今月のひとこと
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「王道 vs. 覇道
~王覇のP2Mを往く (その1)~」

オンライン編集長 岩下 幸功 [プロフィール] :2月号

 政治も、経済も、社会も、大きな変動に直面しています。過去の延長上で対応できなくなったとき、それまでの世界観や価値観をリセットする必要があります。P2M的にいえば、ゼロベースでのプロファイリングを行い、新たなスキームモデルを炙り出す必要があるという主旨です。そのような場合、歴史に学ぶというのがひとつの方法です。20世紀モデルの金融資本主義と評される米国型資本主義が行き詰まり、新たな21世紀モデルが模索されています。西洋型の覇権主義的行動や人間性を失った計数至上主義だけでなく、長い歴史と伝統に培われた東洋型の思想・哲学に軸足をおいた「日本モデル」が議論されています。それを「王道vs.覇道」という観点から考察してみたいと思います。

1.政治における王道と覇道
1.1 古来の王道と覇道
中国の戦国時代の孔孟思想  「王道と覇道」という言葉は、二千数百年前の儒教(中国の春秋戦国時代の孔孟思想)の政治理念として生まれたものです。「徳」によって、本当の仁政を行うことを王道と呼び、「武力・権謀」によって、借り物の仁政を行うことを覇道と呼びます。「徳」とは、バランスのとれた理性や尊敬や信頼、正義や勇気や赦免などを意味し、「武」とは、一方的な暴力や恐怖や裏切り、陰謀や処罰などを意味します。「権謀」とは、巧妙に人を欺くはかりごとを弄することです。「仁政」とは、仁義に基づいて国を治めることであり、「仁義」とは、慈しみの心と道理にかなった方法ということです。「借り物の仁政」とは、力の政治を行いながら、表面上、偽りの大義名分で仁政を装うことです。詰まりは、思いやりと道徳心で世を治めることを王道と呼び、人間の信用をあてにせず、力と偽りで人民を支配することを覇道と呼びます。王道においては、人民はその徳を慕って心服するので、末長い繁栄と安定をもたらしますが、覇道においては民衆からの支持を失い、いずれは滅びる運命にあるとします。孟子は王道と覇道を峻別し、覇道よりも王道の方が優れている「尊王賎覇」という思想を説きました。これが古来の意味するところです。
1.2 今日の王道と覇道
出典:「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」青山繁晴著  今日的意味においては、王道を“Going Along Rules of Right/Justice(公正さに基づく行動原理)”、覇道を“Going Along Rules of Power/Trickery(力と策略やペテンに基づく行動原理)という観点から、王道の国として日本を、覇道の国として中国政府を捉えた著書もあります。(青山繁晴)
 確かに「尊王賎覇」という思想を表したのは古代中国の儒家ですが、その後の歴史を俯瞰した場合、中国では「易姓革命*」による権力闘争の繰り返しで、覇道の歴史であったことは明白です。
(注:「易姓革命*」とは中国古来の政治思想で、天子は天命を受けて天下を治めるが、もしその家(姓)に不徳の者が出れば、別の有徳者が天命を受けて新しい王朝を開くという考え方)。
一方、日本では武家政権時代にも「万世一系」を絶やさず、「尊王賎覇」を追求してきた歴史があります。儒家思想を積極的に取り入れ、王道の政(まつりごと)を指向し、武士道にまで昇華させてきました。この意味で「尊王賎覇」は本家の中国ではなく、日本において継承されてきたといえます。これが今日の日本文化を形成するひとつのバックボーンになっていると考えます。
1.3 王覇の弁え
 仁義道徳を求める理想主義的な「王道」と力に頼る現実主義である「覇道」は二者択一ではなく、どちらに軸足を置くかのバランスの問題です。何れの政治にも王道的な面と覇道的な面が存在します。特にパワーゲームと称される外交においては覇道に頼らざるを得ない現実もあります。しかし、全ての政治が「覇道」となった場合、そこは弱肉強食の社会となり、この有限な地球を貪り尽し、環境破壊と共に滅亡の淵に追いやられることでしょう。「覇道は覇道を呼ぶ」という側面があります。その意味で、今日の政治が覇道の面を強くしていることを危惧しています。我々はあらゆる局面において、王道と覇道を正しく弁え、人道主義に基づく理想へと近づいていく必要があると考えます。それは王道を追求してきた日本の役割でもあると思います。ここに「日本モデル」を問う意義があるように思われます。

 それぞれの民族には、地理的環境に根ざした歴史上の事実と言語、習慣、宗教、思想などに代表される伝統的文化があります。政治も、経済も、社会も、この歴史的事実と伝統的文化を基盤として成り立つものである以上、プロジェクトマネジメント(PM)もまた、それぞれの民族の歴史と文化に根ざしたものにならざるを得ないと思います。これを軽視したグローバリズム指向は、固有文化という多様性の喪失につながると考えます。

 このような観点から、次号では

 2.経済における王道と覇道
 3.社会における王道と覇道
 4.PMにおける王道と覇道

 という分野における「日本モデル」を考察していきたいと思います。
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