ダブリンの風(100) 「50周年」
高根 宏士:12月号
先日、出身企業の入社50周年の会があった。場所は浅草、スカイツリーが真ん前に見えるホテルの26階であった。旧さと新しさが融合した浅草は震災以来数少ない活気のある町である。入社時400名、現在存命のもの340名、そしてここに170名が全国から参集し出席した。集まったメンバーは必ずしも定年退職まで在職していたものだけではなく、早く辞めたものもいる。
何十年も会ったことがなく、この会で初めて会った人もいた。しかし不思議なことに会うと50年前と同じ感覚と気持ちが蘇ってくる。そこでは自分は20代に戻る。それは元気になるとか、若返るということではない。元気がなければないなりに、若い時の感覚に戻れる。
となりに座ったA(仮称)は最初見かけない顔だと思った。ところが彼から「おう、高根君じゃないか」と言われ、その表情から瞬間的にAだとわかった。彼とは入社1,2年の頃何度か一緒にお寺詣りをしたことがあった。印象に残っているのは冬、雪の室生寺に行った時である。小さな五重塔と雪がしんとした静けさを演出していた。駅から室生寺まではタクシーを使ったが、そのとき一人の男から同乗させてくれと言われ、3人で行ったことを思い出す。参拝客は我々3人だけだった。その時の情景や感覚はそのまま残っている。このような感覚は、日ごろは雑事にかまけて忘れているが、今回のような出会いがあると、まざまざとよみがえってくる。
50周年記念の会から帰宅すると何枚かの喪中の葉書が届いていた。その中に中学から高校、浪人時代を通じて付き合っていた男の奥様から、彼が亡くなったことを知らせるものがあった。50周年で若いころの感覚が蘇り、解放されていた気分が一瞬のうちに凍りついたような気持ちに襲われた。浪人時代東京中野の三畳間に下宿(この下宿は先日NHKのブラタモリで放映された、江戸時代のお犬様を保護していた囲町にあり、タモリと話をしていた酒屋さんである)をしていたが、ある日彼ともう一人を加えて、3人で明け方まで話し込み、そのまま寝てしまったことがあった。その後それぞれ進む道が違ってしまい(彼は経済、もう一人は英文学)、会うことはなくなったが、いつかは会えるという思いだけは残っていた。それがこの喪中の手紙で崩されてしまった。それは悲しいという感覚よりも、その頃の感覚に戻る手蔓がなくなったという気持ちである。自分が持っているその頃の感覚を実感する相手がいなくなったという感覚である。それは一種の閉塞感であろうか。「胸がつぶれる」いう感覚である。時間が経つに従ってそれは孤独感になっていくような気がする。老化するとは肉体の衰退ではなく、この感覚の増大ではないだろうか。
ドラッカーが「コミュニケーションが成立するためには共通の経験が不可欠」といっているが、今回感じたことはまさにこのことであろうと思う。50周年では相手がいたために「胸に開放感」を憶えたことと、彼が亡くなったために「胸がつぶれた」感覚を味わったことは、ドラッカーの言ったことの根底にある動物的感覚ではないかと思う。
この感覚を場所が異なり、時代が変わっても同じように味わえる(感じられる)かどうかが、文化ではないだろうか。小説や詩歌、美術や音楽、その他様々なものが、このために人間が持った大きな資産なのではないだろうか。「文化が深化」するということはこの感覚を共有できる集団を大きくできるかどうかということではないかと思う。それは効率化がどこまで進むかという「文明の進歩」とは少し異質なものかもしれない。
「文明の進歩」と「文化の深化」は人間の幸福度を高める車の両輪であろう。「文明の進歩」だけが強調される社会では反って個人の孤独感は深まることであろう。
|