建築大学(KNUCA:旧ソ連時代、インフラ工学の学府としてモスクワに次いでおり、また、PM学部・大学院研究科は現在世界トップクラス)でのセミナー教授として迎えられたことは大変うれしかった。また、今回は、旧ソ連の三大経済大学(モスクワ、ザンクトペトロブルグと共に)であるキエフ国立経済大学(英語名:Kyiv National Economic University)から10名超の博士課程生の参加があり、PM専攻のKNUCAの学生に伍して堂々と論陣を張ってくれた。
 また、この最終セミナーにはモスクワからロシアの有力PMテクノロジー企業の経営者2組(夫婦)が参加してくれ、ロシアでのP2Mへの多大な関心とP2Mへの早急なロシア進出要望が表明された。
KNUCAセミナーの受講生一同 ロシア人P2M資格者第1号エカテリーナ
KNUCAセミナーの受講生一同 ロシア人P2M資格者第1号エカテリーナ

 私の冬期のウクライナ遠征は今回で2回目であったが、1月14日にそれまで記録的な暖冬であったキエフに初雪を持ち込んだのが私であり、滞在中雪はほぼ毎日降り、気温も下がり続け、1月31日にキエフを飛び立った早朝はマイナス20度Cであった。
 忘れられない旅となったのは、東ウクライナのルガンスク市への出講であった。
ルガンスクまでは、キエフから950kmの距離があり、キエフからモスクワへの900kmより遠い。ウクライナではエクゼクティブも夜行寝台列車を利用する。今回で10数回目のブルートレインの旅となった(ちなみに、ブルートレインは旧ソ連圏を含めたヨーロッパの“ル・トラン・ブルー”が元祖である)。
 26番線まであり、国際列車を含めて一斉に夜の18時以降に各方面に向かうブルートレインが並ぶキエフ中央駅を18時30分に発車し、ルガンスク到着が翌朝9時30分で、15時間の所要であった(ただしオフィスの始業時間に合わせて途中で時間調整をしている)。往路の列車は旅の同僚によると1950年代製造であり、窓はガタピシで、コンパートメント内はぎりぎり暖房がきいているが、車両の連結部には1㎝の積雪があり、トイレの用足しで隣の車輛に行った帰りにはドアのノブが容易には廻らず一瞬焦った(ウクライナの名誉のため言っておくと、この車輛は15%の確率の配車で、帰路は新しい車輛で快適であった)。
ウクライナのブルートレイン 各車輛に女性の車掌さん1名
ウクライナのブルートレイン 各車輛に女性の車掌さん1名

 長い夜汽車の定番はいずこも同じで、盃を手にチームビルディングから始まる、いつものとおり4名での旅であり、各々持ち寄ったコニャックとチョコレート、キュウリにニンジンで4時間ほど談笑した後就寝。かつて冬山も平気であった私であるが、インドネシア駐在員を5年務めた後は体質が変わり、きわめて寒がりであり完全武装で寝る隣で、セルゲイ・ブシュエブ先生はパンツとランニングシャツ一枚で平気である。鍛え方が違う。

 ルガンスク州は、東ウクライナのロシア国境に接する(ロシア領にコブのように突き出している)工業州で、いまだにロシア語を話す人口70%であり文化的にはロシア語圏にある。石炭産業、鉄鋼産業、ディーゼル機関車製造などを主力とする工業州であるが、ここ2年ほどで稼ぎ頭であった鉄鋼と石炭の輸出市場シェアが中国、インドなどの躍進で大幅に縮小し、産業打開策構築と社会保障費の大幅出超で財政再建が焦眉の急である。州都のルガンスク市は人口50万人。
 P2Mプログラムマネジメントセミナーは、ルガンスク州政府行政官75名(内70%が女性)と東ウクライナ国立大学大学院教授2名・准教授2名・博士課程生合計12名が参加して盛大に実施された。P2Mセミナーは、ルガンスク州知事からヤロシェンコウクライナ前財務大臣への直訴により、同市が一連の地方セミナーの最終開催地になったとのこと。
 セミナーは副州知事 Repickiy Anatoliy Valilievich氏の陣頭指揮下、大変な熱気、受講誠意、ホスピタリティーを以てセミナーに応えてくれ、全体として受講者のパフォーマンスは極めて高かった。ローカル・オーガナイザーは、P2M導入を熱心に行ってきた、ウ国の長老学者である東ウクライナ国立大学Valentine Rachi教授が務めてくれた。
 首都キエフから、モスクワよりも遠い、950kmの地にもP2Mと田中の名前が知られており、また、名門大学で正規講義にも採り入れられている事実に大変感動した。
帝政ロシア時代からの州政府庁舎の壮麗な会議場 受講風景
帝政ロシア時代からの州政府庁舎の壮麗な会議場 受講風景

ローカルTV局のインタビュー 副州知事から州の記念盾を戴く
ローカルTV局のインタビュー 副州知事から州の記念盾を戴く

 話題を3つほど。ルガンスクでは、州政府庁舎大会議室の壮麗さに心を奪われた。ソ連以前の帝政ロシア時代に造られたという(上記写真参照)。中央の壁面に見事なロゴ模様があるが、その中心部の紋章はロシア帝国の紋章、ソ連の紋章(鉄のハンマー)、そして鵜蔵名国の紋章と移り変わったという。
 初日のセミナー終了後に州政府首脳に市内のレストランで歓迎夕食会に招かれた。一見普通のレストランであるが、宮廷ロシア料理の伝統を受け継ぐという。それはほとんど現代の伝統的なフランス料理であった。話に聞いてはいたが、帝政ロシア宮廷のフランス王室への憧れは本当であった(?)。
 3つ目。ルガンスクのもう一つの名物は岩塩である。岩塩はヒーリング効果抜群で、ルガンスク近郊には、世界的に有名な、地下数十メートルに位置するアトピー治療のサナトリウムがある。宿泊したホテルの部屋がどうも石の牢屋のような造作であり、支配人に質したところ、岩塩の壁であるという。確かに滞在一晩のみであるが、強行軍にもかかわらず、6時間部屋で寝ただけで目覚めはきわめてさわやかであった。
岩塩壁のホテル客室 ロシア料理レストランのスタッフ
岩塩壁のホテル客室 ロシア料理レストランのスタッフ

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